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6.仮病


小学3年生の頃から仮病を使うようになりました


お腹が痛い
頭が痛い

仮病

理由は解りませんが
仮病を使うようになり保健室で休みをとるという事が多くなりました


ここからの記憶はとても
薄れてて明確な物ではありませんが…


いつもの様にお腹が痛いと言い
保健室へ行くと
保健の先生は留守で
かわりに研修の若い女の先生がいました

その先生にお腹が痛いと言うと
右と左どっち?どの辺り?
と聞かれました
私が適当に答えると
その先生は一応検便をしようと心配してきました

私は検便をしました
でも仮病だし何も出ず終わり

しかし研修の先生は
私を酷く心配して病院へ連れて行きました

父も学校へ呼ばれ
私は先生の車で
父は自分の車で

病院では簡単な検査をして終わり

研修の先生は病院の先生に呼ばれました
私は廊下で立っていました

先生は病院の人に
「仮病ですよ。先生が生徒の仮病を見分けられなくてどうするんですか」
と言っていました

帰りも来た時と同じように学校へ帰りました
父はそのまま自宅へ

帰りの車で先生は一言も話しませんでした
学校へ付くと先生は私に
「嘘つき」
といいました

それから数日して研修が終わったのか
その先生は学校からいなくなりました

私は自分がした事で先生が辞めてしまったんだと自分を責めました


5.先生


小学生の頃私はほとんど学校を休みませんでした



しかし小学4年生の頃から学校が嫌いになりました


4年生の時の先生は女の人でした
歳は40才くらい


その先生はえこ贔屓が強く
私に対しての態度と友達への態度があからさまに違いました

私は先生に嫌われていて
虐められていたのだと思います

4年の時私は
前髪が少し目にかかる程度で髪の長さは肩につくくらいという周りと対して変わらない髪型をしていました

しかしその先生は
毎日の様に私の顔を見て

「その髪型気持ち悪い」
「幽霊みたいだ」
「髪を切ってこい」
と言いました
酷い時は周りの生徒にも同意を求める様に聞いていました


みんなで折り紙をしている時も
先生は私に対して
「あんたが作ったのは折り方が汚いから作らないでいい。あっちで遊んでなさい」
と言われました

体力テストの時も
体の硬い私は長座前屈が苦手で
中々壁にお尻をつける事が出来なく
それを見た先生が私がもたもたしてるので
私のお尻に爪をたて捻り怒鳴りました

この先生は生徒の指導が手荒く
男子はオルガンに頭を叩きつけられていました


成績の言い子は
褒めて怒らないのに

私はこの先生がとても嫌いで
学校を休む回数も増えました

この頃から休み癖がつくようになりました


4.いらない


私が小学4年の時に

祖母が父の部屋へ行き
借金の話をしに行きました

私は居間にいたのですが
お互い言い争う様に会話をしていたので
話している内容が聞こえて来ました


祖母が父に"私の名前"もいるんだからしっかりしなさい
と言いました

すると父は
本当はあんなの要らなかったんだ
"母の名前"に預けてこい
と言いました

私はすごくショックを受けました
その日が初めて心から死にたいと思った日です

祖母は泣いている私に気付き
本気じゃないから安心しなさいと慰めてくれました


私も父が言った事は
本心ではないと思い生活を続けました


3.借金


私が小学2年
いや、1年の時には父はもう借金をしていたのでしょうか


父は私がまだ幼稚園に通っていた頃クリーニング店で仕事をしていました
父は成績優秀でクリーニング店ではいい立場にいたそうです

そして父は自分でクリーニング事業をしようとしました

しかしそれは上手くいきませんでした


私が小学生になってからは
父はよく自分の部屋へ篭り
夜になると遊びに出かけました


父は仕事をしていないのに酒とパチンコをする様になり

そういうせいで借金が出来ました


借金を払うのは一緒に住んでいる祖父でした

祖父は父を
「遊び人」「疫病神」「仕事をしない」となげいていました

借金が増えると家には
借金取りからの電話が毎日の様に来ました

朝昼夜

夜は夜中など普通に電話がなりました

祖母は毎日鳴る電話を取るのが嫌だと言いました
そういう時は私が代わりに受け取りましたが

質の悪い人だと乱暴な言葉を吐かれました

電話では父はいないか?
と聞かれたので祖母も私も父の所へ行き
電話が来た事を教えました

しかし父は布団を頭まで被り
「いないと言え」といつもいいました

私は言われた通り毎日繰り返してました

借金取りの人も馬鹿ではないので何時に帰ってくるのか聞いて来ました
私はわからないといいました
すると借金取りの人は怒鳴るのでしかたなく適当な時間を伝えていました

父が電話を受け答えする時は
申し訳ありません
もう少しだけ
今月はきついんです
すみません

など父の背中がとても小さく見えました


何度か借金取りが家に来た事もあります

ドラマの様に酷いものではありませんが

銀行の人は冷静な態度で
サラ金の人は夜に玄関を蹴りつけたり怒鳴り散らして

サラ金の人は私が小3の時に1回しか来ませんでしたが
怖かったのか今でも鮮明に覚えています

車2台で来て家の前でライトをつけクラクションを鳴らされ
玄関を叩かれ大声で父の名前を呼び
玄関から家を見て
「お金払えないならこの家と土地売りましょうよ。お金の稼ぎ方なんて沢山あるんですから」
と言われました

土足で家に上がった時には
父が外で話すので
土足はやめて下さい
と言っていました


借金取りのせいで
現在は借金は無いのですが
私は今でも家の電話が取れません


2.父


父は私が幼い頃からタバコとお酒が大好きな人でした

小学1、2年の時は父にいつも怒られてたので部屋には滅多に行きませんでした

父は私が小学生の頃まで門限にすごく厳しい人で
友達の家へ遊びに行ってお昼ご飯の時など帰って来ないと外出禁止と言われたり
5時までに家にいないと玄関を閉められ
「そんなに遊びたきゃ家に帰って来なくていい」「家に入るな」
と酷く叱られました
私はその度に泣いていました

しかし普段はドライブに連れてってくれたりと
私は父がとても好きでした


しかし父には借金がありました


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