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74年式 ダッチ・モナコ(消防指揮車)

こんばんは(・∀・)ノ←今夜何度目やん…(笑)
気が付けばかなりコメントが溜まっているので、今夜はこれを最後の更新にして、残りの時間はコメ返に充てようと思ったひでっちでつ(o^-^)b

さて、かなり以前にアメリカのパトカーを紹介した(昨年12月1日の記事を参照)ことがあったけど、今回はたまたま年式違いの同一車種でアメリカの消防局で使われていた制服組のトップ(消防長)が火災現場に駆け付ける時などに使用するクルマ「消防指揮車」を紹介しようと思います。

↓74年式ダッチ・モナコ




アメリカの消防組織は警察の場合と同じく、日本と違って連邦政府・州政府・地方組織…等々で構成されているんだけど、この辺の難しい話は誌面の都合上省略で…‥(笑)

そして、クルマ自体をよく見るととにかくボディサイズが大きく、たまたま手元にある同スケールのメルセデス・ベンツのSクラスと比べても全長も全幅もケタ違いです…w(°O°)w

日本とは違い、あの広大なアメリカ大陸の道を走る訳だから、当たり前と言えば当たり前なんだけど…(;^_^A

このクルマを見ていると、実車そのものより題名も主演の俳優も思い出せないけど、子供の頃にテレビで観たアメリカ映画を思い出すんだよねぇ〜( ̄〜 ̄;)

60系 3代目トヨタ・セリカ

またまたこんばんは(・∀・)ノ
日中はまだまだ過ごしやすい気温なんだけど、夜になるとさすがに肌寒く、もうすぐ冬なんだなぁ〜と感じているひでっちでつ(o^-^)b

さて、トヨタ・セリカと言えばフォード・マスタングから多くを学び、日本に「スペシャルティーカー」というジャンルを一般化させたのは有名な話で、77年8月発売の先代(2代目)の40系セリカは依然として米においては人気を博していたものの、日本国内においては79年3月に発売されたS110型(3代目)ニッサン・シルビア/ガゼールというライバルの出現で販売は苦戦していたとか…( ̄〜 ̄;)

そんな中、81年7月にフルモデルチェンジを受け、発売されたのが今回紹介する↓60系(3代目)トヨタ・セリカです。




若年層へのアピールを意識し、先代の曲線的なボディデザインから一転して、力強いウェッジの効いた直線的でシャープなデザインとなります。

ボディ構成は直列4気筒エンジンを搭載する2ドアクーペと3ドアハッチバックで、直列6気筒エンジンを搭載するロングホイールベース版のXX(ダブル・エックス)を加えた3種が用意されていました。

特に4気筒エンジンを搭載するモデルはフロントに特徴があって、スラントしたノーズに角形ヘッドライトを組み込み、点灯時には前方に起き上がるようになっています。

また、特に82年9月に登場した「1800DOHCターボ」に搭載された直列4気筒DOHCの3T-GTEU型(1,770t)エンジンは、トヨタのスポーツ用エンジンとしてグループCカーに搭載される等、その後改良を受けながら使用されていくことになります。

それと、当時グループB規定で行われていたWRC世界ラリー選手権にはこの60系セリカをベースにグループB仕様のマシンが制作され、あまり勝利を重ねることは出来なかったけど、参加していたのは有名な話です。

楽しく愉快な二泊三日の旅C

こんばんは(・∀・)ノ
今日は仕事が休みだし、久々に3連投なんてしてみようと思っているひでっちでつ(o^-^)b

さて、クルマを取りにホテルへ戻った俺たちは次の目的地へ向けて移動を開始します。

その目的地とは前にも書いたけど、軽井沢の奥にあり長野県と群馬県の県境、浅間山の麓にある高原キャベツで有名な群馬県嬬恋村です(^-^)

ルートは仙台東部道路・仙台港北IC〜仙台南部道路〜東北自動車道〜北関東自動車道〜関越自動車道〜上信越自動車道・碓氷軽井沢ICまで高速を利用し、あとは一般道で軽井沢を経由して嬬恋村を目指します。

実はこれが一番キツかった…(;^_^A

俺は一人スカイラインで、miyaさんは家族を乗せてミニバンで移動となるんだけど、どうしてもクルマの性能差があるし、三連休で渋滞は無くとも普段より交通量も多かったから、前を走っても後ろを走ってもかなり気を使います…。

