「黒桐、本物と偽物の違いはなんだと思う?」

煙草の煙をはき出しながら、唐突に橙子さんは切り出した。

最近橙子さん好みの悲惨な事件はあっただろうか?
思い当たる節がない。

「最近何か事件でも起こりましたっけ?」

「・・・・・・黒桐・・・まさかおまえ、私が一年中そっちの話題で飢えているなどとおもってるんじゃないだろうな?」

図星なので、あえて聞かなかったことにして話しを進める。

「人間が本物だと認識するかしないかの違いじゃないですか?」

橙子さんはうん、と小さくうなずいた。

「逆に言ってしまえば、例え偽物という事実が本当だったとしても、相手にそれを本物だと錯覚させることができればそれは紛うことなく本物だということだ」

「・・・・・・なんとなく意味はわかるんですけど、それがこれからどういう話しにつながるんですか?」

「まあ待て黒桐、わかりやすく絵に例えて説明してやろう。」

そう言いながら橙子さんは、デスクの引き出しから雑紙を一枚取り出した。
そしてサッサと何かを紙に書き込んでいく。

「これは何に見える?」

そう言って橙子さんは、さっきまで何やら書いていた紙を持ち上げる。

「林檎ですかね?」

そうとしか見えなかったので、素直な感想を口にする。

おっ、と橙子さんは少しうれしそうな顔をする。

「そうだ林檎だ。無論私はそれを意識して書いたつもりだ。
ではこれを食べることはできるか黒桐?」

そう言って紙をヒラヒラさせる。

僕は少し怪訝な顔をして

「食べられるわけわけないじゃないですか!所長はまさか食べろなんていうんですか?」

と冷ややかに答える。

「そうだな、私も食べるのは願い下げだ。だが林檎が食べられないわけではないだろう?
ではなぜさっきお前は、この絵を見て林檎と答えたんだ?」

なんとなく橙子さんが言いたいことがわかってきた気がするけど、僕はそのまま答え続ける。

「それが紙に書いた林檎で、尚かつ本物の林檎とは違って、食べてもおいしくないと知っているからです。」

橙子さんはその答えに満足そうにうなずいた。

「そうだ。つまり君はこの紙を見て本物の林檎を連想したが、紙に書いてあるのは偽物だと気づいている。故に食べようとはしない。
ではさらにこの絵に赤い色と光沢が書き加えられたらどうだろう?
おそらく"美味しそう"などという装飾が君の感想に付け足されるだろうね
べつにその感覚は間違った物じゃないし、りんごを知っている者なら当然の考えとも言える。
しかしそこには"所詮紙に書いた物"という事実が付随するのを忘れてはいけない。
どんなに上手く、どんなに本物に似せようともそれは紙に書かれているものでしかないという事実をね。
一流の絵描き達の絵は、人の認識を錯覚させるのが上手いんだ。

ある知り合いの絵描きはこういっていたよ
『例えそれが存在しないものでも、我々は偽物だと気づかせてはいけないんだ。
せっかく築き上げた世界を簡単に崩壊させられてはかなわないからな』
とね。
ピカソやゴッホの抽象画も原型はそこなのかもしれないな。とあの時考えたものだよ。
なかなかどうして絵とは
二次元の世界に三次元の物を落とし込むなんて魔法みたいなことだと思わないか?」

なあ黒桐、橙子さんは笑いながらそう尋ねてくる。

ようするに絵そのものは矛盾だらけだけど、それを本物だと錯覚させることで「絵の世界観」というのを保っている。どこかで妥協すればそこから違和感や矛盾という綻びが出てくる。だから気づかれないための努力を絵描き達はしているのだ。まとめるとこんなものだろうか。

「それでな黒桐」

と返事をする前に話しを続ける橙子さん。
・・・・・・何だか嫌な予感がする。

「林檎を買ってきてくれ、こういうのは話しをしていると食べたくなるのだから始末が悪い」

眼鏡を外して、口元をつりあげられれば僕にはもう抵抗する手段がない。
眼鏡を外した橙子さんはどこまでも意地が悪くなるのだ。

僕は肩をすくめて、

「・・・はい」

という気のない返事だけ残して、橙子さんのいるこの部屋を後にした。
本物の林檎を買いに行くために――――――。



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友人に
"画力上げるぜ!"
と言ったらSS形式で応援してくれました

感謝。