大学のパンフレットを握り締めて、欠伸を噛み殺しながら完二は頭を掻く。その頭髪は現在彼の特徴的な淡い金の脱色したそれではなく、受験を控える高校三年生に相応しい黒い髪色をしていた。少し痛んで毛先が捻くれてしまっているいるのは昨晩に急遽染め直したからだろう。
母に手渡されたカイロをモノトーンの上着のポケットの中で握り締めて、首に巻いた同じくモノトーン調のシックなマフラーに鼻先を埋めた。
見遣る大学のパンフレットの中身は華やかである。縫製。その文字が至る所に書かれたその冊子は、彼が今から受験しに行く大学のものだ。読み直しを何度も繰り返した為にしわくちゃになってしまった表紙を意味もなく指先で直す。
明朝の八十稲葉、駅前は人通りが少ない。
吐く息は白く、寒い鼻先をカイロであったまった指先で撫でた。ピアスのない鼻先に違和感を覚えながら、手持ち無沙汰に前髪を指で梳く。
受験、面接、試験。その為に完二は髪を黒に染め、挑発的なオールバックを止め、ピアスを全て外した。
自分らしくある、認めてもらう。先輩に言った、約束した言葉だ。笑われようがなんだろうが自分は自分であり続ける。
縫い物が好きだ。そして唯一の存在である母が好きだ。八十稲葉が好きだ。あの商店街が好きだ。巽の店が、好きだ。
そうした事を考えると、完二の目指す道は一つだった。縫製を一から基礎から全て学び、技能を取得する。そして自身をみんなに認めてもらい、店を継ぎ母を支える。
その為の受験に自身の個性を削ぎ落とす事なんて微塵も気にはならなかった。
制服の衿はきちんと前を閉め、コートはシックに靴も学生ならではの革靴に。鞄は普段からキーホルダーも付けていなかったので、唯一いつも通りかも知れなかった。
カイロを取り出し、掌に包みながら冷える鼻頭に付ける。予定よりかなり早く駅に着いてしまったので随分と暇だ。
というのも、完二は待ち合わせをしているのである。それも異性とで、更に完二が気を寄せている相手だ。いや簡単に言おう、片思いをしている相手だ。
白鐘直斗、彼女も大学の受験に行くのだという。ゆくゆくは探偵業を担うのだが、それには当然沢山の知識が必要だ。その為に彼女の母と父とが通っていた大学のオープンキャンパスに赴き、そうして受験届けを出したらしい。
完二もりせから聞いて、そして直斗からはそうなんですよという台詞を聞いただけなのでそこまでしか知らない。
が、どうにも直斗が受験する大学の方向と試験の時間とが完二の受験する大学と似たり寄ったりなのだという。その事から、直斗に「では途中まで一緒に行きましょう」と誘われた完二は断る理由がなかった。
あるとすれば「試験前に必要以上に緊張してしまうので」という事だろうか。なんにしても直斗の小さな笑顔で誘われれば完二の返事など裏返った声でのYES一択であった。
そうして今ようやく、待ち合わせ時間の10分前になったようである。駅前に設置された時計台を見上げて、完二は眉根を寄せた。30分前から来たと知ったら直斗はどう思うだろうか。とまで考えて、首を横に振る。こういうのが、よくない。何を気にしているのか、何故そんなに早く来たんですかと聞かれたらお前が好きだからだと返せるくらいに堂々となりたいものだ(あの無敵超人の先輩なら言ってしまいそうで、しかも様になってしまいそうで少し恐ろしい)。
「あっ、巽…君?」
びくん。完二の肩が激しく揺れた。首も跳ね上がったかもしれない。あともしかしたら、ひっと声が上がったかもしれない。不安に顔を引き攣らせながら完二は振り返る。駅から見て左手側の道路から来た思い人見遣った。
疑問詞であったのは髪を染めて普段と少し違う系統の上着を着ているからだろう。しかしこんなにも先日校内で会った時より雰囲気が違うのに気付いて貰えたのか。朝とは言え人通りが少ないとは言え、駅前には同様に受験を受けに行くらしい学生が何名か見える。
しかし完二は突如来た思い人にテンパってそれどころではなかった。
「お、おはよう」
よし普通に挨拶出来たぜ。密かにガッツポーズを取る完二だったが、視線をきちんと直斗に移した瞬間に硬直してしまった。
「おはよう、ございます…」
癖のある藍色の短い髪は普段の被っている深青の色をした帽子に隠れずに見える。耳に少し掛かった髪を直すように指先でいじる姿は、傍目に見れば先程までの所在無さげに黒い前髪をいじる完二に少し似ていた。
真っ赤な顔で握り締めた茶色の学生鞄は規則正しい長さのスカートと膝とは隠していて、その下からは細い足と紺色の靴下とが伺える。高校指定の制服の大きな黄色リボンが可愛らしく、背の小さい直斗の胸元でコートの隙間から垣間見えて揺れていた。
