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「永遠」も「何でも」も信じない

2月に出会って6月にお別れか。早かったな
出会うタイミングも悪かったんだろうな

「過去の話聞かされるの辛い」「好きな人とかものの話マシンガントーク(笑)で俺が話す隙間ないっていうか」だって、笑える

自分の話ばかりしてたのだってネタのチョイス(笑)が悪かったのは認めるけど、こっちが聞いても向こうは自分の話ほとんどしなかった。無言なのもどうかと思って話してた。それを入る隙間がないって、なんだかね。
でも向こうからばかり連絡がきていて、朝とかも私から送ることはほとんどなくて、そういうのもきっと寂しくさせて、不安にさせてしまったんだろう。これだけ言ってるけど本当は、私も結構好きでした。

私の対応が冷たかったんだろうな

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話聞いてられないと言うなら「何でも
話して」とか言うんじゃねぇよ
素直に信じたこっちが馬鹿みてぇだな
「俺に話すことでストレス発散になって
くれれば」とか? おめーが言ったんだろ
二度とあんなクソみたいな出会い方したくねぇ

私はまだやることがたくさんある

原点、それから

不合格と分かってすぐに「ああ、やっぱりか」と思った。もう諦めたような気持ちでいたから まだダメージは少ない方…だと思う。その次に来るのは 劣等感と自業自得という気持ちと 申し訳なさ。いわゆる、最悪。でもまぁ、あれだけ自分に自信のないまま迎えた試験が受かるわけもないだろうと、どこかで気付いてた。

すぐに親友に連絡した。さすがは長年の付き合いなだけあって、私が分からなかった私の心もこうじゃないかと指摘してくれた。ずっとあの冬のことが忘れられなくて、思いやりのない自分自身が明確に見えた気がして、そんな自分がこんな仕事に向いてるのかと疑問を拭えないまま、当日はきてしまった。
理想の自分はまだまだ見えない所にいるのに
時間だけが進んでいって、気付けば周りを
負の感情でいっぱいにしてしまって…。
私が私を嫌いなまま手に取れるものではなかったということ。ただ、それだけ。

「原点に帰れば」と親友は言った。この仕事をしたいと思った時、私は母親の影響もあって、「誰かの役に立ちたい」「必要とされたい」とずっと思ってた。今も 思ってる。どう考えても機械相手に仕事をしている自分は想像出来なくて、対人じゃないと無理だと思う。
誰かの言葉を感じながらじゃないと 仕事したいと思えない。やっぱりそこは変わってない。
どうしても他者と関わり 生きたいと思う。

親友の言葉はとても温かくて泣きそうだった。バレないように 泣かないようにするので精一杯。「思いやりがないことが嫌」という私に「そこはあまり考え込まなくていいところだと思う」と言われた。「私が親の体調より自分の欲求を優先したことがもうトラウマのようになってる。自分が嫌で仕方ない。自己肯定感なんて下がりっぱなしだ」と言ったけど、親友は「たまたま比較対象が悪かっただけ。きっと大したことのない用事なら ゆうかは親を優先しただろう。でも、それほどまでにその用事はゆうかにとって大切なことだった。抑えきれないほど大切だった。あなたの欲望は極端。幼い頃から我慢しまくるか、やりきるかの0か100だったのかもしれない。もう少し、理性を働かせる訓練が足りなかっただけと思えばいい。思いやりがないとか、そういうんじゃない。そんなものは周りから見てもバラバラの意見だろうし、まして自分じゃ分かるものじゃない」と。とても納得したし、人によって受けるダメージはこんなに違うのかと思った。
でも、私に「思いやりがない」と言った母親にこの話をすれば「あんたそんなことずっとうじうじ考えてたの」「それじゃあ私のせいってこと?」とヒステリックになられそうなので、とてもじゃないけど言えない。ここだけに留めておく。

「やりたくてやっていたこと」がいつの間にか「やらなきゃいけないこと」にすり変わってた。多分 境目はあの冬だと思う。
その後も、母親の上司が亡くなったこととか色々あったけれど。

「今はネガティブな思考でいっぱいだろうけどあえて他に目を向けてみるのもいいかもしれない。誰かの喜ぶ顔を想像してみたりとかね。その人達のために何がしたいか、どうしたいか。目標持って。自分の軸をブレさせないように。机に向かって考え込んで考えを出そうとしても今は何も出てこない。まともな思考が出来る状態でもないと思う。だから、あえて休んで。そうしてふとした時にどうしたいかが見えてくるかもしれない。スピリチュアルだけどね(笑)原点の気持ちが変わってないなら大丈夫。あと、自分で自分のこといじめないように。ただでさえ他人や家族から傷付けられてるのに、自分も自分を傷付けてたら誰が慰めてくれるの。自分しか自分を慰められないんだから」

