(――もう何度目になるだろう。
そう考えることは無意味に近いと分かっていた。
目の前には、頬を涙で濡らした少女が一人いる。
母王から疎んじられ、家臣や世話役の女官や采女からも軽んじられ。やさしい姉に心配を掛けることを自ら厭い、誰にも甘えられず。ひとり隠れて泣くことが習い性になっているのだ。嗚咽を殺し、ただ次次と流れる涙を止める術を知らず袖に雫を吸わせている。ぞろりと長い衣を、更に重いものにする。そんな幼い姫を放っておくことがどうして俺に出来るだろうか。
穂をもたげた一面の葦の原に夕日が照り映えている。背の高い茎は彼女を、美しい黄金の髪をすっかり覆い隠してしまっている。
と、あなたは信じていたことだろう。
不意を打つように、千尋、あなたを抱き上げる。
あなたに救われた命、人へと転じて得た二本の腕で。慈悲深く孤独なあなたに、せめてもの慰めとして俺の加護を与えるために。
あなたの幸せが、俺の幸せだ。
今度も俺はあなたを選び、物語は幕を開ける。神によって閉じられた時空の輪の、その内で。
この後の筋運びは概ね定まっている。千尋の母が治める中つ国は常世の国に滅ぼされる。混乱の中、俺と姫、偶然居合わせた那岐は異世界へとたどり着く。二ノ姫としての記憶を失った千尋を守るために、俺たちはその世界でしばし雌伏の時を過ごす。
戦の火の粉が降りかかることのない、豊かで平穏な毎日。
あちらへと戻らないという選択を当然考えたこともあった。何もかもを忘れてこちらで暮らすという人生――結果は決まって苛酷なものだったけれど。
その筋道をたどるためには、やってくる招き手を葬り去る必要があった。那岐の鬼道が彼らの息の根を止める。一部始終を目の当たりにした千尋のやわらかな心は、積み重なった事象に耐え切れなかった。那岐はそのまま何処かへと逃亡し、千尋は――病院から一歩も出ることなく四十七年の人生を終え、俺はそれを看取る。
もっとも、そこに至ることは稀だ。
千尋は大抵あちらへと還り、仲間を集めて中つ国の復興を果たす。
その過程で様々な男と恋をし結ばれる。
相手は俺の知った人物であったり、知らない人物であったりした。夫となる人物を見極めるために、俺が遣わされることもあった。
盛大な式を執り行う場合もあれば、手に手を取って国を出奔する場合もあった。
子をもうけず夫婦二人で支え合う選択の一方、夫を差し置いて子の名付け親になってほしいと千尋に頼まれたことも幾度となくあり、その度に新しい名前を考えるのは楽しかった。千尋の子の成長を間近で見られるのは、俺にとっても喜びだった。王子の剣の相手になり、誕生から知る小さな姫に求婚されることもあれば、やがてふられ、代わりにそのこども、千尋の孫をあやすため腕に抱くこともあった。
あるいは、俺の風早という名と姿を変えなければいけない事態もあった。
名君と謳われた千尋の崩御を国をあげて悼むところも、初産で腹の子の命と引き換えに黄泉路を渡るところも、毒を呷らされた苦しい息の下、内乱の首謀者を責めず国の未来を語って息絶えるところも――
終わりをすべて見守り、そうして時が過ぎ、
また俺は、黄金の葦の原で、千尋、あなたを抱き上げるのだ。)
*
*
*
国中から愛される二人の姫の噂が、俺の足を橿原宮へと運ばせた。
一生一度、一目でもという思いが天に届いたのだろう。何の変哲もない畦道で千尋と行き逢う。陽に輝く黄金の髪と、それ以上に笑顔が眩しい。
今の俺の身分は、千尋の従者ではなく民だ。
それらしく他愛ない二三言を交わし、別れる。
と、俺と出会ったことのないあなたが、俺の名を呼ぶ。
俺はこの一瞬を永い間待っていたのだと、抱きしめ合う腕の強さで知った。