曽根崎心中編の冒頭あたりの出雲×加賀斗
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曽根崎心中編の冒頭あたりの出雲×加賀斗
夏も過ぎ、わずかに残暑を含んだ風が、これから色づいていくであろう街路樹の青い葉を揺らす。
駅前のビルの一階という好立地にオープンしたのは、若い女性に人気のファッションブランドの新店舗だ。
朝からひっきりなしに、目を輝かせた女性客が詰めかけている。
女性客−−ではないが、皇加賀斗もその一人だった。
「こっちとこっち、どっちが似合うと思う?」
加賀斗は店内に入る前から上機嫌だ。ショーウィンドウの淡い色のワンピースと、チェック柄のスカートを交互に指さす。
「知るか、んなもん!」
対して、連れ合いの出雲は、不機嫌さを隠そうともせず、一人むくれていた。
駅前にできた新しいお店に一緒に行ってくれるか。そう加賀斗に誘われたのは昨晩のことだった。
加賀斗のことだからきっと、ドーナツ屋かケーキ屋か、甘いものの店だろう。
そう高をくくっていたら、連れてこられたのがここだ。
出雲からすれば、騙されたも同然だ。もちろん、加賀斗にはそんなつもりはないのだが。
「そうだよね、試着してみないとわからないよね」
出雲の不機嫌を知っているのかいないのか、加賀斗は気分を害した様子もなく笑う。
大きな目を細めて笑う加賀斗を見て、出雲は呆れて溜息を吐く。
女のような外見にコンプレックスを抱いている出雲には、自分から女の格好をする加賀斗が理解できなかった。
確かに、女の格好をした加賀斗は本当に女のようで美しいと思うのだが、それとこれとは別だ。
出雲にとって加賀斗は、友人とも家族とも少し違う存在だ。
出雲が離れて暮らしていた父の元に弟子入りした養子、それが加賀斗だ。出雲からすれば、兄弟子にあたる人物である。
顔を合わせる機会は稽古が多く、出雲の家には毎日のように訪れるため友人と呼ぶには、距離が近すぎる。出会ったのはつい数ヶ月前で、家族と呼ぶにはまだまだ日が浅い気がする。
結局、兄弟子という、まだ馴染みの浅い単語が一番しっくりくるのだ。
加賀斗と出雲を兄弟子・弟弟子として繋ぐものが歌舞伎だ。
女人禁制の歌舞伎の舞台に、加賀斗は女形として立つ。
普段からは想像もつかない、凛とした表情、儚い表情、艶のある表情。舞台の上で彼は、遊女にでも姫君にでもなれるのだ。
数年のブランクがあり、長年の経験もなければ、知識も乏しい出雲から見れば、頼もしく、憧れる存在だ。
「出雲、早く行こうよ!」
加賀斗は一度、出雲を振り返ると早足で歩き出す。振り向いた勢いで、ワンピースの裾がわずかに翻る。
出雲はひとつの疑問を抱いていた。加賀斗は男物の服を持っているのだろうか。女物の洋服か、家や稽古場で来ている和服しか見たことがない。
出雲は尋ねない。俺の兄弟子が女物の服しか持っていないわけがない。けして真実を知るのが怖いわけではない。
本人は、女装は女形の演技の勉強のためだと言ってるんだ。趣味でやってるんじゃないんだ。そうだ絶対そうだ。
現実から目をそらす出雲にしびれを切らした加賀斗が、戻ってきたかと思うと出雲の手を強引に引っ張った。
「早く早く!いい服なくなっちゃうよ」
「あ、わりい」
出雲は、少女のような見掛けによらず、性格は強気で大胆だが、押しに弱く、こうやって強引な態度を取られるといまいち逆らえなかった。
店内に入ると、友達同士または一人でショッピングに来ている女性客か、カップルだらけだ。彼らを除けば。
マネキンに着せられたスカートのデザインをを気に入った加賀斗は、どの色のものを買おうかと品定めをしていた。
出雲は退屈だった。女物の服を好んで着ることなどないし、贈りたいと思う相手もいない。
そもそも良し悪しがわからないので、意見を求められても答えられない。
店内を見回していると、玄衛に連れられて女物の服を着る羽目になったことや、玄衛に脅されてミスコンに参加する羽目になったこと、玄衛に騙されてメイドをする羽目になったことなどを思い出す。正直、女物の服にはいい思い出がない。思わず表情が強張る。
玄衛はいい友人ではあるのだ。いい友人なのだが。
加賀斗が、ちらりと出雲を振り返り、
「迷惑だったかな」
と、すまなそうに顔を覗き込む。
「別に、加賀斗が楽しいなら別にいいよ」
「出雲は優しいね」
優しい、という言葉に出雲は首を傾げた。
男らしくありたい出雲にとっては、『優しい』よりも『強い』や『頼れる』といった言葉を、期待してしまう。
もちろん、『優しくない』と言われるよりは、ずっといいのだが。
しかし今は、求めていない言葉に対する期待はずれとは、また違った気持ちが沸いたのだ。
まずは素直に嬉しかったこと、そして不思議さだ。首を傾げたのもそのためだ。
「加賀斗の方が、優しいだろ」
不思議さがそのまま口を突いて出た。
加賀斗は優しい。もちろん厳しいことも言うが、体が丈夫でもないのに遅くまで出雲の稽古や役作りに付き合ってくれたり、出雲が行き詰まっているときは、相談に乗ってくれたり気分転換に連れ出してくれる。
「僕が?」
「お前がだよ。初めて会ったときだって……」
疎遠になった父を尋ねて、数年ぶりにこの町に戻った出雲は、その外見と押しの弱さが災いし、早々に男たちにしつこく絡まれていた。
そこを助けてくれたのが加賀斗だ。
女性らしい美しさはそのままに、力強く男達を追い払う姿に、憧れと同時に胸の高鳴りを感じたことを今でも覚えている。出雲の憧れる男らしさと、女性的な美しさをあわせ持った加賀斗に出雲は強く惹かれた。いわゆる一目惚れだった。
そこまで思い出して、頬が熱くなる。
加賀斗を女と思い込んでたとはいえ、いや思い込んでいたからこそ、思い出すと恥ずかしい。
女だと思っていたから一目惚れしたということは、女だったら今でも出雲は加賀斗を好きだったかもしれないのだ。
(いやいや、ありえねーから……)
そう気づいて、出雲は考えを振り払う。加賀斗は男だ。あれは間違いだった。今はただの、兄弟子だ。
「初めて会ったとき、どうかした?」
言葉を途中で止めて、顔色をころころ変える出雲を不思議に思った加賀斗が、代わりに言葉を重ねる。
やはりこうして女物の服を着ていると、女にしか見えなくて、初めて会ったときのことを思い出してしまう。
「いや、初めて会ったときのこと、思い出しただけで……」
一応の返事はするものの、振り払いきれない考えを誤魔化すように、言葉尻がしぼんでいく。
自分で自分の気持ちが分からなくなりそうだった。やはり結局は、兄弟子という、馴染みの浅い単語を無理矢理当てはめるのだった。
今は、たまの休みをこの兄弟子と満喫することだけを考えよう。そう結論付けて考えを無理矢理まとめたことにして打ち切った。
その後、出雲の押しに弱いところが災いし、謎の関西弁の歌舞伎役者に連れ去られ、休みどころでなくなるのは、また別の話だった。
END