モノノケは絡んだ







男が先に帰ったあとで、神楽は渡り廊下の突き当たりにある湯殿へ向かった。
体じゅうはベタベタで、髪もくしゃくしゃに乱れているし、何より男の嗜好品である煙と体臭が、自分の肌にシミついてしまっている。
洗い落とすのはもちろんだが、家に帰れば二人の仲間が神楽を待っているし、失望させたくはなかった。


神楽付きの女中が廊下をてくてく歩いていく少女の後ろから付き添ってくる。「別にいいヨ」、と言ったけれど、かの男にくれぐれも任されているのだと言いはって聞かない。
ここの湯殿は外から見ると、茶室めいた凝った造りなのだ。本座敷のそれとは別にもうけられていて、小ぢんまりとしているが、総桧なところが気に入っている。何度もお忍びで来ているので少し詳しい。


扉の前に立った女中に見守られ、神楽は石榴口から浮世風呂に入った。
男の唇や、歯の痕が、胸やお腹に残されているのを、湯殿の鏡で見て、我知らず嫌な笑みを浮かべてしまう。衣服の内に隠れている箇所にのみ、神楽は男にこうした行為を許すことにしている。


さっと湯を浴び、彼女は奥座敷へ戻った。
その、渡り廊下を急いで歩く神楽の姿を、奥庭を隔てた、もう一つの奥座敷から出てきた男が見て、はっと立ち止まった。
神楽はそれに気づかなかった。
部屋へ戻り、顔なじみの女中に冷たい牛乳をたのみ、男が呼んでおいてくれた駕籠にひっそりと乗った。
帰りの駕籠は、河むこうの番地で降りることにしている。それから歩いて橋を渡り、歌舞伎町のわが家へと戻るのだ。




神楽が出合茶屋を出たのは、午後四時前だった。
駕籠を降り、橋を渡っていた神楽の頬をざあっと強風が吹いた……


「わっ…!」


傘を低く、そして羽のように舞い上がっていく桜の花びらを目で追う神楽の頬は、うっそりとぬめ光って見える。
どれだけ体に染みついた匂いと穢れを落としても、とうてい少女のこのエロティシズムを、その狂気や萌芽を薄める術はなかった。
彼女自身のカラダの奥に、別れたばかりの男の強烈なセクシャルエクスタシーが。その色気が、そのいかがわしい声が、まだ耳の底に残り、身体じゅうをけだるく物憂げにしている。


(───もうほとんど春アルな……)


わずか一ヶ月のうちに日足がのび、夕暮れも間近だというのに、この辺りの雑踏は昼間と変わらない。
神楽は夕方の再放送ドラマに間に合わせるつもりで、橋をつっきりかけた。
うしろから声がかかったのは、その時だった。


「よぉ、じゃじゃ馬姫」
「ぇ……?」
「お忘れか? 銀時のマブダチだ」
「……嘘いうな」


近寄ってきた男は、その『マブダチ』とは対極する位置に追いやられた仇敵だ。
神楽が慕う保護者にとっては幼馴染だったが、彼女にとってはまったく最初っから心象のすこぶる悪い、悪党も悪党、いまやあのバカ兄貴と繋がりさえ持つテロリストだった。


(……災難もいいとこアル)


神楽はきゅっと下唇を噛んでしかめっつらをした。
夕暮れに溶けこむ薄気味の悪さがこの男にはあり、ひしひしと押し寄せてくる暗闇が気持ち悪いほど似合っていた。
けれど子供のころは少し身体が弱く、町内では青瓢箪だとか胡瓜の尻尾だとか、情け容赦もなくからかわれ、年じゅう先生の後を追いかけてうじゃうじゃ言ってたのを、銀時などが面白がって、頭を叩いたり鼻をつまんだりしておちょくっていた───なんて話、信じられるわけがない。
神楽自身さえ信じていない保護者の嘘を思いだし、平常心を保っていると、男がうっそりと笑い返すのがわかった。 …いや、断じてこっちは笑ってないんですケド。


「…何か用アルか?」
「用がなきゃいけねーのかァ」
「用が無きゃ用無しネ」
「じゃあ、その用とやらを作るとするか」
「そうアルか。じゃあお大事に」
「お大事にってなんだ、お大事にって」


イカれた人扱いされていることに気づいた男が、歩きだす神楽の横にぴったりとくっついて笑みを深める。
その隻眼がいやに生々しく光るのが、神楽は居心地わるかった。この男といて居心地がイイなどとは、それこそありえない話だと内心うんざりする。


