スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

タイトルなし

五月も終わり。
月の物は完全に終わった模様。

LGBT

ハートネットの再放送でLGBTについて話をしていた。
正直、その中のひとりでありながら一括りにされるのが昔からどうしても嫌悪感があり、以前夜の放送を知りつつ観なかったという経緯がある。
どうでもいい、俺には関係ないと。
ある種そういった知識がない人達より質が悪いかもしれない。
今は否定されることもなく順風満帆に治療をし生活を送っているが、正規雇用や女性との結婚などそういった人生を視野にいれると、この件においてマジョリティと呼ばれる方と比べ非常に困難を感じてきた。
だが、何事においても満期というものがあると考えると、一定レベルの生活水準を求めながら困難という理由のみで、いつまでも許された中で生きていくことは出来ないとも感じる。
自分の中のリミットももうすぐそこに近付いていることは理解していた、故に治療を急いていたというのもある。
だが、やはり大半の同じような人が同じ困難を感じていたのだなと今更ながらに知って、それがどう救いになるかというと具体的な救済にはならないが、一人だけではなかった という事実は気持ちを落ち着かせるには十分であったと思う。

ゆっくりではあるが社会や人々の考え方も多様に変わりつつある。
LGBTだから就職が出来ない、LGBTを支援しているから必ず雇わねばならない、そういう詰まらない柵がなくなって、「あ、そうなの?」で済ませられるような世の中になれば、僕ももう少し区別するようなその言葉を受け入れられるような気がする。
そうなるには知らない人がいない程に浸透して、そういう言葉に左右されるのではなく、そういった対象に対しての優遇から不遇な扱いにおいて疑問を持ち、解決策を見出すまでにならねばならない。
喩えば男だけの社会から女性が職場にいるのが当たり前になるまでの雇用の仕方や職場でのあり方において、当人だけでなく企業側や第三者も混じえ様々な問題があったことと同様 生じた不満や疑問を解決してこそ初めて当たり前になるのではないかと思う。
マイノリティと呼ばれつつ、インターネットを覗けばその言葉は不適切に思える程にそういった方達を多く見受ける昨今、マイノリティであるから先が見えないと希望や未来を諦めるような人が少しでもいなくなるような社会になっていけばいいと願う。

再放送を途中からとはいえ、観ることになるとは、改めてやはり自分から切っても切れないものなのだなとそう感じた。

前の記事へ 次の記事へ