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幸せと恋について@

最大の富は少ない富で満足すること

私の大好きな伊坂幸太郎の言葉です。自分が幸せって感じることが小さいほどいいってことですね。幸せはなるものではなく気づくものとよく言いますが最近本当にその通りだなと思います。昔のわたしは、あれをしたいこれが欲しい何で買ってくれないの?なんとかちゃん家は買ってくれたのに!わたしはこんなに不幸なの?とかよく思ってたわがままクソ娘でした。自分の環境を嘆き、口を開けば不満ばかりの毎日。でも最近思ったんです。私の周りには幸せがたくさんあるんじゃないかと。わたしの家は裕福じゃないにせよ四年制大学に行かせてくれてます。親は私のやりたいことを理解してくれて応援してくれます。少ないけど大切な友達がいます。彼氏はいません非常に残念。毎日美味しいご飯が食べれます。あったかいお風呂にはいれます。大好きな本が読めます。可愛い洋服を着れます。え?そんなことで?と思うかもしれません。これらは大抵の人にとっては当たり前のことでしょう。でも少し
立ち止まって考えてみると、当たり前だと思ってたことが実はすごく幸せなことだったんじゃないか?そう思うことが必ずあると思います。
でもそれでは、無欲=幸せ ということになるのか?というとそれとは少し違うんです。幸せになるためには今の環境にありがたーく満足してさらに贅沢をしようとしなければいいのか!というわけではないんです。
例えば、女性だったら欲しいものが買えた時に幸せと感じる人は多いと思います。それである女性がブランドもののバックを欲しいと思います、その人は一生懸命働いてお金を貯めてそのバックをゲットするんですね。そうしてあ〜幸せと思うわけです。でも1年も使ってるとまたさらに高価なバックが欲しくなるわけです。あ〜どうしてあのバックを買うお金がないんだ私は不幸だな〜と思うわけです。そうして女性はいつまでたっても同じことを繰り返していくのです。例えが悪くて分かりづらいですが。何が言いたいかというと恵まれれば恵まれるほど人は幸せに鈍感になっていくんじゃないかと思うんです。小学生からの親友とたまに話すのです、あの頃は300円を大切に持って駄菓子屋に行ってどれだけ駄菓子を買えるか一生懸命だったよね、と。今は300円あっても何も買えないじゃんなんて思ってしまいます・・・(これは極端な例ですが)
話がもうまとまらなくなってきました。普段当たり前だと思ってることを少し角度を変えて見てみる。それだけで少し世界が変わってきます。結局のところ幸せをしっかり見極めることができる豊かな心がない限りいつまでたっても幸せを感じることは出来ないんです。貧しい心から卒業する。身近な幸せに気づくことから始める、それが幸せの近道だと思います。
こういうことを思ったからこそわたしは一番最初に載せた伊坂の言葉が大好きなんです。


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