「じゃあ、一杯つきあわね?」
「・・・おまえ、馬鹿ですか? ワタシ未成年、オマエ指名手配犯。どうどうと一杯できるわけないダロ。捕まりたいなら一人でやってろ」
「おーおーよく喋らァ」
「おまえがボケるからダロ。普段ボケない奴が頑張るとスベって大変アルな」
「おまえと喋ると妙にボケたくなるんだよ」
「……失礼な奴アルな。私はおまえの下手なボケにかまってやれるほど暇じゃないネ。 ほら、同じ穴のむじな同士、そこらの新聞紙にくるまったオッちゃんと飲んでこいヨ」


そう言って、道端のダンボールを指差す神楽に男はうなずいた。


「わかった」
「そうかそうか……えっ?」
「あぁ、おまえといるとだ、おまえの毒舌が冴えわたるのが悪いな。俺の部下は、俺にそんな口きかねーしなァ」
「きいた時点でバッサリアルか」
「そうかもなァ。そうじゃねーかもしれねェ」
「…意外と短気じゃないアルな」
「俺は短気じゃねーよ?」
「銀ちゃんはときどき短気アル」
「そうか」


くっくっと楽しそうに笑う男に、神楽は本当に意外と展開する会話の量に不安になった。このまま家まで尾いてこられても困る。案外、銀時はいい加減だからそんなに怒らないかもしれないけれど、先ほど茶屋で一緒だった男は、絶対怒るのだ。神楽が変な知り合いに声をかけられ、少し話を聞いてやっただけでもこの前怒られた。
危害を加えなさそうなこの隻眼のテロリストを、どうあしらおうと考えている矢先に、不安は的中した。



「じゃあよォ──、一杯つきあわねーなら、一晩ってのはどうだ?」


ぎょっとして見上げるも、男はニヤリと神楽にウィンクしそうな勢いで・・・


「オ゛エっ…!」


えずいた不快をそのまんま口にした。
軽いノリの誘いに一体なにを考えてるんだと、あらゆる意味で身震いをきたす。
そっと鳥肌立った腕をさすり、神楽は隣りの男をねめつけた。


「・・・・おまえ…、顔に似合わず“ロリコン”アルか」


そのなりで痛いやつだと、自分の男を棚にあげて嘲笑う。


「おまえに関しちゃ、あの男もそうじゃねーのか?」


今度こそ神楽は黙った。
束の間睨みあい、これ以上かかわっては本当にヤバいと殺気だったまま間合いを広げた。
一歩、二歩、三歩と下がり、相変わらず嗤いを吐いたままの男の傍から離れていく。
その腕がぬっと伸びたのと、神楽が傘をさし向けたのは同時だった。


「黙っててやろうか?」


誰に? とは言わず、神楽は睨みつけたままだった。


「子どもが援助交際たぁ、関心しねーなァ。 銀時が聞いたら嘆き悲しむぜ」
「……誰が援交って言ったアル」
「悪い。愛人だったか」
「誰が愛人アル」
「じゃあ…、お妾か?」
「誰がお眼鏡ネ!」
「じゃあ──…」
「一応、浮気相手ネ。だから何の問題もないネ」
「・・・いや、おおありだろ」
「無いモン」
「お お あ り だ。 おまえ、相手が警官で、おまえがまだ毛も生えてねーような餓鬼だってこと、わかってねェわけじゃあるめぇ。おまえとのことがバレたら、あの男もタダじゃすまねーぞ。銀時のやつブチ切れるぜ。俺が言うのもなんだが、相当イカれてんのはそっちだろーが」


ご忠告はもっともな話だが、自分で言うようにこの男に言われると腹立たしいことこの上ない。
余計なお世話だと、神楽は言いたかったが、ぎりりっと黙った。
これ以上会話が続くのは遠慮したかったし、これ以上興味本位でツッコンでこられるのも厭だった。
何より──…この男をおもしろがらせるのはうんざりだ。
そして、地を蹴って逃走しようとした自分をまたしても縫いとめさせたこの男の言動に───
神楽はこの不幸な遭遇を呪ってげんなりするのだった。



「────まぁまぁ、とりあえずアイツには黙っててやるから、そこの店入ろうや」



まるで誘導されて来たみたいな男の目的地だったそこに、はっと目を見張っているうちに、うっかり腕をつかまれていた。









fin


more
09/07 16:41
[銀魂]




・・・・


-エムブロ-