幸せのしっぽ







ぼんやりと、天井を見つめる。
今、この場を摘発されれば間違いなく数年はブタ箱覚悟だろうなと、そんな下らないことを思いながら起きたての身体のだるさに浸りきる。
脚のあいだに絡まっていたタオルケットを押しやり、部屋の暗さに目が慣れたところで、枕もとのスマートフォンを確認した。 すでに陽は暮れているが、まだそこまで遅くはないらしい。ちょうど午後七時をまわった時刻に、よかった、と思わず小さく息をついた。

さすがにドキリとすることはなくなったが、隣にいる、あってはならない少女のしどけない寝顔に、消え入りそうな気分で呼吸を繰りかえす。




『先生は、私を子供だって思ってるんデショっ!』




頬を染めて、そう興奮気味にむきになってくる子供を、問題児を見るような目つきで見守っていた自分は、いったいどこへいってしまったのか…。



『子供じゃなかったら何なの』
『銀ちゃん先生の恋人?』
『十年はえーよ』
『じゃあ、十年後には結婚アルか』
『……あのねぇ……』
『何ヨ』
『… わかった。じゃあお前がその時、めちゃくちゃイイ女になってたら、考えてやらなくもねーよ』
『何ネ!その上から目線。悪いけど、そん時はオッサンなんかもう声かけてやる価値もないネ。今が唯一の買いどきだったのに残念アルな〜』
『オッサン?』
『先生のことに決まってるデショ』



教室や廊下で会えばちょっとした冗談や、小生意気な質問とやらにも答えを返してやっていた年上の男を、慕ってしまうのは、この年ごろの娘ならなんら不自然ではなかったはずだ。ひとりの男として好きになりかけてもおかしくはない。 
だが、2年になり、担任じゃなくなって、それほど頻繁に遭遇するわけでもなかったし、逆にある日、むしろこっちがその偶然に自分自身の中の気分のムラを気づかされたとき、つまり、俺のほうが実はこの子に多大な興味を寄せているのだと悟った時から、コイツの姿はしょっちゅう視界の中に入ってくるようになった。たとえ、ひどく離れたところにいようと、ちらりと視界をよぎる幼い姿を見逃したことはなかった。そんな時、自分は、どうしていいのかよく解らなくなったものだ。遠く離れた場所で、どこぞの誰か知らないが、男子生徒と戯れている神楽の姿を見るたび、当然こっちには気づかないことにイライラさせられたりもした。少なくとも、自分の視界に入ってくる位置にいるというその事実が、たまらなくさせる。
そして──…今はもう、神楽がこうして此処にあるように、もし自分以外の他の男と同じシーツで睡るようなことがあったら…。それを想像するだけで… 、神楽よりむきになりそうな自分がいる。いや、むきになるなんてレベルじゃない。間違いなく抹殺する。相手の男を。それはもう問答無用で……。


誰に見られている訳でもないのに、そういうことを考えている自分を恥ずかしいと感じているのに、そう思うのも当然だと、よけいな苦労に心を窶した。


───なんつー似合わないことをしているのか…。


だが頭を抱えても、色々と無駄に苦しい想いは後を絶たない。
ジャンプを読むのをやめるかどうか以外で、心を悩ませることになるなど、昔の自分なら思いもしなかっただろうに…。寝乱れるままに丸くなって睡っている小さな存在に、まさかこんなふうに悩む日が来るなどと……。




小さな足もとに、クシャクシャになったシーツがまだ熱を含んでいるかのように湿っていた。それを柔らかく蹴りとばす互いの爪先が、時おり、甘ったるい空気を奏でるような、そんな時間。

乱れた髪の張りつく幼い頬には、うっすらと涙の痕があった。
激しい行為の後のまどろみは、気怠く尾を引いてタチの悪い余韻を残す…。



…可愛い顔して寝やがって。



普段の小生意気な姿からは想像もつかないいじらしさに、自分自身いまだ慣れきれていない。そのくせ、妙になまめかしくて、気づいたらいつもこんなことになっている。
静かに身体を起こし白い頬にそっと触れると、神楽は小さく身じろぎした。


