私が今死ぬとして、精一杯生きてきたと言えますかと問われたなら、答えはきっとノー。

世の中の不条理に憤りを感じたとき、学校が爆発してしまえばいいと思っていたとき、学校がたのしいと思えたとき、それぞれがんばって生きてきた。


だけど、イエスと答える自信はない。

なぜだろう。
まだまだ自分にやれることがあるから?
私の手のなかにある幸せを誰かのために使っていないから?



死にたいと思うことは悪い事ですか?


悪い事ではないから、思う存分考えればいいと思う。大音量で音楽をききながら、私は考えていた。


それでも私たちは明日を生きていると信じてる。





生きるとは何か、死とは何か、答えはまだ見つかりそうもない。