今日は。朝から新聞を出して軽い筋肉痛になりかけてるまたにゃんです!新聞重いよ、でも負けなかった。


さて何と無くですが現在の自分と過去の自分を比べてみようかと。過去の私に関してはメンタルな話題なので引っ張られ易い方や偏見または嫌悪を抱かれる方等はブラウザバックでお願いします。
あ、ただ思い出して書いてるだけなので余り深く捉えずに読んで下さると有り難いです、と前置き。



んー…まず私は産まれた時から母の所有物でしたね。いや、母は母なりに愛情を与えてくれてましたよ。ネグレクトなんて絶対にしなかったし、多分当時の母子家庭の中ではかなり裕福な暮らしをさせて貰ってましたし。下手したら二親揃ってる家庭よりも金銭的には裕福だったかも。それを生活保護や母子手当を貰わずに、だから母は凄かったんだと今なら分かります。

だけど母は私に依存してました。肉体、精神、性的虐待を受けてきた母は家族が分からない人でね。母の実母も母が小さい頃に母達を捨てたから母からの愛情が分からない人だったんです。そりゃあ私にも歪んだ、だけど必死に愛情を与えようとする訳で。

とにかく私は周囲から見て良い子であって欲しかったみたいです。挨拶や言葉遣いは当然の事、三歳にしてテーブルマナーを叩き込まれ何をするにも母の許しがあってから。自分の意志はあってないようなもの。そして刷り込まれたのが

『またにゃんはママのコピーさんだよ』

私には母しかいない、と幼いながらに刷り込まれてました。
それが決定的になったのは小学校の高学年。ある日、酔った母が口を滑らせたんです。

『あんたの本当の父親は生きてる。あんたがお腹にいる時に要らないって言ったからお母さんは父親から逃げてあんたを産んだんだ』

これを言われた時は何も感じませんでしたねー。ただ、ああ私は要らない子だったけどお母さんが産んでくれたからここに居られるんだ。私の世界はお母さんなんだ、と刷り込みのお陰でめでたく変換されたようです(笑)

それから一切の反抗期もなく、いや、反抗期はありましたが尽く鉄拳制裁で叩きのめされました。これに関しては感謝してます。悪い事をしようとした私に真っ向からぶつかってくれたし、そういう子達から守ってくれましたから。

だけどやっぱり母は私が自分の知らない所で成長するのが嫌だったみたいです。私が自我を出したら自己中と罵られ、何か問題があれば自分の納得のいく答えを私が出すまで正座で突き詰められ…かと思えば19の時に(この時は既に父と再婚済)色んな人と不倫して、バレたら私に尻拭いをさせ。一回なんか不倫相手と私が少し仲良く話してたらヤキモチを妬いた母に平手打ちを喰らい、不倫相手が激怒。私は何も悪い事をしていないのに何で殴ったんだ!信じられない!と。

そしたらね、母は私にお前のせいで捨てられる!謝りに行け!またにゃんが悪かったから母に殴られました、母は何も悪くありませんと言え!

はい、言いました。
それ以外にも色々あったなぁ…。たっ君が産まれた後に言われたのは『あんたが良い子過ぎてしんどい』とも言われたり。


そう振る舞うように育てたのは誰?と聞きたかったけど聞かない。そして無かった事にしなきゃいけない。だって母はもう覚えていないから。


『お前を育てる為にお母さんがどれだけ身を削ってきたか』


そう言われ続けて、私はお母さんから離れちゃいけないんだと本気で思ってました。母の担当医にも『お母さんはまたにゃんちゃんが居ないと駄目だから頑張ってね』と丸投げされてましたし(笑)


それを覆してくれたのが槙君なんです。