今日、というかもう昨日のことだけれど、洋楽をいくつか入れた。
車から持ってきた父のCDの中から各1・2曲くらい聴いて、自分の好みに合いそうな物とそうでないものを選別して。

これは前から思っていたことのひとつなのだけれど、自分の好み、好き嫌いを感じることを、もうあまり純粋にできなくなってしまっている気がする。無理にそうする必要もないのかもしれないのに、好き嫌いを意地でも決めている感じ。

そうする理由の一つは、どう見られたいかという、他人の目が絡んできてしまうということ。あるいは自己満足。ネタ作り。指標のため。もう一つは愛着とか、収集癖のようなものでもう何が何だか分からなくなっているかもしれないということ。麻痺しているというか、怠っているというか。

何かを好きだとした時、その理由は仮に答えらしきものがわかったとしても、どこか嘘くさいような馬鹿みたいな俗っぽい気持ち悪さをも感じてしまう。屁理屈。私の理屈なんて他人からしたら筋の通らない屁理屈にしかならないのかもしれないけれど、そういう話抜きにして、理屈なんていくらでも屁理屈になり得てしまうんじゃないかとも思うけれど。

なんか違う。意味不明。

内面化の表面化。なんて。
あれこれとたくさんのことを知りたいと思ってしまうけれど、やっぱり知らないほうが相当楽しく、らくに生きられるのだろうと思う。馬鹿にしているわけでなくて。(実際そうだとしたら私はまだまだ。)良いか悪いかも別にして。

ずれた。

すききらいがわからないというおはなし。