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ホキ800

機関車牽引による仕業として真っ先に思い浮かべるのは何だろうか?
今でこそ衰退してしまい、限られた列車のみが残存する華やかな客車牽引だろうか?
はたまた以前のような長大で雑多な貨車を牽引していた時代からは、想像しにくい程にコンテナのみに変貌してしまった貨物列車だろうか?
それとも、運がよくなければお目にかかる事の少ない甲種回送だろうか?

勿論、ブルートレインや貨物、甲種回送も機関車牽引による仕業としては魅力的だろう。しかし、もうひとつ何か忘れてはいないだろうか?

何が牽引しても…とは言いにくいが、そんな形容詞が似合う貨車がある。

少々大袈裟だが、所謂「貨物列車」とは一味も二味も異なるのが「工臨」ではなかろうか?

今回はそんな工臨には無くてはならないホキ800(TOMIX製品)を配備したのでこの話を。

TOMIX製ホキ800にはグレードアップパーツまで同封されており、かなりそれらしく仕上がるのも有り難く、オプションで別のナンバーも選択可能だ。
今回はあまり拘らずに付属しているナンバーを使用し、付属のグレードアップパーツにプラスして自ら手を加える事にした。

付属のエアータンクとグレードアップパーツであるハンドルとレバーを取り付ける。
ハンドルのリンクには細密化を施せるよう0.5mmの穴が既に開けられており、シュートの端に合わせて0.5mmの真鍮線を取り付ける。
ホッパーにもフレーム側に同サイズで開口されているので、此方にも0.5mmの真鍮線を取り付けた。
ホッパー内にはレイアウト用のバラストを積み、固定した。
我が鉄道管理局の機関車は全車輌TN化されているので、それに合わせるためにホキ800の連結器も密着自連ではあるがTN化した。
工臨用、という事なので全体的に艶を消し、普段は野晒しになっているようウェザリングを施して完成とした。

こうして我が鉄道管理局に漸く工臨列車が走行可能となった。
まだまだ数量は2両だが、取り敢えずはこれでよしとした。追々余裕を見て増備に践みきればいい、という程度であり、年末には待望のTOMIX製183系1000番台がリリース予定になっているため、此方の配備が主眼に措かれているからが理由でもある。

※画像は真鍮線にて加工中のホキ800。

485系

上越線と云って欠かせないと言えば…やはり「とき」だろう。
14往復有った往時を知っていれば当然だと思うし、L特急の面目躍如といったところだろう。

上越線のスターが「とき」だとすれば、他は脇役なのか?
否、そうではない。
「白山」と共通運用だった「はくたか」は485系だけでなく489系でも運用された、上越線の中でも特異な存在だ。
ボンネットをはじめとして貫通、非貫通、全ての車輌で運用していた事を考慮すれば、実にバラエティーに富んでいる。

そんな中、外す事が出来ないのが「いなほ」である。

キハ81系からスタートした「いなほ」だが、後に485系化したことにより、編成は一気にグレードアップした。
実はこの「いなほ」、運用を調べてみると各先頭車輌を全て使用実績のある車輌でもある。
尤も、1500番台や3000番台はJR移行化後の話になってしまい、自分の範囲を逸脱してしまうので今回は却下してしまうが。

青森運転所(以下、盛アオ)の管轄だった「いなほ」は、当時の盛アオ所属で「はつかり」や「やまびこ」等も担当していた事により、「いなほ」に使用する車輌もボンネットや当時まだ新鋭だった200番台(貫通)が多数集中配備されていたため、貫通をメインに稀にボンネット、と言った運用をしていた。
後に300番台(非貫通)も盛アオに集中配備された事により、「いなほ」にも非貫通を使用する場合が有った。
直後、秋田運転所に移管し、「つばさ」との共通運用する事になる。
(「つばさ」用に1000番台を新制配備予定だったが間に合わず、「いなほ」の200番台を使用したのは有名だろう。)

話は相変わらず長いのだが、今回は485系「いなほ」に関する話。
先程にも記したが「いなほ」は様々な先頭車輌を使用したが、一般的には一番時期の長かった300番台(非貫通)のイメージではなかろうか?

