「あいつは、ただ、絶望して飛びおりるしかなかったんだ」



ニュースを見ながらきょう一日でふたりの子どもが飛び降りたことを知る。報道されないだけで、同じような事例はもっと起きていたのかもしれない。
先日読んだばかりの、ケストナー『飛ぶ教室』のこの場面を思い出したりする。そして、今日から新学期なのだということも。

この本を読んだときに、上に引いた台詞の意味がわかる人とわからない人に読者はぱきりと別れるのだろう。それと同じで、親のもとに帰れないことがどうしてそこまで悲しいことなのか理解に苦しむ人もいるはずだ。
言葉ひとつが人ひとり飛ばすほどの魔力を持っているということも、お金がないことがどれだけ悲痛なことなのかも、実際それを経験をしないことには中々理解することが難しい。

知らないから、気にされないし本当に届いて欲しいところに手は伸ばされないままでいる。
でもこの無知は罪ではない。罪ではなく絶望だ。


新年にたちあげた裏テーマ(私の)に、「言葉によりかかりすぎない」という目標(私の)がある。
言葉はあくまで容れものであって、その中身を過剰に期待したり信頼しすぎてはいけない。
言葉をすべてだと思うときっとどこかでしっぺ返しをくらうときが来る。うまく説明できないが、言葉は絶対ではないということ。

そもそも言葉にした時点で虚構になってしまうのだから……そうは思うのだけど、言葉はそんな私の懐疑をも翻弄していく。

先日、何もかもがいやになってCDを借りた。
ゲスの極み乙女の「キラーボール」という曲を聴きたくなったからだった。

いまあれであれなのだがひとこと加えておくとそれがわかる前の日に借りたので両成敗である(使い方が違う)。

キラーボールという歌をきくとかならず思い出す人が私のなかにいて、その人のことで色々あって何がなんだかわからなくなっていた夜だった。

私は今日、その人から「大丈夫」だと言われた。大丈夫だから、もう大丈夫。そんな感じだった。
言葉のなかに過剰に意味を見いだそうとしてはいけないと、ついこの前決めたばかりだった。
ひとつの言葉に、そんなに多くの考える時間を割くのはよくないと。
でも私はどうしても、その「大丈夫」というひとことだけは「大丈夫」だけの意味ではないように思えてならなかった。
噛み砕いて噛み砕いて噛み砕いて考えてしまう。何がどの点で大丈夫なのかすら教えてもらっていない。そもそも、本当に大丈夫な人が自分から大丈夫などと言うのだろうか。
痛み止めを打ったから病気は治ったよ、という飛躍した結論のようにしか私には思えなかった。そして、私が一番触れたくないところに触れてきた言葉だったから結局避けては通れないし顔にも出てたんだなと思った。

私は言葉を使わなかった。
もう大丈夫なところになんて、我々は立てていないと知っていたからだった。

抽象的すぎてわからないでしょう
でも諸般の事情で抽象的にしか言えない

うどん派の人が「別に、そばも食べられるしそば屋でいいよ」って言ってきた話だとでも思っておいてください

〈キラーボールが回る最中に踊ることをやめなければ誰も傷付かない〉

言えないようなことが日々続いているんだけど、一回も立ち止まることができない。立ち止まらないで動き続けていると少し時間が空いただけで何だかどうにでもなりそうな軽い気分に変わっていたりしてそれが私は怖い。
現実は何も事態が変わっていないのに過去になればなるほど段々深刻さが薄れていって気にならなくなってしまうのが慣れって恐ろしいなと思う。よくない。
その程度のことなんじゃないの、と言われるかもしれないけど全然その程度のことじゃない。はずなのにその程度で終わってしまいそうになる。やばい。

つらいのにつらいを停止できない世界はやばい。やばくない?
立ち止まることができないから急ブレーキになって間に合わなくて、反動で飛んでしまうんじゃないのだろうか。


ここから雑談になります
とりあえずゲスの話をします
好きになってはいけない相手を本当に好きになってしまったのなら、やっぱり会わないようにするしか方法はないんだなと思った。だって好きなんだから会ってたらやっぱりもっと好きになっていくでしょ。
罪悪感も好きでどんどん美化されてしまうし、待つと決めても、感情ってそんな簡単に歯止めがきくものじゃないでしょ。なんだかこれでは拙者不倫の経験者みたいですね。違います。
キラーボールはやっぱいい歌だと思います。


最後に〈立ち止まれない〉シリーズとしてこちらの本たちを紹介します

喜多尚江『ピアノの恋人』


「少しずつ/少しずつ狂うんだ/ピアノじゃなくって俺が狂っていくんだ」

この表紙の男の子がピアノの調律師で、上の台詞を言った男の子がピアノの奏者というお話です。花とゆめです。でもちょっとそういうニュアンスのふたりです。
あがり症の主人公を調律師の男の子が励ましながら舞台に立たせるというのが基本の流れなのですが、第三話と第四話はぷちミステリ仕立ての構成になっています。特に部屋からピアノが忽然と消え失せる"ピアノ消失事件"が起きる三話は大胆なトリックが隠されていてこれがなかなか楽しませてくれるのです。(ピアノの現れかたも好き)
躍り続けて狂っていくのもそれはそれでいいじゃん、というような作品です。


望月花梨『スイッチ』


〈ただひとつ間違えたのは/それは半年前あたしの気持ちを切らなかったこと〉

もちかり〜〜こんなところで紹介するはずじゃなかったもちかり……望月花梨さんの漫画は本当によいのでどれからでもいいからみんな読もうや……
これは先生と生徒の恋愛を描いたお話です。
上にあげたの最終回のモノローグなのですが、最終回はミステリ的なつくり、というか見せ方で書かれていると思います。ひとつひとつの言葉が何かをほのめかしていて、それが良い予感なのか悪い予感なのかが最後の一ページまでわからないんです。めくっててどきどきします。なんでもミステリに結びつけるのよくないですね。
望月さんの作品は教科で例えると生物のような感じがします。しとしと湿っていて、神秘です。
無理せずうまく踊っていこうという空気ですかね。じゃあ今度は踊りをぶつ切りにする漫画を探しておきます。
このころの花ゆめ作品はどれも妙な病みっ気を抱えていて好きです。

その気になればまだ今ならどうとでもなるんだけど、私はどうともしないまま回り続けていくのだと思う。
私なりに考えて立ち止まらないから、そのXデーが来るまでぐるぐる翻弄されよう。

でも、キラーボールさんがああいう形で自分の感情を言ってくることは滅多になかった。だからキラーボールさんも、今までとはちょっと違う位置にきてしまったことを察しているのかもしれない。
誰がどこまで何をどう思っているのか教えてもらいたいけど、私は何も知りたくない。これが私のとっておきの不誠実。踊りをやめるために足を切り落とす覚悟がまだできない。おわり。



本の感想