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Twitter


話題:twitter

Twitterで鬱ツイートをしてしまいました。

「わたしなんかに友達は勿体無い」といった内容だったのですが、何てことない気持ちでポンとポストしたつもりが、想像以上の反応をいただいてしまって…。

日々の鬱積した思いを吐き出すためにTwitterを始めたようなところがあるので、こうやっていちいち反応されてしまっては日常と何ら変わりがないな、とか思っていたのですが。

結局、そういうことなんですよね。これもれっきとした「日常」なんですよね。
何でもかんでも抱え込んで、誰も知らないようなところで発散していてはきっとだめなんです。



豆田は「人に頼る」をおぼえた!

あーあ

目星をつけてたバイトですが、短期は募集してなかったみたいなので断念しました…
もう登録制のバイトにかけるしかないのかな〜

とかなんとか言いつつ、学芸員の資格を取るためのお勉強も今のうちから始めておいたほうがいいのかしら…とびくびくしております。
あと中国語も詰めなきゃね。




話題:‡相棒‡

神戸くん卒業についてはわりと楽観的なわたしです。
S8ー15話でも神戸くんは「杉下さんはある種の天才」だとか言ってますし、自分と右京さんは違う人間なんだって彼なりにわかってるはずなので、「杉下さんの正義には敵わないから警察官を辞める」みたいな、右京さんの正義と比較しちゃったから自分の正義が揺らぐ〜なんてことは絶対にない!…と、思うんですけどね(笑)

そんなことより(こら)相棒展ですよー!
わたしローチケを利用したことがないのでよくわからないんですけど、手数料とか利用料ってどんくらいかかるもんなんですかね?
チケットは前売りのほうが300円ほど安かったと記憶してるんですが、手数料とられちゃったらあんまり変わりませんよね…?

まあ、どっちにしろ行くけど。

やる気と事変と

部活やってても、講義受けてても、わたしの目の前ではただただ物事がするすると流れていってしまうばかりで、何一つ実にならないんです。
そうです、意識の問題です。要するに、やる気がないんです。

明日から、どんなことも「意識的に」取り組む練習をします。
例えばそれは、車の運転だったり、買い物だったり。特別になにがしかに取りかかるってわけじゃなくて、そういう日常の端々からじわじわ攻めていこうかと。

はい、とりあえず、近くのパン屋さんに電話してみようかな。…バイトです、バイト。





話はうって変わって、明日の東京事変のラストライブ。
もちろんのことチケットは手に入らなかったわけですが(だって競争率半端じゃないんだもん!)、せめてライブビューイングは見に行きたいな〜とか思ってたら、あれチケットの販売は昨日までだったんですね…しくじった…
大人しく雑誌のライブレポを待ちます(泣)

昨日のランチ

話題:ランチ


三重県多気郡の「まめや」さんにお邪魔しました!
大豆からできた食材(豆腐、味噌、おから、おあげなど。もちろん自家製)を使ったヘルシーなお食事。肉や魚は使用していません。「豆」田にはぴったりのお店ですね(笑)

バイキング形式です。
わたしのお皿はこんな感じになりました。

カメラへたくそですいません…(笑)

右下のお皿には、かぶら煮、何かの野菜(忘れた…フキみたいな食感でした)のきんぴら、がんもどき、菜花のおひたし。
左下のお皿には、豆腐、白和え、おからコロッケ、豆乳寒天。
ヘルシーですがボリューム満点!1人1200円でおかわりし放題なので、お腹いっぱいです。


食事以外にも、地元で作られた無農薬野菜を買えたり、おからでドーナツを作る体験もできます。
野菜売り場の入り口付近には、袋詰めされた大量のおからが。こちらはなんと無料でお持ち帰りOK!(1人一袋までですが)



また行きたいな〜(^^)

光母子殺害事件

元少年の死刑が確定したそうです。

わたしは頭が弱いので少年法や死刑制度がどうこうとかおそらく一ミリも正しく理解できていませんが、人間なんて理性だの倫理だの綺麗事並べたてたところで、結局はどうしようもなく本能に従順な生き物なんだろうかと思うとやっぱりやるせないです。

凶悪な犯罪者は厳しく処断されて当然だと誰しもが思ってるわけじゃないですか。
彼の死刑が決まって、胸がスカッとしている人間はきっと少なくないと思うんです。本村さんもそれを望んでいたわけですし。
でもそれってなんだか、わたしには人として生きることそのものへの諦めのように見てとれるんですよね。

高校の頃、現代社会の教科書にこんな言葉があったのを覚えています。
「私達は、罪人を死に導くために警察官になったのではない。罪人を更生させるために警察官になったのだ。」
当時はわたしも「こんなのただの綺麗事じゃないか」と思ったものですが、今回の事件とその判決に際して、わたしたちはこの言葉の意味をもう一度捉え直すべき場面に直面しているのではないでしょうか。

元少年を死刑に追いやった(あえてこう表現させてもらいます)本村さんは、彼の死刑が執行されたあと、一体何を得るんでしょうか。
結局この戦いははたして有益な何を生んだんだろうか、そう考えるとどうしようもなく切ない気持ちになります。

当事者でないからといって、わたしたちは今回のことから決して目をそらしてはいけないと思います。
人として生きている以上、それは義務なんじゃないでしょうか。

本村さんのこの意志を、「人間の本質」への証明にしてしまっては、いけないと思ったのです。
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