普段の少年ルックの直斗を予想していた完二は、良い意味で予想に酷く裏切られた事に目を丸くする。上から下まで不躾に観察するが直斗は何も言わずに待っていた。
「…かわいい」
そして完二の開いた口から出た一言はそれだった。
「へ?」
「あ、ああ!?いやなんでもねぇ!よ?おう!」
顔を真っ赤にした直斗はじいと同じく真っ赤になった完二の顔を見遣っている。それからすぐ後に更に真っ赤になった顔を少しだけ俯かせて、きゅうと鞄の持ち手を握り締めた。
「僕は、その…我を貫く事と社会のマナーを崩すのは、同じではないと…思ってそれで、受験にあたって女子の制服を着て…来たのですが…へ、変ですかね…変ですよね…」
「変じゃねぇよ!に、似合ってる……つか変っつーのは俺みてぇな付け焼き刃な格好してる奴の事を言うんだ、直斗は、その…おう…か、か…」
かわいいし、と、音になるかならないかの声で言い、完二はちらと直斗を見遣る。直斗に聞こえているかは定かではないが、二人共顔を真っ赤にして俯くその光景はなかなかに可愛らしいと通行人は思っただろう。
「…巽君の格好は変なんかじゃないですよ」
「……え?」
「…に、似合ってますよ。とても…」
きゅうと鞄の持ち手を、爪が食い込みそうな勢いで握り締めて、直斗は完二を見上げた。可愛らしいしかも片思いをしている女の子の上目遣いを直にくらい、完二は目が合った瞬間に死にそうなくらいに心臓をばくんと弾ませてしまう。そして弾みで膝から落ちた。片膝を地面に付かせ、かろうじてダウンを避けた完二は必死に何か言おうと口を開く。
「ありがとな」
「…いえそんな、こちらこそ。ありがとうございます」
互いに顔を真っ赤にして顔を合わせずに二人は笑い合った。直視したら鼻血を噴き出してしまいそうなので、なんとか直視を避けようとしながら完二は立ち上がる。
そうして寒いやら頑張ろうやらの会話をしながら、少しぎくしゃくしたまま二人は少し早いが駅に入った。
可愛いらしい紺色のコートから伸びた細い指が券売機に触れるところで、完二はようやく直斗を横から眺めてみる。
鼻血は出なかったが、胸がじわりと暖かくなり心臓が跳ね上がった。背伸びせずこういうのも自分だと表す直斗の姿は、とても男前に見える。
「……どうしました?」
「あ、いや、お…悪ィ、ガン見しちまって…」
「………いえ」
顔を真っ赤にして半歩下がる完二を、直斗は微笑んで見た。その顔は完二と同じくらいに真っ赤だったが、完二は気付かなかった。
あまり穿き慣れないスカートは酷くスースーする。直斗は下にスパッツを着用したスカートを撫で付けて、完二を見上げた。
座席の埋まった電車内で、一つ開いていた席を完二は直斗に譲って今は吊り革に捕まりながら広告を見上げている。
頭髪は黒く、オールバックにはせずに垂らしていた。長さはちょうどよく、少し髪の短い模範生のような髪型である。昨晩黒に染め直したので毛先は痛んでいたが、近くで見なければ気付く話ではない。
律儀に衿を閉じた制服に、黒のコート。試験かはたまた違う事の緊張からか、眉間にシワを寄せて真面目な顔だ。またピアスのない姿は新鮮である。
それを見上げて直斗はぼーっと考える。ただぼーっと、まだ少し熱い頬を撫でた。
(……カッコイイ…な)
巽完二の今の姿は直斗の憧れる姿そのものだった。ピアスは脱色した髪などの不良っぽい要素を無くした完二の姿は、子供っぽさと安い雰囲気が削ぎ落とされて頼り甲斐のある雰囲気と逞しさがひどく顕著になっている。それがとても、かっこうよく見えた。目線を下ろして、再び所在無さげにスカートを撫で付ける。
もともと、直斗は完二に惹かれていた。尊敬していた先輩が都会に帰ってから一年間、先輩達が卒業してしまってから一年間、あの時のメンバーは分け隔てなく仲良くつるんでいた。
その中で直斗は完二の姿を見ていて気付いたのだ、自分のありたい男性とはこうだったのではないのかと。まだ高校生ではある為に弱い部分のある完二だったが、それでも芯の強い人だった。
あみぐるみの好きな人だが、女々しいという訳ではなく貫き通す人だった。そうして側にいて、暫くして、あれこの感情はなんだろうかと考えていた。それだけだった。
だが先程それは変わった。ああ恋をしていたのか、と、頬を撫でる。
自分は巽君が好きなんだ。口の中で呟くそれはとても神秘的に思えて、直斗は胸があったかくなった。
(…受験が終わったら、伝えてしまおうかな…)
何故こんなにも心地がいいんだろうか。少し気分がよくて、直斗は小さく微笑んだ。
全く同じタイミングで同じような理由で完二も微笑んでいたが、互いには気付かなかった。
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カンナオウマー(^q^)