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私の中の不安。

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2012年2月18日

2012年2月18日午後10時08分

私の憧れで、目標だった方が
亡くなられました。

昨日というか、4,5時間前の今日はお葬式でした。

享年43歳でした。

まだ小さい姉弟(はとこ)を残して逝きました。


人の生涯なんてあっという間で、気付いたらその人はもういない。
寂しいものですね。
そんな中でさえ、
そんなものだとわかっているのにも関わらず、
死にたいと相も変わらず思う私は哀しいですね。
しばらく誰にもあわせる顔がないなぁと感じるほどに。


死にたいと願うのは、
体を傷つける行為は、
結局のところしてはいけないことなのだと知っています。
だけれど、それは
頑張って生きている証なのだと、
私はそれを正当化しようとします。
正当化したところで、それは逃げな気がするけれど。

死にたいと願う人が死んで、
生きたいと願う人が生きたら、
どれほど(都合が)いい世界なのだろう。
そんな世界があるならば喜んでいきたいね。
そんな世界、ないけれど。


人の死と直面することで、何か変わるかもしれないって
きっと、葬式さえ私は利用したんだと思う。
でも、結果
私は何も変わらなくて
はとこが泣いているのを見て
はとこの気持ちを、
故人に直接的にしっかりと関わっていた人の気持ちを、
故人のご両親であるおじさんたちの気持ちを想像したら
胸の奥がつかえて、涙がこみ上げた。
それだけだった。

私は故人の死をきっかけに
自己の命を、もっと大事にできるんじゃないかって
どこか期待してた。
でも、なれなくて。
常に死んでしまいたい気持ちは消えなくて
逆に強くなるだけで。
今回の葬式で、あたしは泣いちゃいけない気がした。
泣いてしまったけれど。
はとこが、はとこのお父さん…おじさんが耐えているのに。
私が泣いたって、何にもならないのに。
私は泣くよりも、ご冥福を祈り続けなきゃって。
そう、思った。

故人の顔を見て、
私は無力だなぁ、って
再認識させられた。
何も救えなくて。
まだ子供だからっていうのももちろんあるけど。
あたしには、なんにもできないんだなー、って。
力もないんだなー、って。
無力で無力で腹立たしい程。
腹立たしいって思ったところで、その死はどうにもできやしないけど。
私たちは今を生きてる。
過去でも、未来でもない。
現在を生きてるんだ。
だから、もう起きてしまったことは、どうにもできない。
これからはきっとどうにでもなるんだろうけど、
過去はどうにもならないんだよ。

あー、もう何が書きたいのかもよくわかんないなぁ…

はぁ


常に気を使うのは当たり前
常に猫をかぶるのも当たり前
誰かを頼って、誰かに話を聞いてもらうことが怖い最近。
生きていると実感をするのも
死にたいと思うのも
何かをしたいとか、したくないとか
もう全部面倒で
まだ、何かしているから、していられるから、きっと心配ないけど
考えるのもつらくて
だけど、頭の中がこんがらがってしまったら、学校行けないから
心配をかけてしまうから…


もう、疲れたな
何をするにも疲れてばかりで
どうしようもないな。
笑うのも疲れるし
もう嫌だなぁ、全部、全部
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