この言葉達を忘れちゃいけないと思った。
今 どうしたいかを考えなくては。

もう 結果は出てしまったんだから。
切り替えて先の未来を考えないといけない。
そして座り込んでばかりでは駄目。
こうしている今もやらなきゃいけないことは
多分にあるし 並行して考えるべき。
考えろ。考え方を考えろ。
原点に帰って見てきた気持ちを忘れるな。
貰った言葉を失くすな。

もう自分の本当に大切な人を
泣かせては駄目。

自分を泣かせては駄目。

死んでしまえば何もしなくていいでしょう。
何にも追われないでしょう。
凄い誘惑だよ、でも、でも。

見られるはずだった未来も
見れなくなるのかもしれない。

自分に助けてって言ってきている自分のこと
殺してしまうには、まだ早い。
まだ 早いんだよ。

過去の自分を 大事な人を
もう泣かせたくない。

ごめんね

来世は生きやすくなってるといいね

最近は大学の建物を見るだけで気分が悪くなる
ことが多いです。数年前はここに入るために、
あんなに努力していたのに、今となってはゴミ
そのものと化しました。

私に何かを求める誰かに対して、
期待する誰かに対して、
文句を言う誰かに対して、
死ねよって思うこともあるけど、
私はあなたより私に対してしねよって
思うことがあると断言できます。

親と話して、死のうなんて考えは捨てたけど
ただふと消えたくなる気持ちはまだあります。

昔は自分が大好きでした。
自分に自信がありました。
明るいし、ポジティブだし、真面目だし、
積極的だし、面白いって言われるし、そんな
自分が大好きでした。悪いのは私じゃない、
周りだって。周りのせいにしていたから
とても楽でした。

でもある時からめっきり自信は無くなって
自分がゴミのように思えてきて、自分の
需要が分からなくなりました。
過去の栄光もプライドも持っているだけ
自分を苦しめることになるんです。

未来で私がまだ存在してるなら聞きたい。
そもそも生きてますか、まだ自分に自信が
ありませんか、誰も救えないって思ってます
か、と。
今の私は思ってます。

誰とも話せる自信も今は何も、何も
ありません。

私は私の殻を被った中身のない人になりつつ
あるらしい。

正しいのは

ただ消えたい、そう思う。

自分に対して向けられた言葉は鋭いナイフで
ひたすら辛くて、悲しくて、情けなくて、
私に対して誰よりも私自身が失望してる。

誰かに優しい人でありたい。
思いやりのある人でいたい。
その気持ちは、どうも自分の中のもう一人の
自分にはないらしい。
彼女はとても利己的で、自分勝手で、
とにかく自分のことだけを優先的に
考えているようだ。

私は障害者なのかと自分を何度も疑った。
ネットで調べて、当てはまる項目に
チェックして…。でも、その項目も一般的に
言えるような曖昧なものばかりで、結局
何の役にもたたなかった。
一番心を抉られたのは、母親にまで障害を
持っているのではないかと思われていたこと。
自分でも調べたくらいなので、もちろんそう
思われていてもおかしくはないけれど、いざ
その言葉で刺された時、血が溢れた。
痛かった、苦しかった。

母は子を選べない。母が可哀想。
どうしよう、私なんかが生まれたばかりに。
ごめんなさい、ごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。
一瞬で頭の中を駆け抜けた言葉。

今一番辛いのは 母なのに、最後はまた
慰められてしまった。励まされてしまった。
「いつかきっと、社会人になれば」
「まだ経験がないから。いつか」
いつかいつかいつか、きっときっときっと。
何度も何度も同じことで怒らせて
何度も何度も同じことで注意され
何度も何度も同じことで呆れられ
何度も何度も同じように僅かな希望だけを
持たせてしまう。

その期待に応えられず、その希望を
踏みにじる自分のことが分からなくて、怖くて
申し訳なくて、障害なのかもしれないと
思って、でもそれも逃げのように聞こえて。

そのうち、何故こんなにも親を悩ませ
苦しませ呆れさせ、心を疲弊させている私が
生きているのか分からなくなった。

私さえいなければ、母はこんなにも
心配することはなく、悩むことはなく、
抱いた期待を裏切られることもない。
父も、母をこんなに悲しませている私が
ずっといるのをどう思うのか。
ただでさえ、父は、母が私を一番大事に
思っていると考えている。
私さえ、私さえいなかったら、
母の一番は父になるし、やっぱり無駄な心の
苦労をかけずに済むってこどじゃないのか。

私自身の需要はあるのか?
その必要性は?何でいる?
何で生きてる?誰にとって必要?
私が消えたら誰か泣いてくれるか?
誰が泣いてくれる?

