「もし私が何もかも忘れたら、あなたはどうする?」
君はベランダから夜空を眺めながら、俺に聞いて来た。
いきなり君が、そんな事を言うから俺は君を見て聞き返した。
「何でそんな事を聞く?」
俺の問い掛けに君は少し考え込んでから答える。
「怖くなったの、記憶が消える事がね」
泣きそうな顔をしている君を俺は自分の方へ抱き寄せた。
抱き寄せないと君が居なくなってしまいそうで。
「お前が何もかも忘れても、お前はお前だろう」
「けど、私とあなたのこの関係は無くなっちゃう」
確かに記憶が無くなれば好意も消える。
記憶は消えても好意だけは残るなんて、そんな都合の良い話あるはずが無い。
「お前が俺を忘れて好きじゃなくなっても俺がまたお前を振り向かせるよ」
ああ、自分で言っておきながら恥ずかしい台詞だ。
けれど偽りじゃ無い、これは俺の本心そのもの。
「クサイ台詞だったね、今の」
「俺も思ったよ、恥ずかしい台詞を言ったなって」
お互い微笑み見つめ合う。
「でも、あなたのそう言う所好き」
「そう言って貰えて嬉しいよ、有難う
俺もお前の事が好きだ」
俺が、そう言うと照れくさそうに笑う君。
そんな君を俺は心底愛しく思う。
「私って幸せ者だね」
「俺も幸せ者だよ」
――そんな昔の事を思い出していたら君の居る部屋の前だった。
コンコン…ドアを二回軽く叩いた。
「どなた?」
愛しい君の声がした。
「橘です」
「どうぞ、入って下さい」
俺はドアを引いて部屋へ入った。
1ヶ月振りだろうか、此処へ来るのは。
「橘さん、久し振りですね」
君が居るベッドへ近付くと君はそう言って微笑んだ。
君が記憶を無くして二年が経つね、心の中で俺は呟く。
「久し振りだな、何か変わった事はあったか?」
「んー、何かあったかな」
君はそう言うと少し考え込んだ。
考え込む姿も昔と同じで変わってない。
「…あ、そう言えば今日の夢の内容が何だか切なかったんですよ」
「どんな内容だったの?」
「私と男の人が夜空を眺めてて私が男の人に、もし私が何もかも忘れたら、あなたはどうする?って聞くんです」
「…唐突な質問だね、それは」
「けど、男の人が何て言ったかも分からないし顔も分からなくて」
俺はズキンと少し胸が締め付けられた。
「ただ凄く幸せそうに私が笑ってるんです、その男の人を見つめながら本当に幸せそうに笑ってるんですよ」
君は窓の方に目を向けて真っ青な空を眺めた。
「そうだ、リンゴを買って来たんだけど食べるか?」
君は俺の方を向いてに、にっこり笑って頷いた。
「じゃあ剥くから少し待ってて」
「分かりました」
君は再び窓の方を向き空を眺め始めた。
そんな君の姿が、あの夜の君と重なって自然と言葉を発した。
「…お前が俺を忘れて好きじゃなくなっても俺がまたお前を振り向かせるよ」
小さな声だったから空に夢中な君には聞こえ無かっただろう。
聞こえ無くても良い、俺の気持ちはあの時と同じだと俺が分かってればそれで良い。
君が俺を好きになってくれるように、ああでもないこうでもないって一生懸命口説いて振り向かせるから。
そんな事を思いながらリンゴの皮を包丁で剥いていく。
――「クサイ台詞だったね、今の」
君のそんな声が聞こえたような気がして胸が熱くなった。