これにはmiyaさんも言葉には出さなかったけど、かなり疲れたんじゃなかったかなぁ〜と思います…( ̄〜 ̄;)

また途中、バイクに後ろに付かれ、イライラしていた俺は道を譲ったと見せ掛けて、バイクを追い掛けてみたりとちょっとした悪ふざけも…(^^ゞ

あとでmiyaさんに聞いたんだけど、この時miyaさんのクルマの車内では大爆笑だったとか…( ̄▽ ̄;)

あっ念のために言っとくけど、俺は滅多にキレたりしないですよ(笑)

そんなことがありながら、東北道・安積PA(福島県郡山市付近)で、トイレ休憩を兼ねて昼食を食べ、上信越道・横川SA(群馬県安中市付近)で燃料補給以外はほぼノンストップで上信越道・碓氷軽井沢ICを下りて、一先ず軽井沢を目指して山道を登って行きます。

時間は16時前後だったけど、軽井沢近辺は他県ナンバーのクルマで至るところで渋滞してるし、狭い道に入ってしまった?観光バスは交差点でUターンしてるし…( ̄□ ̄;)!!

そんな中、初めて訪れる軽井沢に俺は回りをキョロキョロしながら、miyaさんのクルマを見失わないように追い掛けて行きます…(゜゜;)(。。;)

軽井沢を抜けると、もう回りは完全に高原の風景で、「やっぱり山っていいなぁ〜」と思ったのでした…(´∀`)

近くのコンビニ(←とは言ってもクルマで約20分程あるけど・爆)で買い出しをした後は、いよいよペンションに到着です(^-^)v

特に俺はペンション自体が初体験ということで、正直かなりドキドキだったよ…o(^∇^o)(o^∇^)o

今回お世話になったのは、嬬恋村大前細原にある「ペンション・ローエングリン」で建物は上手く説明出来ないけど、ヨーロッパ風のお洒落な感じでした(^-^)

綺麗なオーナーの奥さん?に案内され、部屋に入ったあとはみんなで外に出てお散歩タイムとなりました。

辺りは暗くなったけど、miyaさんの子供たちは元気一杯でハシャギまくるし、遠くでチェーンソーで木を切る音と鳥の鳴き声以外は殆んど何も聞こえず、本当に山奥って感じで冗談で「熊でも出そうだよねぇ〜(笑)」なんて冗談を言いながら、寒さから10分程でお散歩タイムも終了となったのでした…(^o^;)

次に続く…‥(^-^)v

90系 2代目トヨタ・ランドクルーザー・プラド

こんにちは(・∀・)ノ
今日は仕事が休みなんだけど、ついさっきまで爆睡していたひでっちでつ(o^-^)b

さて、先日の旅行の話は一旦お休みにして、俺の好きなカテゴリーでもあるクロカン4駆について書いてみようと思います。

今回、紹介するクルマは96年5月にフルモデルチェンジを受けて2代目へと進化した↓「トヨタ・ランドクルーザー・プラド」です。




「ニュートラディショナル4WD」を合言葉に開発された2代目は本格派4WDとしての進化はもちろんのこと、乗用車としての性能アップもフルモデルチェンジの目的の一つだったそうです。

全体に丸みを帯びたボディデザインは、当時トヨタが積極的に採り入れていた新衝突安全ボディ「GOA」を採用し、全車3ナンバーサイズとなります。

ボディタイプは3ドアの「ショート」が丸形ヘッドライトに縦グリル、5ドアの「ミドル」が角形ヘッドライトに横バーグリルで区別され、先代では観音開きだったバックドアが横開きへと変更されました。

もちろんフルモデルチェンジに合わせてラダーフレームも全面改良され、駆動系は全車フルタイム4WDでH/HL/LLの3モードが選べる2段センターデフロック機構付きフルタイムトランスファーを採用、足回りはハイラックス・サーフと同じフロントはダブル・ウィッシュボーン/コイルの独立懸架、リヤはラテラルロッド付き4リンク/コイルへと進化しました。

