※もしかしたら、若干薔薇っぽい表現があるかもです。
苦手な方はここを飛ばすことをお勧めします。
お題小説「109.クチビルノスルコトハ」
清美×進
「俺、やっぱり先輩のこと、大好きです」
夕日が眩しい。
病院の屋上のフェンスに背を預けている進。俺は少し距離を置き、背中越しに、進の様子を伺う。
するといつもの如く、突然振り返り、そんな突拍子もないことを云い出した。
いつもと、いや、いつもより穏やかな口調で。
人懐っこいあの笑顔に、もう抱いていた違和感はなかった。数日前とは違って、すんなり言葉がオレの心に入ってくるから、こそばゆい。
だから、何て返事をしてやれば良いのか、分からなかった。オレは、進のことをどう思っているのだろう。他人に対して、好きとか嫌いとかいう感情で、分類したことなんかなかった。
だから、戸惑う。
進は、クラスメイトでも風紀委員でもない。
オレのせいで、人生が狂ってしまった全の……弟だ。
憎んで、それこそ数日前のように嫌って、殺したいくらいの気持ちがあっても不思議はない。それなのに、進はオレに全く違う言葉を向けていた。
オレは、簡単に答えて良い筈がない。
「今は水城さんのが一番でも、必ず俺のものにしますから」
ちょ、待て。
こいつは今、何を云った?
オレが黙っているのを良いことに、進はさらりと言葉を紡いだ。
人が真剣に考えていたというのに、それを真っさらにしやがった。
というよりも、寧ろ何を云っているんだ? どういう意味だ、それは。
どうしてそこで水城が出てきて、それに俺のものって何なんだ。オレのものはオレのものだ。
「やだなぁ先輩。焦り過ぎ」
「お前が分けわかんないことを、ポンポン吐き出すからだろ。
頭が回らない」
「俺、そんなにおかしなこと云ってますかね? 前から同じようなこと、何度も云ってきたと思うんですけど」
いや、確かにその通りだ。
しかし、確実に前とは違う。いちいちこそばゆい。
「んー。何ならもっとはっきり云いましょうか?」
「は?」
にっこりと浮かべる笑みが、意地悪そうに光っている。
物凄く、嫌な予感がする。
「俺と結婚してくださいっ。きゃはーっ。云っちゃったっ」
「何がきゃはだ。バカかてめえは! 俺は男だっ」
「もー、分かってますよ。先輩」
そう云って、進は一歩。たった一歩、オレとの距離を近づけた。
オレを真っ直ぐ見る進の視線から、オレは逃げるように進から目を逸らす。
「俺、先輩相手なら男相手でも、全然構わないんです」
不思議なことに、と付け加えた。何となくまた笑っているんだな、と分かってしまった。
進は、オレに逃げ道を与えてくれる。
それこそ水城とか、高瀬なら冗談だろ? とか云って誤魔化せるんだろうが、あいにくオレはそんな術はない。
それに、あながち真剣に云っている。ということも伝わってきたので、そんなふうにつき返すこともオレには出来ない。
オレは結局また、黙っていることしか出来ない。
オレは別に特別進のことを嫌っているわけではない。でも、だからと云って好きと云えるのかも、分からない。まして、進と同じ重さで好きかどうかなんて、見当もつけられない。
完全にオレの許容範囲を越えている。
答えないで、黙っているオレは、本当にずるいのかも知れない。
そして、沈黙を破るのはまた進だった。
「先輩、そんなに考え込まないで下さいよ〜。
俺、てっきり誤魔化されると思ってたんで、今ちょっと本気でいっぱいいっぱいです」
「……誤魔化して欲しかったのかよ」
「まさか。嬉しいですよ。考えてくれて。
でも先輩、ぶっちゃけどう答えて良いかなんて、分からないでしょ?」
だから、要らないです。
少しトーンを抑えて、締め括った。
オレは見透かされたことに驚いて、慌てて視線の照準を進に合わせた。彼の表情は変わらず、穏やかなままだった。
「バカ」
オレは、それだけを返すのが精一杯だった。
ホッとした反面、何だか情けなくなった。
「ごめん」
だから、それを付け加えた。
今のオレには、進の望むような答えを出すことは出来ない。
しかし、進はもぞもぞと落ち着きをなくし、表情を崩す。目線もオレから外れて、明後日の方を向いた。
「や、別に……謝って欲しいわけでもないし、な」
急に進の言葉の歯切れが悪くなった。
「何だそれ。適当に謝ってるわけじゃねえんだけど」
人が申し訳ないと思う一心で謝っているというのに、失礼だな。
「そんなこと、微塵も思ってないですって。先輩、真面目ですし」
即否定されたが、フォローされている気はしない。
「云いたいこと有るなら云えよ。んなでかい図体してせわしないと、オレまで落ち着かねえ」
「あ。酷い。元はと云えば先輩がっ」
「だから、云えば? 目の前にオレ、居るし」
すると進は奇声を上げながら、自分の頭をぐしゃぐしゃと掻き回した。そして、勢いそのままで捲し立てた。
「なんかそんな態度取られると、キスしたくなるじゃないですかっ。それだけです!」
……………………。
……………………。
何だって?
