そばに、いるよ B(end)
水谷が帰った日の夜は、ため息が止まらないほど淋しかった。
でも朝がきて、いつもの生活に戻ったとき、不思議と周りに誰もいないひとりぼっちな感じがしなくなっていた。
それまでと景色が違って見えたのは、うつむかずに顔を上げて歩いているからなんだろう。
その日の夕方、水谷から電話がかかってきた。
夜行バスで帰って今日眠くなかった?ときいたら、バスの中でずっと寝てたから別に眠くないと言った。どこでもぐっすり眠れるのは水谷のすばらしい特技だと思う。
水谷は、帰ってお母さんにこっ酷く怒られたらしい。(あのお母さん、どんなふうに怒るんだろう?)
『この歳で、しっかも男なのにさー!無断外泊しただけであんなに怒られるってどーなの!?』
って、逆切れしていた。
「普段こまめに連絡入れてるから、連絡がなくて心配だったんじゃないの?」と言ったら、
『じゃ、今日からもう連絡しない』なんてことを言い出したから、そこは注意しておいた。
せっかく家族の仲がいいんだから。
『あ、そうだ。オレ、MDプレーヤー忘れてない?』
「あ、忘れてるよ。そっち送ろうか?」
『ううん。他のがあるから別にいーんだけど。あのねー…』
なにか考えているように、妙に語尾が伸びる。
『その中に入ってるMDの3曲目。オレが歌ってると思って、じーっと聴いてみて?』
「??…じーっと?」
『そ。歌詞をちゃんと聴いてみて』
「…うん、わかった。聴いてみる」
『今度会うときまで、時々聴いててね。オレがそう思ってるって忘れないように』
「うん」
そのあと、少し話をして電話を切った。
電話が切れると、やっぱりまた淋しくなる。こればっかりはどうしようもないことなので、慣れるか、あきらめるしかない。
オレはため息を一つついて、テーブルの上に置いていた水谷の忘れ物のMDプレーヤーを手にとった。
これ、高校生の時も使ってたやつだ。
懐かしいな。と思いながら再生を始める。
3曲目まで飛ばすと、聞こえてきたのは、ピアノソロでだった。そして囁くような女性ヴォーカルが聴こえてきた。
あ、この曲、聴き覚えがある。
初っ端からサビだから、すぐにわかった。確か携帯のCMソングだ。最近音楽にさっぱり興味がなくて、疎くなっているオレでも知ってるくらいよく耳にする。でも歌詞まで気にして聴いたことはなかった。
『歌詞をちゃんと聴いてみて』
水谷に言われたとおり、メロディと一緒に歌詞を追った。
よけいな音が少ないからか、わりとはっきり聞き取れる。
『あなたのこと 私は今でも思い続けているよ…』
女の人の声だから、水谷が歌ってるようには聞こえないけれど、気持ちは痛いほど伝わる。
――待ってるから。
言い聞かせるみたいに何回も言われた、その言葉が水谷の声で聞こえてくる気がした。
切々と遠く離れた恋人を想う歌を、ベッドにもたれて、膝を抱えて聴いていた。
こんなふうに思ってるのかな。
待ってるからって、あんな揺るぎない言い方してても、不安だったり、寂しかったりするのかな。
いつも携帯を眺めて、鳴るのを待ったりするのかな。
オレみたいに。
二人を繋ぐものはすべて目には見えないけれど、確かにここにあるね。
今はそれを信じてるから。
だから、離れていても、そばにいるよって言ってよ。
変わらないよって言ってよ。
水谷の声で。
そして、待ってて、ずっと好きだからって伝えたいよ。
それだけは、せめて言葉だけでも、届いてほしい。
会うことはできないから、言葉だけでも今すぐに。
オレはあの日以来手放さなくなった携帯を開いた。
こんな小さなものだけれど、今は二人の距離を繋いでくれる大切なものだ。
いくつも並んだ、着信履歴の水谷の名前を見て嬉しくなる。
この数が増えるだけ、きっとなにかが伝わっていくんだ。
繰り返すコール音を聞きながら、言葉を選ぶ。
なにから、伝えよう?
きっと、もうすぐ繋がるから。
ほら。
「もしもし」
/end
2008.04.23
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