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お知らせ!

長宗我部元親を題材とした舞台

「誰ガタメノ剣」高知公演
のチケット情報です

五月二十日〜二十二日
高知県立美術館ホール
大人 前売り→3600円/当日→4200円
中学生→2200円 小学生→1200円

タイムテーブルは以下の通りです

二十日
18:30
二十一日 
14:00/18:30

二十二日
14:00

※入場は三十分前

チケットの前売りは三月一日から
ローソンチケット、高新プレイガイド他
で取り扱っているようです


昨年の親フェスで実際にシアターキューブリックさんの
役者さんを拝見したのですが
皆さん、イケメン&美女でした^^
演技もとても迫力があって、是非とも多くの方に見に行って頂きたいです。

そして、五月二十一日には親フェス、二十二日には初陣祭り
もあるということで五月は長宗我部なイベントが満載です!

さらに、三月五日に岡豊城跡で何かしらのイベントがあり
翌日も長宗我部家臣磔刑73士神仏合同慰霊祭 というのがあるらしいですね
これは今年からの試みらしく自分もよくわからないのですが
高知市の浦戸大橋の下で行われるようですね
……これは…参加申し込みをしないといけないのかな…?
直会の方は申し込みが過ぎているようですが
慰霊祭の方はどうなのでしょう;;
この長宗我部家臣磔刑73士については後々にアップしたいと思います。
何分、自分の勉強不足で詳しい事を知らないので^^;

雑賀衆

紀伊半島南部を支配していた勢力。主に雑賀荘の土橋氏、十ヶ郷の鈴木氏
紀伊半島の山からは多くの鉱石や木材を得る事ができ、
その為にこの地域では鍛冶や林業などの工業技術が発達したらしいです。
更に紀伊半島南部は海に面しており漁業や貿易が盛んに行われていたようです。
このような土地柄ゆえに雑賀では、
各々の職業ごとで組合のようなものができてきます。
それらの組合が協力して合体したものが「雑賀衆」とよばれるものです。

雑賀衆と言えば鉄砲ですが、
海運や貿易に携わっていたこともあり水軍も擁していたようです。

雑賀衆が参戦した戦い「石山合戦」(1570〜1580)というものがあります。
日本史の教科書にもでてくるのですが、
一向宗の顕如が石山本願寺に籠り織田信長と戦ったものです。
この戦いのときに雑賀衆は顕如側に付き活躍をしました。
特に、世間一般では信長が「長篠の戦い」(1575)で鉄砲隊を使い
更に一列目が打っている最中に二列目が玉を込める
という先鋒を使ったことが有名ですが
雑賀衆はこの時すでに、その戦法を使っていました。
そして、この時指揮をとっていたのが雑賀孫市です。

この雑賀孫市という方は雑賀衆のリーダーで信長の死後は豊臣秀吉の配下となり雑賀衆を抜けます。
豊臣軍の鉄砲頭となり、朝鮮出兵時には九州を守ります。
関ヶ原の後には西軍が負けた為に浪人となるも、
仙台藩主・伊達政宗に取り立てられ大坂夏の陣では再び大活躍。
その後は政宗の取りなしで水戸徳川藩の旗本として余生を過ごした。




久しぶりの更新すみません;
今回は5月の親フェスにて戦国魂の鈴木さんに雑賀の事をきいたので書いてみました^^
相変わらず、わかりづらいもので申し訳ないです^^;

補足ですが、雑賀の家紋は八咫烏です。前、サッカーの日本代表のユニフォームにいた気がしますが…どうでしょう…?

長宗我部フェス

長宗我部フェスに参加されていた方々お疲れ様でした!

今日は心配されていた天気も雨が降ることなくできて良かったです^^


とりあえず、今回私が楽しみにしていたのが
「仮装コンテスト」「長宗我部に関する講演会」「県外の戦国グッズショップ」です!!
仮装コンテストは皆さん凄い^^
衣装は豪華だしステージ上でのパフォーマンスもかっこ良かったです(≧▽≦)

思い切って声を掛けて写真も撮らせていただきました!

