虚無感は強くなり、それを隠すように、馬鹿みたいに明るく振る舞い続けた。

家庭内でも、母と父の顔色を伺っては“また喧嘩になるんじゃないか”“笑わせなきゃ”“気を引かなきゃ”など、わざと大きな声で笑ったり、嘘をついてまで話を作っては気をひいた。


学校では、本性とは反対に茶髪にした。制服も真面目に着なかった。化粧もした。ピアスも開けた。

見た目だけでも、派手に見せたかった。暗い人にはなりたくなかった。




そんな状態が続き
自分を保てなくなった。





『もう、疲れた』



それだけが心を支配した。


中学二年生。リストカット。


生きてる証とか気持ち良いとか、のんたろには無かった。



ただの、憂さ晴らし。

当たる場所が無いから。



明るくて、元気な、派手な子。
いつもニコニコ笑ってる子。

自分で造り上げたくせに、今さら退けない。壊せない。
自分が笑ってなきゃ、家が暗くなる。
我慢すればいい。

人に当たるぐらいなら、自分に当てよう。

思えば思うほど、自傷行為はエスカレートした。

引っ掻き傷程度が、段々深くなり、回数も、切る数も、場所も、どんどん酷くなっていった。


そのうち、左手にリストバンドをして登校するように。

毎日、見つからないように手を洗うのすら苦労してました(笑)暑くても袖なんて捲れないしね( ・_・)


家では、日に焼けたくないからと長袖着用。風呂は鍵閉めながら。リストバンドは好きな先輩から貰った。って誤魔化した。


相変わらずヘッドフォンをしないと眠れず、眠気が来るまで読書をして過ごす日々。

辛くなったら自傷して、壁に頭を打ち付けたりもしてたかな…。

日記を書き出したのは、この頃。