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世界の修復

高校に入るまで、頭がいい人は、心なんて持ちえないものであると思っていた。
けれど、東大に入った友達も、東北大にいった友達も、早稲田にいった友達も、慶応にいった友達も、みんながみんな、温かい心を持っていた。みんな女の子ですが…
家族に、ありがとうってちゃんと言うのを忘れないのです。
みんな家族が大好きなのです。

人って不思議ですね。
頭がいいからとか、悪いからとか、金持ちだからとかそうでないとか、それだけで人の気持ちって決まらない。
高校に入って一番びっくりしたのが、そこです。
だからわたしは、みんなを尊敬しています。

高校生クイズのその後、みたいな番組を見たのですが、
高校生クイズに田村君って人がいたのを、覚えていますか。
彼、いつもすかしていて、カッコいい人だったんです。
なんでも出来てしまうし、18歳ではないかのような気がして、あたかも私より年上のような。

でも、東大合格発表のとき、「やったー」って言いながらガッツポーズしてたんですよ。
やっと、18歳に見えました。そしてお母さんに言ったんです。
「なんだかんだやってくれて、ありがとう」って。
すごいですよね。こんな人が、日本のトップになってほしいと、そう思う。

日本人のそういう心が、わたしは好きです

夢の中の夢想

最近、本を読む気になれなくて。
これは、悲しいのか、落ち込んでいるのか、なんなのかわからない。

そんなわたしが、辻井伸行さんと、フジコヘミングさんのピアノを聴いた。
涙が流れてきた。

気づかなかったけれど、本当は、わたしは怖かった。
命ってこんなに儚くて、脆いものなんだと、こんなにも本気で思ったことはない。
死というものを、こんなに近くに感じたことはない。

心は、きっと傷だらけ
でも、2人のピアノを聴いたとき、もしかしたら彼らはもっと昔からそんな気持ちを抱いていたのかもしれないと思った。

今わたしは、同じ気持ちの人が地元にはたくさんいて、そのことについて話して、共有して、たくさん考えることができる。東京にそのことについて話す友達はいなくとも、地元に帰ったり、電話で話すことができる。
でも…かれらは?
きっと、今のわたしより猛烈に辛かったのではないのか

それでも支えてくれる人がいたから、そうやって輝くことができている。
これから、わたしが何をしなければならないのか。
それはもう見えているはずで

それはきっと、誰にでもできることだ。

悲しみにだってきっと、

昨日、母の知り合いの子供が、亡くなったと聞いた。
わたしは一回、その人に会ったことがある。

あの時、隣に座っていた人が、もういない

そんな事実が、わたしには受け入れられない。

わからない人にはわからない。
きっと、わかってるよなんて思っても、実際見てみるのと、全然違うんだ。
本当に違うんだ。

わたしの気持ちは、たぶん、わたしの周りにいる人には、わかるようでわからない。

なんてね。
そんなことないのかな、もしかしたら。
わかってくれようとしてくれる人は、きっとわかってくれるとわたしは思いたい。
そう信じてみたいと最近は思うんだ。

とにかく、驚いて、悲しくなったのです。
一度しか会っていなくとも、何とも言えぬ気持ちになったのです。

これまで、近くで亡くなった人は3人になりました。

わたしが代わってあげたいとさえ思いました。
でもそれはできない。
わたしは生きなければならない。

3人の分まで、生きなければならない。

だから、生きなければならない。

*

大学で後ろに座った人が、
「最近、節電ブームだよね」
って言ってたんですよね。

わたしは時が止まったような気がしました。
ブームなんですか?これは。
そんな気持ちでやってるんですか?

