さっきトシくんが「病気から7年、8年か」という話をつぶやいていて、ああもうそんなにたつのか、と。
キャシーが、とか、fifiが、とか。
懐かしいーこれ5年前とか?
うわーって。

いつのまにか「青春だね」という言葉が似合うような歳になってしまった。
つい最近まで、なんかまだこそばゆいけれどつかっちゃおっかな?というノリだったのに、ここのところ妙にしっくりしている。

当時の彼氏が「そんなにいいならいこっかな」ってライブに一緒に行ってくれるようになった。
そんな関係になって2〜3本目か。tacicaが急に一本のライブを払い戻しにしたのは。どうか止まらないで、と切に願ったものだ。


彼とは別れたあとも数本のライブにいった。
行く、行かない、行く、行かない、と言い続け、結局一緒に行った代々木野音のフジファブリック。
志村が死んだら絶対フジファブリックには行かないっていっていたのに、どうしてもみたくて行った、ちょっと冷たい星の綺麗なあの空を私は忘れることはないと思う。
終演後、TLには「志村がいたね」で埋まっていた。
今日もたしかに志村を感じた。
何故だろう。
お盆は終わったよ?



私、という人物。
私、を作り上げた音楽たち。


世の中はアイドルに夢中だった。
いい時代を生きてしまった。
モー娘。に始まり、ジャニーズも全盛期。ハイスタが盛り上げたあのシーン、うずうずしていたアンダーグラウンド。いい。とてもいい。「邦ロック」が全てだった。

私の幼稚園時代は、すきな男の子が一人いて、気になる女の子が3人いた。かわいい女の子はとくにすきだった。へんな奴もいて、へんな奴の親はへんな奴なんだなとその時に悟った。同時に、へんな奴もへんな奴なだけじゃなくて、いいところもあるんだと悟った。団体行動より個人行動がすきだった。「お姉ちゃん」という概念に縛られ、我慢するのが嫌いだった。でも、「しなきゃいけないこと」はたくさん理解していて、「嫌だな」と思っても、絶対手を出さない、口を出さない、の2つを守れば、一瞬の出来事だから我慢することに徹していた。
そのはけ口は絵だった。今思えばはけ口という言葉がしっくりくる。

絵はいい、とてもいい。一人で没頭できるし、だれも困らせない。紙と鉛筆をたくさん使うことになることが一番困りものだし、お金がかかることだ。いかに親にお金を使わせないか、という概念も当時からあった。これは小学校中学年から「アトピーにお金がかかるから、わがままは言わない、お金を使わせない、お金を使わせることは悪だ」という概念へと進化する。


とにかく絵と工作がだいすきなのだ。それは小学校に上がっても続く。動物もだいすきだった。しかし「アトピー」がそれを拒んだ。アレルギーがとにかく多かった。検査の仕方によっては測定不能の文字が3〜4個並んだその結果に呆れていた。代わりに少女は虫を育てるようになった。初めて育てたのはありだった。自分で巣穴の構造を考え、ペットボトルに作らせたのが初めだったらしい。
蟻にはじまったそれは、カブトムシ、クワガタ、アゲハチョウ、トンボ、多岐に及ぶ飼育となった。クワガタムシやカブトムシを越冬させるのも楽しかった。
観察日記は大して続かなかった。
そんな少女は小学校に上がると昆虫博士になった。今でも小学校の教室でカマキリのたまごを孵化させてしまったことは語り継がれている。大変な騒ぎだった。
もちろん生命には奇形も存在する。あの冬を私は忘れない。本来、アゲハチョウは蛹になり冬を越す。その間ゆっくり時間をかけて幼虫からチョウの姿へと変身すべく、改造が行われる。
一度ドロドロになり、再び形を形成させていくなんて、だれが知ったことなのであろうか。

私の実家は冬、とても寒くなる。
だからストーブを焚いて暖をとる。
早く気付け、という話なのだが、そんな暖をとった家の中に蛹を置いておいたものだから、アゲハチョウが真冬なのに羽化してしまったのだ。今はたしかに暖冬ということもあり、冬にちょうが飛んでいることは不思議ではなくなってきたが、当時は大問題だ。そんなこと起こりえない。だから、というわけでもないのだが、そのアゲハチョウの羽は伸びることがなかった。しおしおのままだった。だからその子は一生空を飛ぶことはできなかった。

幸い、我が家には沢山のお花が植わっていた。お花の蜜をあげたり、砂糖水をつくったり。どんな砂糖だと飲んでくれるのか、温度は?嬉しいと羽をパタパタさせていた。健気だった。
手のひらに乗せてカルピスを少し垂らす。常温がちょうどいい。すると手のひらからストローでカルピスを吸ってくれるのだ。可愛かった。実はちょうによって、あのストローの構造や長さも変わってくる。お花の蜜をすうのか、どんな蜜がすきなのか、移動距離は、樹液は飲むのか。
しらないでしょ?
国蝶オオムラサキのストローは2股になってるとか。
私も飼育しなかったらしらなかった。
トンボの正しい持ち方とか。
捕まえる時はこうすると簡単だよ、とか。
カマキリのカマの可動範囲とか。
カブトムシやクワガタの痛くない持ち方とか。

ふとおもいだしちゃったんだよ、そんな中で生きてきたんだよ。
そんなたくさんの生に囲まれていたら、逆に自分の不必要さを思い知ってしまうことになるんだけど、それはまた今度の話。