ささやかな希望が欲しい

これからの人生
楽しいことなどあまりないような気がする


ただ、打ち寄せる苦労の波を如何に避けるか
それだけに振り回されるだけで

体が命を蝕むまで生き長らえるしかないのは
とてもしんどい

結局いつかは皆死ぬのだから


貧しい高齢者がただ社会のお荷物でしかないのなら
せめて
希望した人には
不治の病を患う人には潔い安らかな死を与えて欲しいと思ってしまう


それで社会がうまく回っていくと思うのだけど

浅はかなのかな?


閉塞感の蔓延した世の中

もちろん楽しくて仕方ないって人もいるだろう
そんな人達は自由にそれを謳歌したらいい

重い荷物ばかり背負わせないで
抜け道を与えて欲しい

それがささやかな希望になるかもしれないのだから


金木犀の季節

道を歩けば
金木犀の甘い香りがふわりと漂う幸せな季節

短くて儚いこの一瞬を
ただただ楽しんでいたい

後悔とか不安とか憎しみとか
そんなものに囚われていても今が見えなくなるだけ

先のことなど誰にもわからない
平和だっていつ壊れるかわからない


憶測で飛び交うもうけ話とか
エンドレスな断捨離ネタとか
クレイジーな流行り唄とか

そんなものに覆い尽くされて
今年も秋は過ぎてゆく


あまり納得できない宗教観を聴かされて
「宗教とは民衆のアヘンみたいなもの」
そんな言葉を思い出すけど
それは決して口にしてはいけないこと

要らぬ摩擦を生むだけだから
要らぬ疲弊を背負いたくない
ただそれだけ

恐らくは

不機嫌が
無計画さと肥大した自己愛とゆがんだ自己嫌悪と

それらが一体となり見事にカーブを描いて
測定不可能な場所に落ちてゆく

またなの?とウンザリする既視感


成長無い
理解できない


もうどうなっても
私の心配するところではない

自分で落とし前をつけてください


みんな好きに生きたらいいじゃない?
誰も人の意見を聞く耳なんて持ち合わせてないんだし

これから先は長く生きてもいいことなんて数えるほど
そんな底無しの地獄が口を開けて待っている

恐らくは

ぶれない自分

自分なりにやるべきことをやって
一日を幸せな気分で終われると信じた日に

第三者の言動で
地獄に突き落とされる絶望
いつも軽く見られ舐められる自分にも絶望


怒ったり喚いたり泣いたり
そういうことするのが面倒くさい

そういうことする人の相手しなきゃいけないのも面倒くさい


じゃあ笑って耐えるしかない
いや、笑わなくてもいいけど

ぶれない自分
どんな感情の悪天候にも振り回されない無関心を身に付けないと

身の破滅が待ってるだけだ

とりあえず生きてくために



苦手な人

別に求められてもいないのに
手を差し伸べる必要ないと思うのだ

助けて欲しいと言われてもいないのに

人というのはわがままで
優しさはおせっかいになり
感謝は当たり前になり果ては不満に変わる

そして互いを憎むようになる
そんな厄介をわざわざ抱え込む必要は無い


我の強い負けん気の強い人が苦手

どうしてそんなにも誰よりも
前に出たいと思うのか?
好かれたいと思うのか?
いい人だと思われたいのか?

理解できない

価値観の違い
全ての元凶

それでも誰とも関わらないで生きてくなんてできないから

人は皆疲弊するんだろう


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