彼の顔が近付いて来て私の唇に被さるのにあまり時間はかからなかった。
いつもはあと一歩、届かない位置に居るはずの彼が、今は目の前に居る。
「長門、」
唇が離れた後彼は私の名前を囁いた。
それは放課後の図書室に少しだけ響いて冷たくなった窓に吸い込まれる。
私は彼の名前を呼ぼうとしたのだが上手く言葉に出来なかったので、黙っていた。黙って、彼の肩に抱かれていた。
そして私は抱きしめられたまま「どいて。」とだけ言った。
このままでは涼宮ハルヒの世界が壊れてしまう。何故かはわからないがそんな危険のシグナルが頭を過ぎった。
私だけが壊されるなら良い。また、宇宙の塵に戻るだけだ。
しかし、彼は。
彼は全てを察した様な顔付きで、もう一度だけ抱きしめたあと手を離した。
温かかった灰色のセーターがだんだん温度を無くしていくのがわかる。
喪失感。
あのまま私は彼に抱かれていれば、この気持ちから開放されていたのだろうか。
見上げると彼の瞳と目が合った。どうして、私はこんなに彼に悲しい顔をさせているのだろう。
「長門、」
幾度となく感じていた疑問がある。
彼が名前を呼ぶ度、無機質だった私の心にやどる温度。
喪失感の理由。
「長門、」
彼の瞳が私を射抜く。
どこかで期待をしている。
私が。何故。どうして。
自問する前からとうに答えは出されていた。
あの時から。いいえ、出会った時から、私の中のプログラムは狂い始めていたのかもしれない。
「それでも、俺は長門のことが、」
こんな感情は本には書いていない。
インプットされていない。
この無機質だった胸に空いた穴は塞がらない。
もう以前の様に彼の瞳を見ることが出来ない私は、彼の言葉にひとつだけ答える。
たとえ、それが神を敵にする崩壊への呪文だろうとも。
( 崩壊への呪文(憂鬱/キョン長) )
ぜいたく
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