彼と居ると、緊張している自分に気付く。初対面の印象と先入観はなかなか抜けてはくれない。共に過ごし、言葉を交わす機会も格段に増えたが、どうしても慣れる事が出来ない。
微妙に力の籠る肩、心なし乱れる吸気。言葉に詰まり、それを指摘されてさらに押し黙る。いつもそんな調子だった。
しかし心地よい疲れというものがあるように、彼が与える適度な緊張は私にそこはかとない快さをもたらした。
そして今日も彼は私の目の前にいる。しかし些か近すぎやしないだろうか。彼の鼻先は既に自分のそれに触れるぎりぎりの距離にあり、少しでも深く息を吸えばぶつかりそうな程に接近している。
「ほ、逢紀…殿?」
「それだよ」
「…は?」
彼は人差し指で私の胸を突いた。別の意味で胸が痛い。
「アンタ、俺と仲良くしたいんだろう?」
「え、ええ…まあ」
「だったらその『殿』付けを止めろ。話はそれからだ」
逢紀は椅子に掛け直し、足と腕を組んで言った。ようやく取られた間にほっとする。とは言え、背筋は未だ強張ったままなのだが。
彼の無駄に強い上から目線は今に始まった事ではないが、勝手に話題を振った挙げ句、こちらが悪いとされるのは若干不満がある。話も何も切り出したのは彼の方だ。
しかし私にはそれを一から説明するだけの根性も胆力も備わっていない。更に言えば逢紀をもっと知りたいというところまでは合っているので、やはり呼び捨てにするのが妥当なのかとも思う。
続く緊張に肩がぶるりと震えた。長引く逡巡に彼の蜂蜜色の瞳が薄く細められる。
「難しい事は言ってない。俺を呼び捨てにしろと言ってるんだ」
「ですが…」
「郭図」
「は、はい」
「自分から境界線を敷くな。俺はアンタが好きだし、アンタも俺が嫌いじゃない。隔てる壁を作る理由なんて何処にもないんだぜ?」
そう述べる逢紀の言葉はもっともで、私は彼を希みつつも一歩踏み込めず、距離を取ったままだ。確かに私は逢紀を好いているのだろう。それでも自分が嫌われていないと自負する彼の自信には感嘆せざるを得ない。
呼び捨てにする事で何が変わるかは知れないが、それもまた、私に適度以上の緊張を与えるに違いなかった。
「郭図」
「………ほう、き」
「はい、もっと大きな声で」
「…逢紀」
噛み締めるように口にすると今までの厳めしい表情は何処へやら、途端にぱっと明るい笑顔になって逢紀は私を抱き締めた。そして私の頬に掠めるだけの口づけをして『もう一回』と呼び捨てを要求した。
硬質な体に反してあまりにも無防備な唇。その感触が愛しいと思うのはどうしてだろう。
名を、呼びたくなってしまう。
「…逢紀」
「ああ…うん、いい。すごくいい。もっと呼んでくれ」
「…逢紀、苦しい」
何故か恍惚の表情を浮かべる逢紀に抱きすくめられて、体はひどく凝り固まってしまっていた。名前ひとつ呼ぶのにここまで手間がかかる自分と、訴えにまったく耳を貸す気配のない彼に疲れてぐったりと目を閉じた。
けれど驚いた事にそれを心地よいと感じてしまう自分は、もはや虜になっているのかも知れない。
疲労陶酔
(よし、今度は字で呼んでみろ)
(…この人に慣れる日なんて、きっと一生来ないのだろうな…)
***
結局逢紀がキモいのひとことに尽きるwww