オレと、こいつと、
キス?
「やっぱり。そうやってぽやんってするじゃないですかーっ。
だから……ああ、もうっ! もう云っちゃったんだからしょうがないですね。俺、しますね。キス」
そう云って進はオレに顔を近付けるから、進には申し訳ないと思いながらも、顔を背けた。
「……云わせておいて、それはないですよ。先輩」
ごもっともだ。
オレは申し訳ないから、彼とは視線を合わさずに白状した。
多分、今のオレの顔は、凄く赤い。
「したことねえんだよ」
笑われるのかな。柄にもなくそんなことを思った。高校生にもなって、キスもしたことないのか、とか。
だけどオレは本当に、ない。
「俺だって、男相手にしたことないですよ」
ごめんなさい。
オレは女の子相手にもしたことないです。別に、無理にしようとも思わなかったし。
「じゃあ、ほっぺたになら良いですか? 唇は両思いになった時か、さっぱりオレが先輩に振られた時に、することにします」
これでは有り難いのか、そうでないのか、さっぱり分からない。
笑われなかっただけ、ましなのかも知れない。
「兄貴にも、ほっぺにはさせてましたもんね?」
う。
「覗いてるなよ」
まさか見られていたとは思わなかった。
「見えたんです」
軽口を叩いた後、進はそっと指先でオレの髪を撫で、頬に触れた。
キスされると分かっていて、されるがままになるのは、不意打ちを喰らうよりも、脈拍が速くなるなんて、知らなかった。キスでも何でも良いから、手早く終わらせて欲しい。これでは心臓がいくつあっても足りやしない。
「あれ。先輩の髪ってさらさらですけど、染めてませんか? ってか、うわ、もち肌じゃないですかっ」
こっちの気持ちとは裏腹に、進は中々終わらせてくれない。きょりがちかいせいか、耳元に息がかかって、くすぐったいようなくずぐったくないような、変な感じがする。
「そんなことは、女の子にでも云ってやれ」
「嫌ですよー。俺、先輩に云いたいんですから。嬉しくないですか?」
嬉しいものか。
少なくともオレには厭味としか聞こえない。
「するならするで、とっとと終わらせろ。んで、早く離れろ」
「何をですか?」
改めて云われて、体温が上がる。
こんな至近距離で、男二人が何やってるんだ。冷静になればなるほど恥ずかしい。
というよりか、イタイ。
「先輩」
甘えるような声音で、進は云う。完全にこの現状を楽しんでいる。
「……………………頬にキスするんじゃねえのかよ」
「して欲しいですか?」
んなわけあるか。
しかし、それを云ったら恐らくこの距離から、一向に開放されないだろう。
一時の恥だ。
「して欲しいから、促してるんだよ」
云わせたいなら云ってやる。
「先輩、そんな顔して自棄になられたら、余計に焦らしたくなります」
穴があったら入りたいのは間違いない。
たかが頬にキスするだけで、こんなにあたふたするとは思っても見なかった。
「でも、今は先輩の意見を尊重します」
今はというところに、引っ掛かりを覚えたが、構っている余裕は、オレにはなかった。
了。