分からない、分からない、分からない。

私が存在することで周りにどのような
メリットがあるのか分からない。
何なら今のところデメリットしかない。

明日にでも消えられたら、きっと親に
楽させてあげられるのになぁ。

大切な人

母親が今朝突然大阪に行くと言って
私はただびっくりして「気を付けて」しか
言えなかった。
ここ最近ずっと、母親が昔働いてた間にずっと
お世話になっていた主任さんが、胃がんで入院
していたのは知ってたけど、日曜日にはこちら
から会いに行く予定だった。

でも、昨日の夜、主任さんから母親へのLINEが届いた時、明らかに文がおかしかった。
言い方が悪いけど、まともな意識の中で
打っているような内容とは思えなかった。
何か伝えようとして手元がブレたのかとか
考えたけど、明らかに意識レベルが落ちてる
という結論にしか至らなかった。

そして、今朝飛ぶように出ていった母親は
帰ってくる間も、帰ってきてからもずっと
泣いてた。あんなに顔をくしゃくしゃにして
泣いてる母親を見たのは多分2回目。
母親にとっては、自分を産んだ実の親(私から
すれば祖母)よりも大事で大事で大好きな人で
その主任さん自身も、母親のことを本当に
可愛がってくれて、本気で怒って、本気で
大事にしてくれてた。
看護師としても、誰よりも患者のことを考える
凄い人で。

「今まで散々患者に尽くしてきたあの人が何で
こんな目に合わなきゃならない?」と母親が
言った時、何も返せなかった。
今さっきまで泣いてた時も、何を言えばいいか
全然分からなかった。

主任さんの状態は、酸素をつけて、
2000mlの点滴を打ってるにも関わらず
尿量は50mlもない、口腔乾燥も酷くて
出血まみれで、骨と皮だけだったらしい。
今まで元気に働いてた人のそんな姿を、
そんな現実を、すぐに受け止められるわけも
ないと思った。聞いていて、自分がその場に
いたら見てられないと思った。でもそれを
見てきた母親の心はどれだけ抉られたのかと
思うと、あまりにも悲しくて吐き気がした。

私がまだもっと小さかった時(おそらくは
幼稚園児くらい)、母親が何気なしに言った
「夜勤が増える」という一言で、
自家中毒症というのにかかったことがあった。
小児に多く見られるそれは、過度のストレスで
引き起こされるものでもあって、別名は
ケトン血症嘔吐症。その名の通り、毎日何を
飲んでも食べてもその瞬間、胃に届くまでに
全部吐いてしまう症状が何日も何日も何日も
続いて、私はそれから今まで"吐く"という
行為にトラウマを植え付けられてる。
未だに強い吐き気に対しては呼吸が
おかしくなるほど。

でも、それが治るきっかけになったのは、その
主任さんだった。当時、病院は人手不足で
仕事が追い付かなかったのに、その人は私の
母親に夜勤を減らして少しでも多く家にいる
時間を作れと言ったらしい。私と一緒の時間を
もっと作れと。

母親もその時は本当に悩んでいて、何で私が
あんな病気にかかったか分かってないようで、
主任さんに相談をしたら、
「あんたの娘が何でそんな病気になったのか、
あんたは分かってないのか。子どもは親の言葉
一つ一つ何を聞いてるか分からない。あんた、
娘の前で夜勤が増えるとか言ったんじゃないの
か。それ聞いて、今までただでさえ家で寂しい
思いを我慢して我慢して耐えてた子がどう思う
と思う?はっきり言うけど、その子が病気に
なったのはあんたのせいよ」と言われたらし
い。そして、夜勤を減らせと怒ったと。

そんな事情、当時の私は知らなかったけど、
その後母親から「夜勤減らして貰ったから
もっとゆうかと一緒にいれるよ。ごめんね、
ごめんね」と何度も謝られ、次第に症状も
治まった。
何日も、氷3つを1日かけて食べるしか
出来なかった日々はやっと終わった。
本当に安心したのだと思う。

つまり、その主任さんが私の病気の正体に
気付いてくれなかったら、私はもっともっと
治るのが遅かったかもしれないということ。
その人がいたから救われた。
私も、その人に助けられた。

なのに、もう、その人は、今日を
乗り越えられるかどうかのギリギリで
呼吸をしてる。
絞り出すような声でしか話せないあの人を
想像しただけで、私も視界が歪む。
幼い頃の記憶にあるあの人はもう
明日には会えないかもしれない。
そしてもうすぐ確実に会えなくなる。

人はいつか死ぬのは分かってる。
自分の母親も、父親も、友達も、恋人も、
自分自身も、毎日生きてることそのものが
貴重ということ。 誰でもいつ死んだって
それはおかしくないこと。

そんな中でも、こうして間もなく
会えなくなることが分かってるというのは
ただただ辛い。
自分が社会人になったら伝えたいことも
たくさんあった。でも、もうそれも叶わない。

クソみたいな命が残って、何で生きててほしい
人はみんないなくなるのか。

それだけが、ずっと分からないまま。
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