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お知らせとお詫び




初めましての方も、そうでない方も
お久し振りです。

花鳥風月の杏凛です。


前回のブログの内容と重ね重ねになってしまいますが…。

ファンの方もいらっしゃるこの中で
なかなか更新できずにいることを
心からお詫び申し上げます。

改めて
お仕事やアルバイト、そして趣味との両立は難しいものだと
実感しております。



ご心配されている方のために、近況報告とお知らせを。



あれから私は
演劇の道を歩み始めて
途中、やるべきことを見つけ、それを成し遂げるべく
演劇の活動を一旦お休みさせて頂いております。

やるべきこと、と言っても
自分の足元を固めるという…

つまり、なんの貯蓄もない、収入もない中での
生活から抜け出そうと

演劇活動に溺れて生きてきた途中で
平坦な生活を送ってきた自分が
なんだかつまらないと感じ始めていましたので

少し前の自分では考えられなかった
演劇活動の休止、を選びました。


足元を固めて
仕事をこなしつつ自分のやりたい趣味に没頭しつつ
そんな生活を送れたら、と

演劇活動に少しでもつまらなさを感じた自分にとっては
良い判断だったと今では思います。


あれからも
色んな方からオファーやお誘いもありましたが

決めた道を歩もうとしている中
何もかも中途半端な状態だったため

頼まれても最小限に。
自分にも相手にも負荷がかからない程度に
お手伝いをしました。

今でも、そんな状態が続いております。

オファーがあるのは、幸せなことですね。
それだけ、私を頼りにしている、信じているということですから。

そんな方々のためにも
事情を説明し

早く環境が整えられるように
努力していきたいと思っております。



そんな中
私は、小さな命をこの身に宿いました。

大切な人との間に恵まれた
大切で小さな命。


当時、私は実家暮らしのアルバイト。
彼は、正社員。

結婚を前提にお付き合いをさせて頂いている中に
命を宿いました。

色んなご意見もありますが…
そうです。授かり婚です。


本来とは違う順序でのお話になってしまいましたが
両家の顔合わせも済ませ

今はとにかく
私の身体のことを第一に
優先させるべきことを考えていました。

そこに辿り着いたのが
新居で生活環境を整えることでした。

それは、つまり
私にとっては長年大事に育てられた
家族の元から離れる、ということです。

離れる、と言っても
決別するわけではないのですから

彼と二人
自分たちでできることはやり

それでも足りなければ
親戚やお友達など
色んな方々の援護も頂きながら

新しい家族を築いていこうと、決心しました。



しかし…

年が明け、新居の生活環境も整い始めた頃

その小さな命が、静かに光を消しました。


心肺が停止している、と医師から告げられた後も
まだ希望はある、と僅かな光でも全力で信じていました。
もちろん、ダメかもしれない、という覚悟も持っていました。

そんな中でも
この子の母親として、最後まで責任を持って
この子を愛し続けました。


ですが
医師に告げられた日から、1週間。

状況は変わらず
予想していた通り、稽留流産だと、そう告げられました。

その時の私はあまり知識がなく
自覚症状がないため
受け入れるのに、理解するのに、時間が必要でした。


いっぱい、泣きました。
それはもう、声を上げて。

息が苦しくなっても
息ができなくなってしまっても

彼と二人
彼の腕の中で、泣き続けました。

覚悟はしていたはずなのに
こうして現実を突きつけられると
やっぱり、涙が流れずにはいられなかった。

ただただ、悲しかった。


避妊していながらの妊娠に
正直な話、驚きもありました。

彼とのこの先の人生プランにおいて
子供ができる、ということは頭の中にありましたが
こんなに早くにできるとは思わなかったのも事実です。

ですが

妊娠している。
この身体の中に、新しい命が宿っている。

そう実感した時

何が何でも、産もう。
大切な彼との間に生まれた、たった一つの命を私達が育てていこう。

と、そう決めていました。
後悔なんてものは、最初からありませんでした。


両家両親とのお話し合いは、とても大変でした。
それでも、私の親戚も含めて、心から喜んでくれました。


それだけに
小さな命が消えてしまったことが
私の中では今までにない、大きなショックでした。

私自身が生まれてから
身の周りの"死"というものを経験したことがない私にとっては
それは

とてもとても
尊くて儚い、それでいて重い
悲しいものでした。



悲しんでばかりではいけないと
稽留流産を告げられた後

日にちを改めて
手術を受けることにしました。

しかしその後
2日してから出血が始まり
それでも手術は予定通りに実行しました。


何もかもが初めての中
不安で押しつぶされそうでしたが
いつも隣で支えてくれたのが、彼でした。


そのお陰か
大変な事態も起こることなく
無事に手術も終えることができました。


心肺が停止している、と判断された時
