家庭の話をしよう。

『パパみたいな大人になりたい』

私の手元にある便箋には“しょうらいのユメ”と銘打たれた枠組みの中に、そんな文字が躍っていた。いかにも子供らしい稚い筆致。可愛らしくデフォルメされた猫の顔が縁取っているそれは、保存状態こそ良好なものの、折り目はわずかに破れ掛けている。贈られてからさほど時間は経っていないはずだが、それだけ私がこの便箋に目を通した事を物語っているのだろう。
かつて同様に便箋を読んだ妻は鼻白んだ様子で溜息を吐いていた。私も彼女と同意見である事に変わりなかった。互いに、明言こそしなかったが。
次女――紀子が、私という人間をどこまで把握しているのか判然としていない。だから、私は解った気になっていた。甘く考えていた。思い返せば、私とて彼女の歳の頃にはそれが一体何なのか理解していたはずなのに。
先週の木曜…… 三月二十一日。私が仕事で家を離れている間に、紀子は最寄りの総合病院に救急搬送された。妻の連絡を受けて直ちに職場から駆け付けると、救急担当の医療事務員に言われるがまま入院棟へと向かった。主に血管外科の患者を受け入れているようで、グルタラール製剤特有の臭いが強いフロアだった。そのフロアの六〇三号室。四人部屋で構成されている部屋の左奥に紀子は居た。傍らには両目を赤く腫らした妻の姿も。
真っ白な不織布のベッドに横たわる紀子は穏やかな寝顔を湛えていた。最悪の事態を連想せざるを得なかったが、幸いにもその胸元は静かに上下しており、微かに開けられている窓から流れ込んできた風が彼女の長い前髪を揺らして、血の気の引いた頬を擽っている。むず痒かったのだろう。不愉快そうに眉をしかめながらも、瞼を開ける事はなく、枕に預けている首の角度を変えて抗った。
そこで初めて、両腕が使えないという状況をみ込んだ。
紀子の左腕は単なる採血に向かない太さのカテーテルが射し込まれていて、そこから伸びている管には赤黒い液体が満ちていた。それは輸液加温器を通って、ガートル台に提げられた血液製剤と血液凝固阻止剤、生理食塩水の入ったパックの突端と繋がっている。一方の左腕は包帯が幾重にも巻かれていた。
病室には、紀子の寝息以外に聞こえてくるものはない。他に入院患者は居ないらしい。耳を欹てれば待機している看護師の作業音、控えめな会話程度は聞き取れるが、無音と言って差し支えはなかった…… いや、その表現は正しくないやもしれない。
空白。
どちらかと言えば、空白が合っているような気がした。
その空白を埋めるように妻が口を開いた。端的に、必要なだけの情報を伝える為だけの口調。
左前腕に開放性の創傷を負った。拍動性出血と一目で解った為、然るべき連絡を行うのと並行して圧迫止血を施した。しかし、それでも出血は止められなかったので血管外科にて一次縫合。受傷機転からして感染症の心配は要らない。

「運が悪かった。創傷の深さは二センチが精々だった。場所的にも尺骨動脈・橈骨動脈まで届かない。措置に当たった医者も首を捻っていたが、何の事はない。この子の腕には、通常二本しかない動脈が三本あったんだ。元々、人間の腕には三本の動脈が存在するが、正中動脈って呼ばれる真ん中の動脈は産まれる前に退歩して消えてなくなる…… だが、この子の場合はそうじゃなかった。たまに居るらしい。退歩せず、保持したままの人間が。この子はそれを知らなかった。知らないままに、自分で自分を切りつけた」

だから、本当に、運が悪かった。
妻はそのように結論付けて黙り込んだ。すると間を置かずして、横たわっている紀子の側から甲高い電子音が鳴り響いた。次いでビニールが膨張していくような音が耳に届く。
自動の血圧監視装置が作動したのだ。十分間隔だか、十五分間隔だか分からないが、ややあってモニターに表示された数値は正常値の範囲内だった。

「精神科の通院を勧められた。それと、今週中にも児童相談所の人間が来る。搬送した救急隊員か、或いはここの医者か。いずれにせよ、家庭環境に異常があると見て通報したようだ。それまで退院もできない。児童福祉司と児童心理司の判定を…… まあ、そういうのはお前のほうが詳しいか」

妻はそう言って、自嘲気味に笑みを作った。我が子から目を離さずに。
その時、先程の血圧計によって意識が浮上したのか、それとも妻の声に反応したのか、ベッドの上の紀子が眠たげに瞼を持ち上げた。彼女は緩慢な動きで眼球をぐるりと一周させて私達の姿を認めると、「あ」と小さく声を漏らした。
私と妻はベッドの脇に掻きついて紀子を見下ろしたが、言葉が出てこなかった。
大丈夫なはずがない。具合が良いわけない。解りきった、有り触れた言葉しか浮かんでこず、それでも何とか慮った言葉を掛けなければと口を開くが早いか、未だ微睡みの中に在ると思しき紀子は、包帯に包まれている右腕をわずかに掲げた。まるで誇るように。
そして、無邪気に笑いながら、告げた。

「おんなじ」

私達は、決断しなければならなかった。
便箋をゆっくりと封筒の中に仕舞い込んで、無機質なアタッシュケースに収める。代わりに別の茶封筒を手に取った。家庭裁判所からの呼び出し状。今更、弁明の余地もない。
恨んでくれて構わない。そんな言葉さえ、独りよがりの甘えでしかないのである。
左目が利かなくなって二年余り。後を追うようにして右目も不調の一途を辿っていった。今では茶封筒の裏面に描かれた、他人事のような所在地すら満足に確認できない。なのに、やけに可笑しく感じられた。
それが最後の光景だった。
私の目は、遂に見る事を止めた。