本に呼ばれたことってありますか?

私はつい昨日呼ばれました。

県外から友人が来てくれて、一緒に小豆島に行っていたときのことです。ちょうど同じ日に小さな本屋さんがオープンしたらしく、そこでこんな本を見かけました。

高階杞一『早く家へ帰りたい』

そして、友人が帰った後、ひとりで立ち寄った喫茶店で偶然手に取った本の、偶然開いたページにまったく同じ本の名前が載っていました。ぞっとしました。



〈ぼくは/早く家へ帰りたい/時間の川をさかのぼって/あの日よりももっと前までさかのぼって/もう一度/扉をあけるところから/やりなおしたい〉

島で『早く家へ帰りたい』を見たときははたらくのが嫌という本なのだろうかと思って何も気にせず、手にも取りませんでした。

ただ喫茶店にあった『ku:nel 2013 詩とサンドイッチ』の号にこの詩がまるまる一篇掲載のかたちで取り上げられていて、自分が抱いていたイメージとの違いにショックを受けました。

この詩は、語り手の〈ぼく〉の子どもが死んだ、というところから始まります。

〈ぼく〉が家に帰ってきたとき、すでに子どもは亡くなった後で、だから〈ぼく〉は、帰りたいと思っているのです。

〈早く家へ帰りたい〉

〈時間の川をさかのぼって〉

〈もう一度/扉をあけるところから/やりなおしたい〉

かなしいんだけど、かなしいというより、忘れられない。
一度読むと心にずっと残ってしまう詩。
詩でしかあらわせないものをあらわしている。

本のことを何も知らずに勝手に誤解していた私は、今日ここで、それぞれの本に呼ばれてしまったんだと思いました。教えてくれてありがとう。


ECD『ホームシック 生活(2〜3人分)』


石田さんもいなくなってしまいました。
おわりのほうに、奥さんである一子さんが、機嫌を損ねていたときのエピソードが石田さんの視点から書かれています。こんなふうに書いてくてるのなら、それで充分じゃないと思ってしまう。機嫌が悪い自分のことを、こういうふうに書いてくれる人はなかなかいないよ。



友人と別れるとき、そのうちまた会えると思いながら、でもしばらく会えないかもなあと思ってハグをしました。別れは唐突なものではなく、いつもとなりにたたずんでいる。

そのあと喫茶店に行ったのは、すこしひとりで考えたかったから。このごろさまざまな人とかかわる機会があって、ずいぶんとにぎやかだった。

ひとりでは生きられないけど、どこかで必ず、ひとりきりで考える時間が欲しい。そう思って、ひとりで考えたい、ひとりで気持ちをまとめたい、と最近ずーーっと思っていたのでやっとそれができてよかった。

マキアートを飲みました。

メニュー帳に、〈マキアートは「しるし」という意味〉と書かれていたからじゃあこれにしようと。人生は文学なので。

あとで調べると「染みをつける」というニュアンスのようです。

『早く家へ帰りたい』も『ホームシック』も、私がしたハグも、すべて〈染み〉のようなものなのかもしれません。生きていくうえで残っていく感情や、落ちていく記憶の染みがやがて言葉になって、いつか誰かに見つけられる。



新川直司『四月は君の嘘』


読んでいて、『いちご同盟』の物語がひとつのモチーフにされていると気づいたのですが、わかりづらいからもっとそれと書いていてほしい。『いちご同盟』もみんなに読んでほしいし。そういえば『いちご同盟』には、落書きを見つける場面がありますね。あれもいわばマキアート。



桂明日香『スロウハイツの神様(コミック)』


辻村深月つながりで(新川さんは『冷たい校舎の時は止まる』の漫画版を描いています)。
桂明日香さんをもってくるところが、なかなかわかってるなあと思いました。


Mr.Children「Drawing」

高階さんの詩を読んで、この歌と『アンティーク』というドラマの大島優子さんがでてるときの回を思い出しました。



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