搭載されるエンジンはV型6気筒24バルブの5VZ-FE型(3,378t)のガソリンエンジンと直列4気筒の1KZ-TE型(2,982t)の空冷インタークーラー付きディーゼルエンジンの2種が当初は用意され、97年4月に直列4気筒DOHCの3RZ-FE型(2,693t)のガソリンエンジンが追加、00年7月には従来のディーゼルエンジンに替えて新開発のコモンレール式直列4気筒DOHC直噴ディーゼルターボ1KD-FTV型(2,982t)が搭載される等進化を遂げました。

ただ、他の車種同様にクロカン4駆ブームの終演や年々厳しくなるディーゼル車規制に販売台数が減少し、長引く景気低迷の煽りを受けて、02年10月に発売された3代目プラドはハイラックス・サーフとの兄弟車となりました…w(°O°)w

このランドクルーザー・プラドに限らず、こうやって90年代に発売された車種をみると、目に見えるクルマとしての基本性能は90年代末である程度の完成形が出来上がってしまい、その後は環境性能の追求やボディデザインは流行を追った目新しいものでもメーカーとしての開発の期間短縮やコスト削減が目に見えるようで、俺がニッサンに限らず国産の新型車があまり好きになれない理由の一つでもあります…( ̄〜 ̄;)

楽しく愉快な二泊三日の旅B

こんにちは(・∀・)ノ
また休み明けからハードな日々が続いて、ちょっとお疲れ気味なひでっちでつ(o^-^)b

さて、忘れてしまわないうちに前回の続きを…(笑)

二日目の朝、目が覚めて時計を見ると午前7時を過ぎているではありませんか…w(°O°)w{ヤバイィ〜

一旦俺は自宅に帰るつもりだったから、あの時は正直かなり焦ったよ…(ToT)

さらに携帯を見るとmiyaさんから着信があり、「8時にはみんな準備が終わってホテルを出発出来るとのこと」だったけど、事情を説明して出発を遅らせて貰い、シャワーも浴びず取り敢えず朝食だけ慌てて食べて自宅へ向かいホテルに戻ったのが、9時を少し回った頃でした…(^^ゞ

そんなバタバタがあったけど、クルマに乗り込んでまずこの日向かった場所は仙台新港です。

仙台新港はホテルからクルマで10分程走ったの場所にあるんですが、キリンビール仙台工場や大型展示場「夢メッセみやぎ」、三井アウトレットパーク、トヨタやニッサンのモータープール…等々があり、あの東日本大震災から一年半が経過し、かなり復旧は進んでいて津波が来たような跡は殆んどありませんでした…。

そして、仙台新港〜福島県・相馬市へ抜ける海沿いの街道「通称・浜街道」を通り、遠くにはまだ持ち主の分からないであろうクルマが多数積み上げられている場所を横目で見ながら、次に向かったのは荒浜地区です。

俺も数年振りに訪れたけど、まず驚いたのが荒浜地区へ入る交差点にあったコンビニやガソリンスタンドが今はもう無く、俺もあやうく通り過ぎてしまうところでした…(^_^;)

この荒浜地区は海から数百mしか離れておらず、土砂などで細くなった道を海岸方面へ入って行くと、家の土台はこの一年半で草に覆われ、昔は街道から見えなかった荒浜小学校も校舎や体育館の2階部分まで津波による傷跡が生々しく残り、校庭には津波によって流されただろうバイクが多数並べられていました…。

当日は俺たちの他にも観光客らしき人々がいたけど、海水浴場の入口にクルマを止め海を目指すと、まず目に飛び込んで来たのは東日本大震災で亡くなられた方々に対する慰霊碑でした…。

確かにこの日の海は穏やかだったけど、本来なら海沿いにあるはずの松林も見渡す限り殆んど無く、被災県に住んでいる俺でさえも忘れてしまっていたあの日のことや津波の恐ろしさを改めて思い出しました…(´ω`)

現在、津波による被害のあった海岸地区は居住禁止地域に指定され、集団移転を余儀なくされている状況だからもうこの場所には戻ることは出来ないけど、空き地の所々にこの場所に住んでいたであろう住民による黄色いハンカチが掲げられていて、またいつの日かこの場所に戻って来るというメッセージが書き残されていました…。

今回、miyaさんの子供たちに津波による被害の現実を見せるために仙台新港や荒浜地区に来たんだけど、大人である俺たちも忘れかけていたあの日を思い出すキッカケになったとそんなことを考えながら、俺たちは荒浜区を後にしてクルマを取りにホテルへ戻ったのでした…。

次に続く…‥(^-^)v

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