机の上だけ電気をつけて、上半身を寝そべらせていた機体を起き上がらせる。買ってから20年近く経っているためか、表面にうっすらと引っ掻いたような傷跡が白い蛍光灯で浮き彫りにされていた。それを尻目に、床に放ってあった鞄を掴みあげる。
教科書のページが折れるのも構わず、鞄を乱暴にふって物を落とすと、鉛筆と消しゴムが筆箱から飛び出して音を立てながら床の上を跳ね飛んだ。重なり合い、ばらばらに開かれたノートの端に一瞬いたのは昨日描いた落書き。しかし被さった教科書でそれもすぐ消える。
消しカスと飴の包装紙がその後を追い、小さな子供でも片手で持ち上げられるほど軽くなった鞄をひっくり返せば、セロハンテープで貼り付けられた薄緑色のシャープペンシルが鞄の底に見えた。たった100円程度の小銭で買えるそれに、視界が眩む。
人差し指を挟んで少し上に引くと、ペリペリとセロハンがゆっくり剥がれ落ちてくる。鞄のなかに目玉が食い入るほど、チャックの割れ目に顔を覗き込ませていた。意識が没頭する。頭が重たく感じた。シャープペンシルと鞄をつかんでいる両腕が不安定に揺れて、空間から切り取られたように軽い。粘着力の弱くなったセロハンを丸めて、鞄ごと床に捨てた。自分の手で名残を消さないように、指先で摘みあげて電球の光に当てるが、キズとうすい芯の汚れで綺麗には透けなかった。
唇から吐いた息が、熱い。
弟の指を舐められるのだと思うとぞくぞくした。
この、細長い形をしたゴムの部分にきっと指先が当たっていて、正しい持ち方をしていない弟は親指で囲むように持って、字を書いているのだろう。
プラスチックを舌で舐めると、潤滑剤でつるりと表面が滑る。だらしなく座った椅子の上で口だけを静かに動かして、じんわりと熱くなってきた思考回路に目蓋と頭が重たくなってきた。
砂嵐の映像の中で途切れ途切れに映る青い機体。名前を呼ぶと振り返る生意気でかわいい顔。その頬に仮想体の俺が指を伸ばすと、冷たい指先に甘える弟が身を任せるように目を閉じた。
しなだれかかる機体は決して逃げ出さない。ゆるく絡めた腕でベッドに押し倒せば、目を細めてキスをねだる弟の顔が俺の名前を言いかけて、やめる。互いの関係は近すぎるのに、線引きされた立ち位置に俺は泣きそうになる。兄と弟はこんなことをしない。
力無く笑って、触れた唇はすぐに熱いものへと移り変わっていった。お互いに腕を回して、夢中で貪りあう俺と弟は目を閉じない。コンマ1秒でさえ今がもったいなくて、繋がって生まれるものはなにもなくて、内部を互いに侵し合わないと正式な×××がとれないからだ。
柔らかいシリコンでできた口に透明な潤滑剤が付着して、顔を離すと少しだけ糸をひき、すぐ冷たくなった。言葉のない沈黙に増していくのは痛みと切なさだけれども、自分たちの関係を保っているのは、むしろそれだ。だからこそ、この不安に、安心する。
そっと手を伸ばして体を撫でた。不器用な俺の触れ方に弟がちょっとだけヤラしい顔をしたあと、手を重ねて嬉しそうに笑った。そうすると、俺のなかでまた×××が不明瞭ながらも密度を増して弾け、浸透していく。
×××とは、確証を裏付けする×××とは、外的刺激因子に属する浮遊的な動きを持ちその働きかけとして確認されているのはヒトでいうセロトニンとドーパミンに類似した電子ホルモンであり精密な解読は未だ不明である。
×××はNO.13の内部で相互受容器に組み合わさり拒絶反応を示さず作用し今のところリスク要因としての認識はされていない。しかしこれは相対的な結果としてan errorと分類される。そして俺はこれを と呼 ぶ
シャープペンシルを口でしゃぶっていたとき、仮想世界が停止ボタンを押されたように動かなくなった。教室の入口でこれを自分に貸してくれたフラッシュとのやり取りを思い出して、シャープペンシルの残りが目先でブレた。
途端に自分と構築されていた弟が、部屋ごと灰色に上塗りされていく。急激な崩壊に骨組みされた頭部の中で、無機質で単調な響きが繰り返される。昂揚する回路の飢えをしのぐために、消えかかるフラッシュを捕まえようとして俺はそれを噛み続けた。擦り切れはしないが、柔らかい舌の上でざらざらとしたプラスチックが細かく砕けて口の中がじゃりじゃりする。
二、三本の指を口の中に突っ込んで掻き出すと、潤滑剤と混ざり合ってぐちゃぐちゃになったプラスチックの破片が手の平に落ちてきた。自分の粘液に繋がれた薄緑色の塊を見て、俺は安心する。兄は弟のシャープペンシルを噛み砕いて、自慰行為などしないからだ。
俺(たち)の情事は、兄弟という関係だからこそ不安定でいい。不安でいい。壊したいほど求めていると、負の感情があっていい。それこそが正常の証だ。
残骸を喉のパイプに押しやれば管を通って中に落ちていく。硫酸に熔かされるそれはいつか自分のエネルギーとなり、しばらくの間は精神的な柱となって背中を預けていられる。自分の一部として取り込まれた薄緑色のプラスチックに、クラッシュの全部が支えられる。
だから、彼の前で自分の欲求を、大好きなものを破壊したいという欲求を少しの間抑えられると、そう、思っていたのに。
「なあ。いつから見てた?フラッシュ」
扉を叩きつけるように閉めて走り去っていく足音に、どうしようもなく興奮した。
吐き出したプラスチックをもう一度口に入れて、綺麗に飲み込む。机に手をつき立ち上がると、俺は弟を追いかけた。
この感情を愛と呼びたいのに、俺のプログラムはそれを×××としか認識しない。