「ゴーナナ・イレブン」改正により上越線運用の無くなる前の「いなほ」のイメージなので、自分としては200番台(貫通)になる。

しかし、現在TOMIXで販売している485系(HG仕様)にはボンネット、貫通、非貫通とバリエーションは揃っているのだが、自分にとって肝心な200番台「いなほ」が完成しない。
…ヘッドマークが無いのである…文字のみのヘッドマークであれば、オプションで存在する…しかし、自分が欲しいのは「絵入り」である。
(実はヘッドマーク関連でもう1編成出来ずに手を出しあぐねている特急が…それはまた後日…)

我が鉄道管理局に所属する「いなほ」は、まだTOMIXから485系(HG仕様)が発表される遥かに前、まだ583系が漸くTOMIXからHG仕様での発売になる、そんな頃に苦労を重ねて12両編成を1本作成している。
無論、先頭車は200番台で絵入りヘッドマーク、パンタ車は車掌室付きの600番台、食堂車も連結している往時の編成だ。

当時のTOMIX製485系の製品を知る者なら、「あの」色合いで?…そう思ったに違いない。実は、当時のTOMIX製品に485系ラインナップに食堂車は存在していない…出来たのは短編成化後の姿が再現出来るのみ。
往時のいなほ編成を組成するには、幾つかのハードルが有った。

・200番台の先頭車を確保する
・200番台用にいなほの絵入りヘッドマークを確保する
・600番台のパンタ車を確保する
・食堂車を確保する
・上越線運用を考慮し、動力車は2両とする
先ず200番台の先頭車は、当時3両セットにてパンタ車の600番台も含まれており、取り敢えずクリア。
ヘッドマークはサイドパーティー(ペンギンモデル)から販売されていたヘッドマークステッカーを入手し、事なきを得ている。
同時に単品販売もまだ充実していた事も幸いし、動力車の2両化もすんなりと達成。

問題は485系ラインナップに存在しない食堂車の確保だ。
逆の発想により、24系25形「北斗星」が使用する食堂車スシ24は元サシ481である事を思い出し、非常に高価な食堂車だが、「北斗星」から捻出し、塗装の上に改番する事にした。

食堂車を国鉄特急色に塗色変更する関係ではないのだが、どのみちこの頃のTOMIX製485系の色合いは明る過ぎなので、編成の統一化を図る為に先頭車を含めて12両全て再塗装する運びとなった。

全車輌BMTN(ボディマウントTNカプラー)化し(食堂車は元客車のため、BMTN非対応を改造にて取り付け)、GMカラーではなくMrカラー(既に廃盤)のクリーム4号と赤2号で塗装、屋根も新制配備当初のシルバーとした。
室内灯を組み込む関係上、室内はシートを全て塗装、ボディ裏側も室内色を塗装してある。
しかし、この頃はLEDの室内灯はまだ存在しておらず、許容量をオーバーしてしまうため、一時的に室内灯装備を見送っていたが、LED室内灯の販売に合わせ全車輌LED室内灯装備とした。
200番台の先頭車もATS車上子や速度検出装置、乗務員扉ステップ等も取り付け、現代版スペックにも劣らないように仕上げた。

これにより我が鉄道に計画されているループ線もクリア可能な485系200番台「いなほ」がほぼ完成となり、残るは少々のウェザリングのみ、となった。

今でこそHG仕様の485系が存在する、というのに何を今更…とは思うだろう。
実際、レンタルレイアウトでの走行時では、反応は薄いのが実情だ。
しかし、我が鉄道管理局に所属する車輌は、「よく見てみると………!?」と言った車輌にするのが信条であり、単に車輌をコレクションしているのではない事を、少しでも垣間見れるなら本望だと思っている。

