眠りに就けなくて、五時。否、六時になろうとしている。よれた布団の中で寝返りをうつことにも飽いて、枕元の煙草を一本選び、穂先に火を点す。
部屋に充満したネガティヴな空気を入れ替えるべく、ベランダの引戸を、がらがら。ひんやりと、冬に冷やされた空気が僕の頬と擦れ違ってゆく。
「参ったな、眠れないのは」
誰に宛てるでもない呟きは、寒さに吹き飛ばされて、きっと此の地球上の誰にも届くことはないのだろう。
良いさ、其れで。寂しさ、孤独感といった類いの感情は生まれない。僕ごときの下らない呟きなぞ、音にするにも文字にするにもあまりに無意味。自称・合理主義者の僕にとっては、実に都合の良いことなのだ。
唇から紡ぎだされる言葉に、取捨選択を。
脳味噌の内側が痒い。地主小僧いとあはれなり。
エレクトロニカの井戸で溺死。押し寄せてくる波と君。
ぽろんと弾くわけもなかったんだ。耳が千切れてしまう。
“体調と天気が、とても悪いの”
と、あの子はいう
ぼくは天気の話だけをした
傘がどうだとか
雨漏りがどうだとか
あの子が心配されたがるのを知っていて
ぼくは敢えて、知らんぷりをする
“わざとなんでしょ”
と、あの子はいう
ぼくは顔も見えない通話相手に愛想笑いをし、音楽の話をふった
体調が悪いひとに無理をさせる趣味はないし、
かといって電話を切るきっかけは掴めないし
ぼくは敢えて、彼女の望みにはこたえきらない
あの子が救急車で運ばれようが
気がちがってしまおうが
ぼくの生活は変わらないので、
ぼくが世話をせねばならない理由はない
心配して治るなら心配するさ、
あの子が得意な仮病や、膨らませた話なら治るだろうけど
心配してほしいのなら、そういえばいいんだ
あの子が心配しろ、気遣え、というまで
ぼくは話を逸らしつづける
自分がすきなひとには
(友達・家族・仲間・恋人だれでもいい、つまりは自分を知ってほしい相手)
“ありがとう”
“ごめんなさい”
“すきです”
“助けてください”
この、4つを言えれば関係は円滑になる
と、いう話がある
あの子は
“ありがとう”と“すきです”にあたる言葉をくれるが
あとのふたつをぼくにくれない
それはつまり、
たいしてぼくを好いていないということなのか
言葉が足りていないだけなのか
それはぼく一人では判断できかねるが、
なるほど、確かにぼくらの関係は滑らかでない
さて、またあの子がぼくに
心身の不調を訴えてくるのだが
ぼくは“助けてください”と素直にいうべきかな