アイロニー


話題:動物虐待、動物愛護

(意見まとまってなくて、支離滅裂かもしれません…。)

書くまいと思っていたのですが、いてもたってもいられなくなりました。

昨日、テレビで犬が殺処分されるときの映像が流れました。

手数料を払い、犬を棄てに来る大人。その傍らには小さな子供。きっとここまでくるのに子供にはしっかりと叱ったものだと信じています。笑ってましたけどね。世話ができなくなったのであれば、本当にせめて、最後その子が二酸化炭素やガス等で息耐える最後の瞬間を看取ってほしいです。どんなに残酷なことなのか目をそらさずに見てほしい。でないと、いかに命というものが重いものかきっとわからない。

狭い部屋に入れられた彼らの目は、これからの自分たちのことを分かっている子もいれば、全く分からずに未だ人間に向かってしっぽを振る子もいました。

彼らが死にゆく様から目が離せなかった。彼らもこちらを見ていた。

現在飼っている犬を棄てるということだけは本当に止めてほしいです。10年間飼っていた犬を棄てにこられた方をみたときは本当に驚きました。

…けど、私だって牛や鶏や豚などもっとたくさんの命をもらって生きています。生きるためにしかたなくではなく、いわば一種の娯楽として命を食していることになります。(明治まではお肉を日本人は食べずに生活していたからそう思うのですが…。)

食べものだけではなく、衣服に使われている毛はもちろん、シャンプーや消毒液などは酷い動物実験を幾度も繰り返し私の手元に届いているものもあると思います。(動物実験は検索を掛けたらすぐにどのようなことが行われているか分かると思います)

私たちが動物を殺すのを非難するのはもちろん人間としての心が痛むのもありますが、もしかしたら、死にゆく様を直視するのが苦しくて非難する面も少なからずあるのではないでしょうか…。

そう思うとどこまで私を含め人間は自分勝手なんだろうと思うばかりです…。

殺さなければ、誰が飼育する?費用負担は?…そんな疑問がでてくるのはきっともう世界という場所が人間のものであると錯覚してしまっているからですね。

糞尿の臭いや、鳴き声、色々な迷惑も掛けてしまうものも本来であれば世界のあるべき姿で、普通のことなんですよね…。

もう、人間がはびこってしまった。人間に害を与えるものは全て悪なのであると。世界の仕組みがそうできあがった。

根本的なところから間違っていて、最早それは修復が不可能なんですよね…。(人間に死ねとは言えませんし、言う権利も当然ありません)

だから、何も弁明はできません。何を言ってもきっと言い訳になるはず。正しいことなんてないんだと。いつだって相対的なものに悩まされ、世界の条理をみて諦めて生きていくのが私たちなんだと痛感しました。

だから、身近にある(自分が飼っているなら尚更。)命だけは責任を持って共に生きるべきなのだと思います。