「 ぅん…」


いっちょ前に色っぽく寝返りをうったりなんかして。形をかえる幼い胸もとの膨らみが、起き抜けの目にやたらとうるさい。
昼間から籠もった自分の部屋で、三時間ぶっ通しで啼かせたばかりだってのに…。
本当、タチが悪い。
時おり洩れる重たげな呻き声は、とてもじゃないが、そこから引きずり出してはならないような疲労を示しているのだ。ここまで負担を強いたと思うと、さすがに自分に居た堪れなくなってくる。
まともな睡眠の要求に従っているのではなく、回復のために確保されているだろう時間を邪魔するわけにはいかなかった。
神楽の具合が芳しくないと困るのはまず自分だ。 …それからとにかく兄貴と父親が五月蝿い。


起こさないように布団から出ると、脱ぎ散らかした服の中から煙草とライターを探し当てる。それをとりあえず脇に置いて、下着をはいた。 …静まってくれてもいいものを……心とは裏腹に身体はどこまでも単純にできている。興奮気味のオスを薄っぺらい布地の下に閉じ込めたところで、簡単に落ち着くわけでなし、たいして意味はないのだが…。


ベッドの端に胡坐をかき、睡る少女に背を向ける恰好で煙草をくわえる。
気分転換…──というか気を静めるための儀式だ。
とりあえず年相応の対処法で効果を期待してみる。


背後の寝息に気を配りながらライターを擦ろうとしたら、そこで、ふと背中に甘い気配がふるえた。
それはすぐさま脇腹を掠めて、身体の前に辿りついた。
絡みつくビスクドールのような白い腕。 同時に、背中には、ふにふにとした柔らかい感触が張りつく。けしてコイツが人形ではないと、生きている証を伝えてくるその皮膚の溶け合いに、快美感にも等しい極上がよみがえる。
何とか平静を装いながら吐息で声を出した。


「…起こした?」


火を点けるのをやめ、煙草とライターを戻す。
空いた手は、自分の腹部にまわされた人形の細腕に添えて。
かろうじてその下の存在はバレていない。


「…ぎん……ちゃ……」


まだ完全に目が覚めていないのか、トロンとした声が背中をくすぐった。


「どうした?」


出来るだけ穏やかな発声を心掛ける。


「……んー…」
「し足りなかった?」


それは自分だろう、と内心でツッコミつつ。情事の後はいつも泥のような睡りに堕ちる神楽にふってみる。


「……しすぎて…… ヒリヒリするネ……」


拗ねた声は少し不機嫌だ。
けれど触れている背中は、微かに熱くなったような気がした。


「そっち向くぞ」


後ろから抱きつかれているのも悪くはなかったが、せっかく布団にいるなら向き合いたくなってしまう。


「……だめ」
「なんで、」
「顔、見たくないからヨ?」


どうやら許可を求められて少し照れているらしい。強引に向いときゃよかったか…。


「…俺は見たいな」
「どうして?」
「お前の顔を見るのに、理由なんか要らねーだろ」
「……。」


コイツの無言にからかい半分、俺は続ける。


「向くぞ?」
「やーヨ」


きゅっとまわした腕に力を込められて、あえなく二度目の却下。


「…なんで駄目なんだよ」
「向いたらエッチするから」
「………しねーよ」


その“間”は何だと問われれば、それまでだが…。


「じゃあ、お前がこっちにまわってこい」
「やーヨ。 不幸になるアル」
「…オイ、」
「なら、幸せにするアルか?」


できればしてやりてーな。 なんて心に誓う恥ずかしい願望は微塵も見せず、右手を後ろにまわして、だいたいのピンク頭の位置を仕方なげに撫でてやった。ぽんぽんと少しあやすようにしてやれば、ふにゃっと笑う吐息が腰骨を痺れさす。