戦国BASARAより
(左)猿飛佐助→藤原都斗 様
(右)風魔小太郎→白稀 様


戦国BASARAより
(左)長宗我部元親→氷龍 様
(右)毛利元就→櫻井凌 様


皆さん素敵過ぎます(^O^)
舞台の「誰がための剣」の役者さんも来て下さっていて、かっこいいし美人でした!


県外の戦国グッズショップは
戦国魂さん、蝶刻屋さん等県内にはないショップさんなのでとても感動でした!
お店の方ともお話ができて楽しかったです^^

そしてなんと、蝶刻屋さんはリンクを貼って下さると言って頂き感謝感激です!!

今日購入した物と頂いた物がこちら

六文銭が入った名刺入れと九曜紋と六文銭のストラップ!!

一通り買い物を終えれば、長宗我部に関する講演会に出席してきました!

講師は三重大の藤田教授、高知大の津野教授でした

なんと、全お二人とも長宗我部を研究されている方で、元親公の「四国統一」の是非についてお話されてました。

お二人の話を聞いているとまだまだ勉強不足だなぁと改めて思いましたw

真田についても勉強せないかんけど、せっかく長宗我部のお膝元に居るのだからねー(笑


今日は、色々な方と出会え、お話を聞け、自分にとってプラスになる事ばかりでした^^
本日、翠関わって下さった方々ありがとうございました。
そしてお疲れ様でした(^O^)/

真田十勇士 ※追記にコメレス有

真田十勇士と言えば真っ先に思いつくのが
「猿飛佐助」「霧隠才蔵」だと思います。


今回は十勇士について
発祥から十人それぞれの個性について書いていきたいと思います。


まず、十勇士の原型は
江戸中期の「真田三代記」
実際に真田十勇士という言葉が使われたのは
大正時代に刊行された立川文庫。
案外最近だったりします(笑


1672年に書かれた「難波戦記」という軍記物では
「ヒーロー」としての幸村が描かれました。


ここで、十勇士の紹介をしたいと思います。


『猿飛佐助』
十勇士のリーダー的存在。甲賀流の忍者だが、甲賀の里で修業した経験なし。
実在したかどうかは不明。


『霧隠才蔵』
十勇士の中では佐助と並ぶ人気。伊賀忍者。猿飛をライバル視。
架空の人物とされる。


『筧十蔵』
火縄銃の名手。豪胆な性格だったといわれる。針などを使いこなし、大坂夏の陣で徳川方を散々に苦しめた。


『三好清海入道』『三好為三入道』
三好氏出身の破戒僧。坊主頭の大男で、力は強いが、どこか抜けたところに、愛嬌があって、
好ましい豪傑である。弁慶の戦国版といったタイプである。


『由利鎌之介』
鎖鎌と槍の達人として名高い。穴山小助と一騎打ちした結果、負けそれ以来真田の家臣となった。


『根津甚八』
水軍の指揮に長けた人物とされている。大坂の陣で真田幸村の影武者として討ち取られる。


『海野六郎』
十勇士中の最古参として、真田幸村の参謀格として活躍したという。


『望月六郎』
爆弾製造に長けていた。実在していたかもしれない。


『穴山小介』
幸村の影武者。幸村に似ており影武者として夏の陣で討死


真田十勇士は所詮作り物語ですから
資料が少ない^^;
色んな方の思いがまじっていますからね。


最近はこの十勇士を題材とした漫画なども
多くでているようで、真田ファンとしてはうれしい限りです^^

continue...

眞田まつりお疲れ様でした


少し遅くなりましたが
先日の眞田まつりの関係者様、参加されていた方々
お疲れ様でしたo(_ _*)o


当日は天気にも恵まれて多くの人で賑わっていたらしいですね

私は行けなかったのですが、知人がリアルタイムで写メを貰いました!!

がっつり、沢山の旗の中に自分の名前の旗ありました(笑

真っ赤な六文銭の旗が並んでいて迫力ありましたね^^

今年は400年忌法要もあったらしく、参加された方が羨ましいです(>_<)

来年こそは……( ̄^ ̄)


私の住んでる所では、今月末に長宗我部元親公の初陣祭があるので
予定が合えば参加してきたいと思います(^O^)/

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