すごく腹がたったけど、わたしは聞かなかったフリをしました。
人って、いろいろいるもんね。
もし、そんな気持ちでやってるんだとしても、やってるならそれはそれで良いのかなって思ったんです。

やっていない人よりは、ありがたいのかな、、、なんて。
腹は立ちますけどね…

だから、いまは気にしない。

*

海外は、データ集めのために、日本にボランティアに来ているらしいです。
それが現実だ、と大学の教授に言われました。

原発から流出した物質が海をどのように流れるんだろうか、とか。
普通だったら入手できないデータを集めるために、たくさんの人が海外から来ているらしいです。

だって、原発のデータなんて、普通手に入れることできませんものね。
しょうがないのかな。。

なんだかこういう時って、人間がわかってしまうのが嫌ですね。
でも、うれしいこともあるのが、不思議ですね。

不安を希望に変えて生きるのは、

一人暮らしってすごく寂しいものですね…
前まで、飲み会とか、カラオケとか行くのも面倒で行かなかったんですが、今では率先して行くようになりました

昨日は、一女の東京組で居酒屋に行ったんですが、やっぱり一女生は居心地がよかったです。
当たり前を当たり前にしているというか、なんだか落ちつく。

そんな友達を、大学でも作れたらいいな
と、思っています。

大学の人の発言が、わたしは納得がいかないんです。
だから馴染めないのかもしれないですね。

ま、少人数でも、信頼できる友達ができるといいですな!

*

東京って、仙台にいるときはかなり嫌だったんですよね。
一年に一回は東京に来ていたんですが、ぶつかっても謝りもしない人がいたり、やけに傲慢だったり

仙台でももちろんそんなことはありますが、ごくわずかだったので、東京に来たときは驚いたものです。
でも、わたしが見ていたのはちっぽけなものだったって、今では思います。

困ったとき、助けてくれる人もいるし、すれ違った時、あいさつしてくれる人もいる。
もちろん、嫌だなって思う人もいますけど、そんな人、見なければいいだけですもんね。

楽しいことだけ、優しいものだけ、興味のあるものだけを見て生きていたら、きっと楽しい人生になる!
そう思って今は生きています。。

*

生きてるのが、あんなに辛かった。
不思議と、死にたいなんて思わなかったけれど、生きていたくないと思っていた。
そんな過去が、わたしにもある。

きっと、誰もが通る道なのかもしれない。
それに比べたら、わたしは変わった。これが成長してるってことなのかなぁ?
まだわたしにはわからないですけど、きっといい方向に人生は動いていくと、信じてるのです

*

明日から、授業が始まります。
ついていけるかな…そこが一番の不安要素なんですが…
毎日図書館に引きこもろうかな

が、頑張ります…!!

この時間に終止符を

お久しぶりです。ゆのです

この二週間程度、きっと人生で一番大変な時間だったと思います。
宮城県仙台市で起きた東北地方太平洋沖地震はみんなが知っているとおり、未曽有の震災だった。

すごくつらくて、悲しかったけど、下を向いてなんかいられない。
だって、わたしは無事だったから。
家も、家族も、無事だったから。

親戚の中では亡くなった人もいて、わたしも多少被災者と呼ばれる要因はあるかもしれないけど、実際わたしは、そこまで被災者じゃない。

わたしは、今年から大学に通うことになった。
しかも、上京しなければならなくなった。

うれしかった。単純に。
でも喜べなかった。

三回、東京と仙台を往復して、家を探して食料を探して生きてこられた。
よかった。生きていてよかった。

密かにわたしは思うんです。
生きていてよかったって。

東京は電気が多少不便なだけで、とはいえ仙台にいた私からしてみれば、ものすごく便利で贅沢に見える。
人間がたくさんいるし、仕事もあるし、それを責めるつもりでわたしは言っているのではないです。

ただ、わたしには十分豊かに見える。
だから、本当の気持ちをさらけ出せなくて、言いたいことも言えなかったんですけど

今日大学で呼び出されて、震災のカウンセリングをしてくれたんです。
本当にうれしかった。心から感謝した。

泣いてしまった。
わたしはなんて幸せな人間なんだろうと思った。
大学の方針が「愛と科学」なんですが、本当にその通りだと思いました。

この大学に来れて、こうして生きていられてよかった。
わたしは、こういう時に役に立てる獣医師になりたい

大学の学生は、テンションが高くて、楽しく生きている。
それは、大学生として当然だし、わたしもいずれそうなりたい。

今は、その明るさに頑張って付いて行ってる感じで、毎日がとても疲れる。
でもいずれ、その楽しい世界にわたしもどっぷり浸れるようになりたいなぁ!

にしても、一人暮らしってこんなに寂しいものなんですね。
慣れるのにどのくらい時間がかかるのでしょう?
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