茹だるような暑さが続き、アイスクリームの冷たさが病み付きになる毎日です。いっそのことアイスクリームの中で溶けたい。


ボランティア

七月三十日から宮城県石巻市に行きました。大学でボランティアチームに所属しているのですけれど、その活動の一つとして、宮城県石巻市で行われる伝統的な祭り“川開き祭り”に合わせて行ったのです。

行き帰りは夜行バスで車内泊をしました。眠れない夜の隙間に窓の外の見慣れた景色を眺めていたよ。ぼやけた思考は全てがどうにでもなって、どうでもいい気がした。

着いてからの活動は石巻市に拠点を置いている、ボランティア団体様にお世話になりました。

内容としては、“サンライス”と呼ばれ、お米を配付することでコミュニケーションツールとする活動をしました。熱中症対策も書かれた暑中見舞いも配付しました。また仮設住宅の方々へ、団地にコスモスの種を植えると言う企画のチラシを配付し、お粥も支給しました。

チームの活動としては、沿岸部を視察したり、川開き祭りに参加し、灯籠流しを見たり、花火を見たり、屋台の手伝いをしました。


大津波の襲った場所を歩いて見た景色は、どこもかしかも静かに騒然としていて、ひとかたまりに咲く向日葵がずっと哀しくて、優しかった。

足元に転がる土にまみれたCDは、あの日が訪れるまでの持ち主の日々を彩っていたのだと思う。家のない玄関の階段は、あの日から家主をずっと待っている気がしたし、木に絡まるランプは誰かの道を照らし続けていたのでしょう。


灯籠流しは、川面をゆらりゆらりと漂う灯籠がぼんやりと幻想的で、流し始めた頃の夕日はいつの間にか落ちていて、いつの間にか月が夜空を照らしていました。身近な方を亡くした方々がどんな気持ちで灯籠を流しているのか、わたしには分からないけれど、どうか亡くなった方々の魂が安らかであることを祈りました。


今回のボランティアの最後を締め括ったのは花火大会でした。ぼんやりと眺めた花火は、あの日、哀しみで湛えた夜空を華やかに賑わせていました。

エンディングの花火では、平原綾香のJupitarが流れていました。哀しい出来事への儚い希望がそっと胸に灯されたような気がして、じわりと涙が出ました。


あの出来事に心を揺さぶられた人は、これから生き残った理由を、生かされている意味を、生きていく道標を探していくのではないかしら。

そんなことを打ち上げられた花火を眺めながら思ったのです。

今度は一人ぶらりと行こうと思いました。とても良い経験が出来ました。どうもありがとう。


それではまた。