「幸せにしてくださいアル」


……これではまるで逆プロポーズだ…。


その重さをわかっていて言っているのならしょうがないが、笑いをにじませて軽く言う神楽は、どこまでもよけいな苦労とは無縁に思える。
わずかに痛んだ胸の鼓動が速くなった。
胸が詰まって仕方ないのはこんな時だ。
そこに、確かな温度差を感じてしまうからこそ、息苦しくなる。
それは息苦しくはあっても、あくまで痛みなど少しも感じていない少女の、甘酸っぱい幼稚な匂いを嗅ぎ取るからにほかならない。
確かに、端から見ていれば微笑ましいかぎりだが、自分の気持ちと比較するようになった場合、それはとんでもなく厄介なものだった。ただ、そんなあどけなさ全開の子供を待つこともできず、『女』 にしたのは、間違いなく自分で。
けれど、だからこそ、むきになるほど思わずにはいられない。
今以上の気持ちがこの子に宿るとどうして保証できる?
一時の熱病みたいな、熱いまなざしが気に喰わない時がある。
もしそれが刹那的で激しく、夢みたいに身勝手な憧れだったとしたら――……。
コイツが本当に好きなのは俺ではなく――…、同じ年代の奴等なんだと気づいたら……。
俺の気持ちは永久にコイツの胸には届かない…。
愛じゃなかった。
そうじゃなかった。
本当はいつもいつも───。





───クソ…、情けねぇったらねーな。


それでも、どうしてか嬉しそうな背後のようすに徐々に顔はにやけてしまうから、もうどうしたいんだ俺は、とぐるぐるぐるぐる馬鹿なことばっかりだ。
このままでもけっこー幸せじゃないか……。
なんてそれこそ柄にもなく不確かな未来まで考える。
チクショー。やっぱり顔が見たい。


「…約束ネ」
「………え、……は?」


勝手に約束までされてしまって、思わず首が痛くなるほど振りかえった。桜色の髪がわずかに視界の片隅にとまる。


「私が幸せなら、銀ちゃんはそれでいいって約束」
「……。」
「わがまま言いまくっても、怒らないのヨ? 仕事の次はぜったい私ネ。他の女なんかと仲良くしたら、そく浮気とみなすアル」
「……。」
「服部先生のお供で、夜遊びもダメ。休日は私のためだけに使うの。構ってくれないとぜったい許さないネ。私があれしてって言ったら、ぜったいするのヨ。ホントは言う前にしてくれたら嬉しいアル」
「……。」
「だからそーなるように、私のこと毎日思い浮かべるネ。ときどきならヤラシー妄想も許すアル。それでそれで、じゅーぶん幸せな銀ちゃんになるのヨ。したら、私ももっと幸せになるネ!」
「………。」


…よくわからないが、今こうしていることが、少しは神楽のなかで幸せなことなんだとわかった。
随分な言われようだったし、専横きわまりなかったが、それに反論する意思も理由もまったく見出せないのだから──…そのまんまだんまりを貫いた。
すると、人の背を支えに「うんしょ」と膝立ちに起き上がった神楽が、首に齧りついたまま顔を伏せてズリズリ前までまわってくるので、その小さな尻を持ち上げて胡坐の上に抱っこしてやった。
悪い気になど、なるわけがない。
そのまま何度か揺りかごのように上半身を揺らし、赤子にするように背中をトントンとあやす。


