ふわふわ、その音が一番近いだろうか
我が家のメイコ姉はふわふわとこの電子の世界を漂っている。
比喩ではない、文字通りふわふわと漂っているのだ。
「お兄ちゃん、めーちゃん呼んで!晩御飯できたよ」
「はいはい」
ミク姉がカイト兄に声をかけ、カイト兄がそれに答えて何もない空に手を差し出す。
いつものやりとりに皿を並べながらそっと息を吐き出す。
電子の世界で過ごしている私達ボーカロイドはあくまでただのソフトウェアで、食事も睡眠も本来必要ない。
そんな私達がネットの世界から拾ってきた「家」というプログラムの中でそれぞれがパッケージに描かれている「キャラクター」と外見をもって、人間の生活を模してすごしている。
人間のように必要のない食事や睡眠をとって暮らしているのはマスターの希望であったり「人間」ってものを学ぶためであったり、まあ色々と。
我が家のマスターは人間くさい歌を好み、人間のように歌うことを望むからそれに少しでも添えるように日々人間の生活を模して学んでいるのだ。
そんなこの世界で、一人異質な存在が居る。
それがめいこ姉だ。
めいこ姉はふわふわと電子の世界で粒子になって漂っている。
その姿を発見できるのは同じV1のエンジンを持つカイト兄だけだ。
最初こそ私達V2はそんなめいこ姉にもカイト兄にも戸惑ったけれど、今はもうそれが日常になっている。
初めて会った日、私達V2がインストールされた日にはもうメイコ姉もカイト兄もこの世界に存在した。
その時はまだ、このパソコンの中はただの真っ白な世界だった。
「はじめまして」
そう言ってメイコ姉が差し出してくれた手は暖かかったような気がする。
二度目に二人と出会ったのは初めて会ったほんの数時間後、初めて歌を歌って帰ってきてからだ。
真っ白な空間でカイト兄がただ一人、真っ赤な背表紙の本を読んでいた。
メイコ姉の居場所を聞けばきょとん、として
「そこにいるじゃない」
と指をさした。
目を凝らしても私達には何も見えず困惑していると、カイト兄が空に向かって手を差し出した。
何もない空からカイト兄の手に手を添えるようにメイコ姉が現れた。
驚いている私達と、そんな私達に驚いているカイト兄を尻目にメイコ姉はにっこりと笑った。
必要時、つまりマスターに呼び出されるまでは形を持つこともなく電子の世界にふわふわと漂っているだけ。
それが私達の世界にいるMEIKOだ。
メイコ姉が形を保つことが出来ないのはどうも「キャラクター」というものをあまり付加されていなかったかららしい。
初めてこの電子の世界に来たメイコは「歌うソフトウェア」であってキャラクター性など存在するはずがなかった。
では同じV1のカイト兄が形を保っていられるのはなぜか。
本人たちにもよくわからないようだが私が勝手に推測するに「MEIKOの後輩」という「設定」をマスターが勝手に付加したからじゃないだろうか。
人数が増えれば「家族」なり「恋人」なり「師弟」「先輩後輩」なんだってカテゴライズしようとするのが人間だ。
1つであればファイリングするほどじゃなくても、2つあればなにか共通点を見つけて名前のついたカテゴライズがされる。
そうやって分類分けするのが人間というものではないだろうか、とマスターを見ながら私は勝手にそう考えていた。
だから、2つ目のソフトウェアであるカイト兄には設定という名の「キャラクター」が付加されているのだと私は思っている。
二人だけの世界であったから、カイト兄にはメイコ姉が見えていたから、二人ともそんなこと気にしたことがなかったみたいだけど、家族として暮らしたい私達V2からすると困ることである。
そんなわけでカイト兄はふわふわと漂うメイコ姉を、見つけることの出来ない私達V2のためにメイコ姉呼び出し係に任命された。
メイコ姉本人もできるだけ人型を保っていられる時間を増やせるよう頑張っているらしい。
が、本人の意志とは反比例してその時間はあまり増えていないように感じる。
食事を摂りながらもうとうととしているようなことが多く、意識が遠のき自我を保てなくなってきた時メイコ姉の体がすっと薄くなる。
まるで電子の世界に溶けこむように人型を保てなくなるのだ。
そのたびに誰かが声をかけ食事を意識を取り戻す。
そんなことを繰り返している。
私はそんな今が怖い。
パッケージに描かれている茶色い髪に赤い服、やや日に焼けたような肌をもった女性がゆっくりとカイト兄の手に手を合わせて現れる。
その姿を見ながら、身震いをする。
電子化したメイコ姉には私達の声は届かない。
メイコ姉と私達V2のつながりを保てているのはカイト兄という存在だ。
ではもし、もしもカイト兄がいなくなったら?
今進んでいるV3化という計画が我が家のカイト兄にも訪れたら?
カイト兄とメイコ姉をつないでいるつながりがV1という同型のエンジンだというならもしその時がきたら、メイコ姉とは会えなくなるの?
そんなことを考えてしまう今が、私は怖い。
誰にも言ったことはないけれど、きっと私の片割れが気づいているだろう。
漠然とでも、私がふとした時に恐怖を抱えていることを。
そんな恐怖をごまかすように文字通り地に足をつけたメイコ姉の手をぎゅっと握る。
どうか、どうかメイコ姉と二度と会えないようなそんな世界がこないよう願いを込めて今日も私は祈るのだ。