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退院後、友人の一人と連絡を絶つことにした。お産の直前に不快なメールをよこしたことがあった。スルーして、出産報告をした。退院した日またメールがあった。内容は息子の名前を教えてということと、彼女の知人(佑子の知らない人)をバカにした内容。その人は子どもが欲しくてお産したが、少々、育児に疲れた様子。(わかるよ、それ。)友人は愚痴られた様子をその人は理想と現実がわからない人でお産したことを後悔していると受け取った様子。
息子の名前は春(仮名)に決定。いつまでも名無しじゃ可哀想なので。
奈子を産んだ病院は自宅近くのO医院。佑子が十年以上かかる産婦人科でした。奈子を妊娠した時に最初に判定してもらったK産婦人科は人気があり、混むのでその後は通ってません。O医院は漢方治療をしていて、佑子の体調もよく把握していて、よい病院でした。本当は二人目もO医院でお産したかった。でも、O医院、7月に閉鎖してしまいました。理由は先生が病気になり、入院してしまったから。どうも、6月頃には先生はいなくなっていたようで、佑子がカンジタで受診した時は代理の先生がきていました。その頃、通っていた妊婦さんは、息子をお産したY病院を紹介されていたそうです。そのこともあり、私もY病院でお産。しかし、妊娠の判定がでたのが、8月。O医院に紹介状を作ってもらうことができなかった。奈子のときのお産の様子を知ってもらうことができなかった。
検診で病院へ行く日の朝、本当は娘を保育園に預ける予定だった。病院へ私を送ってから、保育園に行かせる予定でした。病院へ行く途中、交通渋滞に巻き込まれ、予約時間五分前に病院に到着。(本当は十分前に受け付けする)無事に検診が受けられた。
37週と2日で産まれた息子。正期産に入るとすぐに生まれてきた。12日の検診で子宮が下がってきているので安静にするよう言われた。旦那に話すと「やっぱり26日まではもたないかもね。その頃には奈子の体重を超えてるだろうし。出たい時に出るんじゃない?」と言っていた。全くその通りになった。だって、陣痛がこなかったら、子宮破裂で母子ともにあの世行きだったから。