車掌車

前回ヨ6000の新制配備からさほど経過していない状況の中、有らぬ方向から車掌車の増備計画が計上され、再び車掌車が新制配備された。

今回はヨ5000である。

無論KATO製であるが、今回は少々勝手が異なるのだ。
というのも、前回新制配備したTOMIX製ヨ6000の時に導入したTNカプラー0396はKATO製品への転用が可能になった事により、大きな転機を迎えたのだが、今回のヨ5000も同様にTNカプラー0396が使用可能となり編成端に使用する事が出来るようになった。
既にKATO製機関車に関しては変更済みなので、牽引機も制約を受けない状態になっている。

機関車と貨車の連結面はTN化で統一する事が決定したので、貨車間の連結面同士をKATOカプラーとし、ヨ6000共々同一の仕様とした。
従って、車掌車のブレーキハンドル側はTN、反対の妻面はKATOカプラーという形態である。

これにより我が鉄道でのメーカー違いによる牽引機の制約は無くなり、機関車の次位又は編成最後尾に車掌車が連結される編成が組成可能となった。

PFその2

EF65-1000番台と云っても、大別すると前期と後期に分類出来るのは常識だろう。
特に後期形は九州特急の先頭に立ち、華々しい活躍をした事で有名だ。

しかし、その番台区分として初めて登場した時は実に地味であった。

抑、PF型が登場したのはそれまで一般形と特急形、P形とF形と、作り分けされていた事により使用にあたっても使い分けが必要となり、ことF形に限っては重連統括制御車でありながら非貫通の前面を持ち、使い勝手はお世辞でもいいとは言えない。

このように輪雑さを解消すべく登場したのがPF型であり、一般形の製造打ち切りと平行の製造という形だった事もあり、当初は貨物運用に充当されたのも地味な登場の理由とも言えよう。


さて、前置きが長くなる前に本題に入るが、今回はPF型でも前期型をTOMIX製で導入したのでこの話を。

プロトタイプは前期型の特徴でもあるPS17パンタグラフと前面通風ルーバー、内嵌め式テールランプにエッチング切り抜きナンバーを採用していた最終ロットである4次量産車(昭和44年度第4次債務)である。

今回は貨物運用に従事する予定となっており、比較的貨物機らしさを出しながら新鋭機である様子、というコンセプトとしてウェザリングは控えめにし、各種装備品は撤去されない状態とした。

空転検知装置とエアーホース、手摺は銀河、貫通扉ストッパーと標識灯掛け、避雷器配線をTAVASAのパーツで取り付け、色差し等をした上でウェザリングを少しだけ施した。

こうして入線可能になったPF前期、上越線や東北本線での貨物運用に従事出来る事になった。
プロトタイプになった車輌が製造されたほぼ同時期に寝台特急「あけぼの」の先頭に立つようになったが、ヘッドマーク無しの姿は自分のイメージの貨物機と何等変わりないのは自分だけだろうか…。

ヨ6000

今は無き雑多貨物列車…

自分が小学生の時分では当たり前だった光景…異形式の貨車がEF15やEF12、場合によってはEF65-1000番台(PF、前期形)によって上越線貨物列車の牽引をしていた。
(EF12は吾妻線や両毛線になるが…)

そんな雑多な貨物列車には、大概が箱形の車掌車が連結されており、東海道本線のように凸形のヨ8000が連結している姿は見られなかった。
大半がヨ3500やヨ5000、ヨ6000であり、中にはワフも居たようだが記憶が定かではない。

今回はそんな地元を走った貨物列車に連結されていたヨ6000を新制配備したのでこの話を。


TOMIX製のヨ8000同様テールランプの点灯も可能なTOMIX製ヨ6000。数年鉄道模型から離れていると、モディファイは行われていて当然であるが、それまで貨車関係で使用可能だった0391ではなくTNカプラーが0396という品番となっており、勿論在庫など我が鉄道では存在していない。
機関車のTN化を推進するあまり、貨車のTN化は進んでないため、機関車の次位や最後尾への連結を考慮して片側のみTN化をする事に決定したからが理由となる。

交換してみると、これはなかなか…。
是非とも最後尾でテールランプを点灯させてしんがりを務めてもらいたい。

しかしこのカプラー、KATO製の機関車にも転用出来そうだな…時間があったら試験してみよう。
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