古倉庫には明かりはなく、埃が喉にからみつく。
縄抜け練習しといて良かったな、と鷹臣は呟いた。
目測で三十人。うち、武器を持っているのが約半数。
見くびられたものだと思う。
東を統一し、西の情報を得るため捕まってみせたが手応えがなさ過ぎる。
ああ、つまらないつまらない。作戦なんか立ててないで正面からトップを引きずりおろしてやれば十分だったのだ。こいつらは用無しだ。もう、帰ろう。そうだ、帰って寝よう。西校を傘下に入れるのは明日でいい。
舌打ちをして立ち上がった鷹臣に、囲んでいた西校の生徒が驚愕した。
最初に飛びかかってきた相手を半歩退いてかわし、半歩戻る勢いで顔面を抉る。
殴る。
蹴る。
殴る。
踏む。
蹴る。
ああ、つまらないつまらない。
起きあがれ、立ち向かってこい。
片手で数えるほどに減った敵の目にはもはや、怯えの色しか見て取れない。
今にも鷹臣が帰るための道を空けようとしそうな空気が漂い、本当に時間の無駄だったと思った。
「おまわりさん、こっちです!」
倉庫の入り口から聞こえた声に背中を押された敵が仲間を置いて裏口を目指した。
ああ、つまらないつまらない。
あんな連中を傘下に入れてもつまらないままなんだろうな。
駆け寄る見慣れた影に、一度深く息を吸い、わざと明るい声を出してみせた。
「いーけないんだいけないんだ。先生が嘘ついちゃいけないんですよ?」
目が笑ってないよ、と見上げる男の方こそ今にも崩れ落ちそうだった。
「だって、警察呼んだなんて嘘だろ? もし捕まったら俺入院させられちゃうって、早坂先生も知ってるでしょ」
暴力の塊の自分をこの男は知っている。そう告げると、男は自分の拳に触れてきた。
「知ってるよ。鷹臣くんが喧嘩に強いのも、たくさん手下がいることも、警察に何回も補導されてるのも知ってるよ。だけど、」
だけど、だけど、と繰り返しながら握りしめた拳の指を解いていく。
両手の指の数だけ、だけどを繰り返して、早坂の指が手のひらに触れた。人を殴ったこともないような手が自分の手を握ってくる。
自分よりも一回り小さい肩が震えた。泣いていると気付いたが、両手を封じられたまま早坂のつむじを見つめるしかない。
「だけど、君が怪我をして帰ってくるまで待っているなんてできなかった!」
「怪我なんてしてない」
「君だって傷ついてる!」
声を荒げる早坂が不思議だった。
喧嘩でなく男に泣かれるなんて、扱いに困る。
ああ、早く帰って寝たい。
仕方がないので両手を預けたまま名前を呼んだ。
「早坂先生」
「こっち見て」
「なんで泣いてるのか教えて?」
女の癇癪を宥めるように、つむじに口づける。
握られた手をそっと握り返す。
「俺は怪我なんてしてないから。泣かないで、早坂先生」
「…嘘をつくな!」
更に強く握られた手のひらが、ちりりと熱い。痛いというほどのものではない。拳を振るう間に己の爪が食い込んでいただけのことだ。
こんなこと自分は慣れているのに、この男はそれだけで泣くのか。自分で付けた傷でさえ。
「鷹臣くん、喧嘩なんてしないで。だって、君の手だって、ほら、ちゃんと傷ついてる。短い爪なのに、こんなに血が出てしまっている。今だって笑ってるのは顔と声だけだ」
やっと顔を上げた早坂は涙を止めていた。赤い目で約束を請うてくる。
「もう、喧嘩しないで」
お願いだから、とつないだ手に込められた力が煩わしかった。
振り払いたかった。
今にも崩れ落ちそうな男から離れたかった。
手を払ってこの場を去ることは簡単なはずだ。
どうして自分はしないのだろう。
なぜ、早坂の耳朶に甘言を紡いで笑いかけているのだろう。
「ごめんな。早坂先生が泣くならもうしないよ。先生に泣かれると俺も悲しいよ」
最後まで聞かずに、早坂は嗚咽を堪えることもせずにまた泣いた。
ああ、早く帰って寝たい。
○●○●○
ほっとけ先生で早坂先生と鷹臣くん。
ピュアピュアな早坂先生が書きたかっただけのはずが、鷹臣くんがめっちゃ病んでる!
鷹臣くんは必要以上に拳を強く握っているがその理由に気付いているのは早坂先生という捏造。
もはや後悔はしていない。
お題:空をとぶ5つの方法