「…ふふ」
「…んだよ」


首筋に寄せていたやわらかい頬を、徐々に頤に、顎にとすりすりしていた仔猫っぽい仕草が、小さな手を俺の頬にぴたりと当てて止まった。


「ひげ、もう生えてるネ」


そっちか……。

いや、まぁ… いいけど。


「夕方になると、大抵の男は伸びてくるんだよ」


決して濃くはないほうだったが、硬いそれは、(友達の所でお泊り会をすると嘘をついて)ときどき朝までいっしょにいると、幼い皮膚を容赦なく引っ掻くし、かすかに赤い痕もつける。今は気をつけているが、初めていっしょに朝まで迎えた日など、夢中になりすぎて、白い全身に赤い引っ掻き傷をつけたこともある。コイツもとっくに知っている筈だ。


「……痛いんならあんまりひっつくなよ」


と、手を掛け、か細いうなじに回してすりよる顔を離そうとしたら。


「やーヨ。 トゲトゲしてて、可愛いアル」


……。


大の男を捕まえて“可愛い”って…。
いや、ヒゲのこと言ってるから違うか。 …つーかでも、それも俺のうちか?


「何ヨ、ふたりだけの秘密デショ。褒められたからって、そんなに照れなくてもいいネ」
「照れてねー」


とはいえ…、飾りけのないシーツの上で、この子が少し疲れた気分で寝返りをうつように、頬を拭う感じで撫でてくる気だるい親指を、きっと子供みたいに拗ねた顔をして受けとっている自分は、どうだろう。されるがままになって、自分よりひとまわりも年下の子供に可愛い、などと言われて……。少しでもある種の幸せを、求められて……。
適わないな、と思う。
神楽といっしょにいるから自分まで子供に戻ってしまうのではなく、気づいたら大人に包まれた子供にされてしまう。決して大人ではないただの少女に、簡単に言いくるめられてしまう拙い自分。
愛くるしい泣き声が耳によみがえる。 不埒でいやらしい時間。 確かにそうだ。だが、そうだとしたら、自分たちのするいやらしいってことは、限りなく秘密めいた純粋な時間といえる。甘やかないやらしさを眉と眉のあいだに刻みこんだ子供は、ホントのところはもう『子供』ではない。心とは別に、男の中の大切なものをつつくくらいに憎らしい大人になりかけているのだ。
たぶん、他の女にはこうして確かめられない銀八の些細な身体の変化を…、と言うには大袈裟だが。こんな些細なことでも、気づいて、興味深げに、不思議な秘密だとおもしろがる神楽が可愛い。
だからこれは、正しく試練だと。
――… いつまでもそこしか興味を示さない少女に、ぎゅっと身体を密着させて抱き締めた。


「……やっぱり不幸になったネ」


「気持ちいいことだけじゃ、その価値も半減するんじゃねーの?」


とまどう細い身体をさらに抱き締める。神楽の、赤く染まった目尻が視界に入った。
俺の腕のなか、上目遣いにこっちをにらんでくる。


「……何へらへらしてるネ」
「いや… 可愛いなと思って」
「…!!」


あー… こういう言葉に弱いのか。そうか。
緩みっぱなしの頬は、これ以上力を抜くと今にも笑いだしそうで。
俯いてしまった神楽の、耳まで真っ赤にした絶景を噛みしめた。
…口ではそうそう言えやしないが、たまらなく果てしなくどうしようもなく可愛いと、本当にいつも思っている。


「…なぁ、」


少女の身体がぴくりと動いた。


「…やーヨ」
「どうして?」


理由を問えば、わざと大人ぶったな口調で告げる。


「今日はもう… 規定量を超過してるネ」
「このままだと俺はまちがいなく不幸だぞ」
「……ぅー」


スミレ色の瞳が困惑に揺れている隙を見て、強引に接吻けた。


「悩むぐらいなら、しあわせにしてくれ」
「…私の幸せは?」


唇に手を持っていって、拗ねたような照れたような表情の神楽。だからその顔でホントに不幸だってんなら泣くぞ、俺は。


ころんとシーツに転がって。緩む顔の筋肉を無理やり動かし、目を閉じた。
不確かな幸せを抱いて、接吻けを続行する。









fin


more
09/05 15:43
[銀魂]




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-エムブロ-