1人1人が自分の世界を持っている。
それは自分を中心に円を描いていて、少しずついろんな人と重なっている。
例えば親、友達、恋人、それに、ネットで知り合った人、とかね。
自分の円の中で嬉しいことや悲しいことがあると重なっている部分から他の人にも影響が出る。
知ってる人に良いことがあったら一緒に喜ぶし、悲しいこともそうでしょう?
喜びで言うと例えば、受験や就活に成功した、とか。できなかったことが、できるようになった。とか。
大切になればなるほど、些細な感情を、言い換えると細かい世界を、共有するようになる。
場合によっては本人より嬉しくなったり悲しくなったりする。
で、対して大切じゃなくても感情、つまり世界を理解することができたりする。これの例としては生死が良いと思う。
ちょっと知ってる、くらいの人でも親御さんが亡くなったって知ったらなんとなく言いようのない気分になったりするよね?
そしてこの「世界の繋がり」には終わりがあまりないんじゃないかって思う。特に生死に関しては。
誰かが孤独死をして、その人は天涯孤独で友達も誰もいなくてむしろむこう30年間誰とも口をきいていない、ってまぁ仮にAさんって人だとしても。
その「死」は不特定多数の人々に影響を与えてる。例えば発見者、そして発見者の世界と重なってる発見者の知り合い達、その知り合い達の知り合い達。って具合に。静かに、でも確実に広がって沢山の人たちの世界を少しずつ変えていく。
それは広がるにつれ、元の形から変わっていくけれど。根本が「Aさんの死」から始まっていることには変わりない。例え、世界を変えられた人たちが気づかなくても。
そうやって人間の認識する「世界」は出来上がっていくんじゃないかな。
そして、Aさんみたいな人だって(言い方悪いかな、すいません)影響力があるのならばたいていの人に影響力があると思う。それは、死であたえるものなんかじゃなくて。
この記事を見てる人に今現在、自分を大切だと思ってくれてる人が誰も居ない、自分なんて居なくても居ても変わらないって思ってる人が居るなら。
どこでも良いからまず、行きつけの場所を作ると良い。公園でも、コンビニでも、居酒屋でも、図書館でも、ネットの中でも、どこでもいい。
そこで会話をしなくても、誰かと関わらなくても、同じ場所に何回も行けば誰かの視界には入る。(ネットは足跡残すくらいはしなきゃだめかもだけど。)店員や、同じく行きつけにしてる人たちなんかの視界にね。
そしてあなたを認識するようになったら、もうそれだけであなたはその人の世界をあなたの認識分変えたことになる。
人1人の世界は狭い、だけど連なり続く人間の世界は、物凄く広い。
自分に何も影響力がなく、居なくても良いって思ってしまう、見えてしまう「アナタの世界」はどこかで必ず「他人の世界」と重なっていることを知ってほしい。
少なくともこれを呼んでくれた人は、私の世界と少しだけ重なった。
まぁ、一方的な重ね方だけども。
何が言いたいのかというと、もっと自分の世界を誇ろうよってこと。どんな行動だって、どこかで誰かに影響してるんだって自覚しようよってこと。
家の母は、テレビのニュースや新聞の記事で感動したり悲しんで泣く。そんな親を見てたら私も多少なり影響されるよ。
まったく知らない人のことでもね。