手術を決断した時
初めての入院をした時
辛かった下準備にも耐えた時

そして
翌朝、点滴を打たれ
手術までの間に、彼と二人で過ごしている間

”その時”を、ただただ静かに過ごしていました。





”その時”は、あっという間でした。

気づいたら、すべてが終わっていました。


麻酔から目が覚め
まだ手術室にいたため
隣にいた麻酔科の人に尋ねました。


「もう、終わったんですか…?」


「はい。もう、終わりましたよ」


…………。




それからしばらくして
私はずっと泣き続けました。

病室に戻るまでの間も
戻ってからも

落ち着くまで、泣き続けました。




特に大事に至らなかったため
飲み物も食べ物も
嘔吐することなく口にすることができ
麻酔から完全に醒めているということで

その日のうちに、退院できました。


退院する際

私と彼が望んでいた
取り出した赤ちゃんを見せてもらうこともできました。

もう処置を行った後なので
ご想像はそれぞれにお任せします。

ただ、その時の私は
見せてもらった時にでさえ

可愛くて愛しい、と思いました。


こんな小さな身体でその命で
私の身体の中で、精一杯光り輝いていたのだから。


それまでの私は

「悲しい」とか
「ごめんなさい」としか
心にありませんでしたが

赤ちゃんを見せてもらった時




――ありがとう…。



そんな気持ちでいっぱいでした。

言葉には、できませんでした。


赤ちゃんをお医者様にお返しして
最後の…本当に最後のお別れをした最後の最後まで

私は、心の中で
感謝の気持ちを伝えていました。



短い間だったけれど、生まれてきてくれて、ありがとう。

さようなら、なんて言わないよ。

またいつか、どこかで会おうね。

私と彼と、3人で。


どんなに離れていても
どんなに月日が流れても
私は、私達は、あなたを忘れないよ。

まだ、男の子か、女の子かもわからない。
でも、たった一つの、私と彼との大切な命。

そんな、あなたへ――…。



――愛しているよ。いつまでも、ずっと。







この言葉は、あの子に届いたでしょうか。
届いたのなら、良いなと思います。


手術を終えて
元の身体に戻ろうとしている今も
喪失感と痛感に襲われています。


失った悲しみは、何があっても癒せないと思います。

でも、その分
ただ悲しむだけでなくて、悼むだけでなくて

この子のために
私達がしなければならないことは、何か。

それを、考えるべきだと思いました。

そんな時間も大切だと思います。
でも、ただ悲しんで下を向いているだけでは
天に昇った赤ちゃんも悲しむと思うのです。

何が正解かはわかりませんが

私は
この子のためにも
この子の分も

彼と二人で幸せになろうと、そう決めました。

この先も
色んなことがあるかもしれません。

喧嘩もするだろう。
下すべき判断で、失いたくないものも失うこともあるかもしれない。

でも、それだけじゃない。

喜びや、楽しさ。そして、生きていることの幸せ。

それも、たくさんあると思います。



この子と過ごした時間は
たった1、2ヶ月で短いものでした。

でも、その分
辛いことも、悲しいことも
嬉しいことも、楽しかったことも

そして何よりも、幸せも。

いっぱいいっぱい詰められた毎日でした。


でも、これでさようならじゃない。

身体はなくとも
魂は、心は、いつまでも私の中にあります。

だから、忘れてはいけない。
無駄にしてはいけない。


そのためにも、
私はこの命の分まで生きていこうと、思います。






今後の予定としましては
自分の身体を第一に

まずは、この子の供養をしてあげようと思っています。

お知らせに手術に、とバタバタしていたので
心身ともに、安らぎの時間も過ごそうと思っております。


心身ともに
回復に向かっているのであれば

無理しない程度に
仕事にも復帰しようと思っております。

妊娠をきっかけに
新しい物事にも挑戦しようと思っています。


そして、最大の壁。

それは
改めて両家に結婚のお話をすることです。

この子がいなくなってしまった今でも
私は、彼を愛しています。

そして、いつの日か。
彼と一緒に、新しい家庭を築いていこうと思っています。

…と。

激しい戦いかもしれません。
時間がかかるかもしれません。


この命を無駄にしないために…。



自分を見失わず
自分の意志を持って
それを相手に伝えて…。







そんなわけで

私は、この先
身体を第一に早く治して
心配してくれた親戚の方にもちゃんとお礼をして

落ち着いてきたら
また書こうと思っております。


それが
いつになるかはわかりません。

でも
趣味であるこれは
これからもずっと大切にしていきたいと思っております。


どうか
これから先も

花鳥風月を
まだまだ未熟な杏凛を

どうか
よろしくお願い致します。




ブログ 再開



遅ればせながら
ブログ再開させて頂きました。


テストがてら、ご報告まで。

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