新品のデニムは安物だからだろうか、焼け焦げたような香りがした。
外は昨夜から雨が降り続けて、雨音と火の匂いが部屋の中で遊んでいる。

気圧が下がって僅かに頭が痛い。肩もうまく回らない。眠くなって、出掛けた先で車の座席のシートを倒して少しだけ寝る。ばれないように、曇った窓に隠れるように。
半透明のガラスの中で車から降りたくないと思い始める。そのうちに空がどんどん暗くなっていく。
雨の日は理由もなく花屋に寄りたくなる。

あの人はもう煙草をやめてしまったらしい。残念な気もするけど、やめるということは悪いことばかりではない。

自室の机の上に置いてある本を、ことあるごとに読み返している。
谷川俊太郎の『ひとり暮らし』というエッセイ。表紙のペンギンさんが可愛らしいでしょう。
これが良くて、形に出来ない思いを抱えた時に開けば欲しい言葉を与えてくれる、そんな本だ。

〈……だがまた、自分にとって本当に切実なことは、言葉では言えないのだということにも気づく。言葉にしないのではなく、言葉にならない秘密が私を生かしている。〉

(あとがきより)


きちんと詩のほうも読んでおきたくなって、雨の降るなか図書館に行って詩集を何冊か借りた。


〈こういう手に負えない夕方ってのがある/曇っているが雨は降っていない/人の足音ばかりがくぐもっているくせによく聞こえる/風はない〉

(「手に負えない夕方」より)

これはほむらさん(穂村弘)の「曇天の午後四時が恐ろしい」にも通じる感覚ね、と思い浮かべる。

〈ぼくにとって詩は結局あやういバランスによって成り立つ/きわめて個人的な快楽の一瞬に過ぎないのかもしれない/それを書きとめる必要がどこにあるのか
 (中略)
 ……心はまだ書かれていない詩のうしろめたい真実に圧倒されている〉

(「虚空へ」より)


この一冊は『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』『コカコーラ・レッスン』『メランコリーの川下り』
などいくつかの詩集をまとめたベストのようなもので、とても分厚い。谷川さんはあとがきで自分の詩集について「昼寝の枕にちょうどいい」と語っているがこれを枕にして居眠ればきっといつもと違う夢を見ることができると思うし、それはたいへんに贅沢な行為ではないか。

初め図書館のどこに詩集が置いてあるのかわからなくて司書のお姉さんに場所を尋ねたのだけど、閉館まぎわにも関わらず「これも有りました!」と下の階から文庫版を走って持って来てくれたのでそれも借りていった。


〈からだの中に/深いさけびがあり/口はそれ故につぐまれる〉

(「からだの中に」より)


〈ロサンジェルス・キャリフォーニアは美しい夏の星空だというが、/今夜、東京には細かい霧のような雨がひっそりと降り続いている。〉

(「霧雨」より)

〈いつまでもこうして坐って居たい/新しい驚きと悲しみが静かに沈んでゆくのを聞きながら〉

(「静かな雨の夜に」より)


私が初めて読んだ谷川俊太郎は『二十億光年の孤独』で、その思い入れも有るからだろうがこの頃の言葉はやはりどこか特別に光っているように思う。



上の「霧雨」「静かな雨の夜に」も『二十億光年〜』に収録されている作品。
「かなしみ」とかもう物凄いと思う、のに、この文庫の口絵を見れば谷川俊太郎はそのころ二十歳だったと云うし心がどさどさ気を失っていく。

本はどちらも読みさしのまま寝かせておく。

なぜなら
物語はごはんを食べるように、
詩と歌はおかしをつまむように、
読む主義なので。

他に小池昌代さんの詩集『永遠に来ないバス』も借りていく。タイトルで決めた。


〈なまあたたかい、いきものの息を交わして/素足から透きとおり/大きな歓びの声だけをあげたい〉

(「夕立」より)

ちょうど今日は雨で空気がぬるりとしていて、私は少し季節の早いサンダルに足を通していて、そういう感じだった。足に風と水がふれていく感じ。

なぜかこういうのも借りていた。
穂村弘『ぼくの宝物絵本』
絵本の勉強がしたかったというのもある。赤ずきん君可愛いね。まだこれは読んでいない。この表紙を見てなぜか急に小川未明が読みたくなったので引っ張り出してきた。


「私は、町の香水製造場に雇われています。毎日、毎日、白ばらの花から取った香水をびんに詰めています。そして、夜、おそく家に帰ります。……」

(「月夜と眼鏡」より)

「月とあざらし」「野ばら」が好き。




ベストを久しぶりに聴いていた
ブリグリは意外と雨の歌が多いんですよ


雨がずっと降り続いているイメージがある。物悲しい雨の神秘性もあるし、どしゃ降りの胸踊る活気も持ちあわせている。

雨のような物語だし、雨上がりのような物語だとも思っていたい。

創元推理文庫三連発!いちばんの魅力はロジックでもキャラクターでもなくそこにみなぎる可能性の大きさなのではないだろうか。傘ひとつであれだけわくわくさせられるのだから。


物語そのものはあまり好きではないが、題名の意味はたぶん一生心に残り続けるんじゃないかと思う。