恥ずかしさを克服以前に、やる気があるのかないのかの話になってくるが、それはまた違う機会に。
創作やりたいやりたいという割に一ミリも動いてないことが多い。
お決まりの『本当にやりたいことなんだろうか?』の自問自答。
これに対して、すこし見方が変わってきた。
やりたいことがあるのにやりたくない、みたいな葛藤を何年も引きずる人は、それが本当にやりたいことではなく、自分に価値がないと思い込んでいる場合がある。
自分に価値が無いから、特別な存在になりたいと、高望みする。
そのために動き出すが、達成するより先に迷子になってしまい、疲れきってやめる。
やめたらやめたで、自分には向いてなかった、ではなく、自分に価値が無いからできなかった…自責して悪循環へと陥る。
わたし自身がまさにこのパターン…。
本当にやりたいことなのか考える前に、自分の痛みと向き合ったほうがいいと思う。
なんで、特別にならないといけないのか。
なんで、今の自分でいい、と思えないのか。
それでも、どうしてもやりたいなら動いてる。
好きなことは止められないはず、と、とある心理セラピストが言ってた。(受け売りです・断言)
動き出してたくさんの人に支持されたり、あるいは、見向きもされなくてもどんなに苦しくても、自分の好きなことだから、続けられる。
たとえ、諦めたり見切りをつけたとしても、その後の人生の糧になったり黒歴史になったり、良くも悪くも人生の一部になる。
そこまでわかってるけど、それでもなにも始められない。
それが自分でブレーキをかけているのが原因だとしたら、それはなぜなのか、自分なりに解除方法を探っていかなければならない。
結論から言うと、やってみればいい、ですが。(笑)
いきなり100%完成したものなんて出来るわけないし、みんなに完璧にウケるものなんて出来はしない。
けど、どうすればいいかを思い付いたら、どんな小さなことでも、一見関係なさそうなことでも、とりあえずやってみる。
偉大なことはできないけど、小さな事なら達成できる。
そんで、行動してるうちに気になることが出てきたら、それもやってみる。
うまくいかないことなんて、あえて考えない。
できることだけを考えて、黙々と実行する。
恥なんて考えない。(あ、本末転倒になった・汗)
自分だけのことだから。
他人は関係ないし、超個人的なことだから、見せびらかしたりする必要はない。
あくまで自分のためにする自分だけの行動、でいいと思う。
まあ、理想はこうだけど、実際に行動に移すかどうかは自分次第。
頭じゃ分かってるんだが、体が動かねぇじゃあ話になんないんだけどね。
まず自分がどの時点でコケてるのか知りたい。
やる前からやりたくないでも、それなりの理由がある。
始めてみたものの続かないってのも、自分の中で何に引っ掛かってることもある。
それでも、どんな妨害あっても、自分の中きつくブレーキがかかっていても、諦めがつかない以上、やってみるしかない。
むしろ、行動に移す時に、それを抑制しようとする力が働くのがいけないかもしれない。
できない可能性を探って、今はやらないことを選択して、時間差で悔やむ。
でも、やってみないと結果はでない。
やらないでなにも起きない結果は安全を得られるかもしれないけど、やってみて特に変化なしでも、似たような結果なんだから、必要以上に恐れずに実行してみればいい。
某SNSに、何年も前に書いてupした小説を公開したままにしてあるけど、評価とかほとんど変わってないから。
本当に、あんまり気にすることじゃないんやけどな。
評価得たいから書くんじゃしんどくなるから、とりあえず書き(描き)たいことが
あれば書く(描く)。
自分の気が済むまで書いて、ネタがなくなりました〜、ってなった時に晴れて卒業でいいと思う。
数年〜十数年前と違って、野心なくなってきた。
つか、野心に振り回されるとしんどい。
そろそろ先を見据えて、終わらせられることを片付けていこうかと。
やりたい、やりたくないとか悩んでる間に人生が終わりました、みたいなことになりそうなので、いい加減ケリをつけたほうがいいんじゃないかと。
若くないし、先がみえてるから、二十歳がそこらくらいの時よりもいくらか現実が見えてる。
下手に夢なんかみてるよりも、自分の人生の期限を知るほうが、よほど原動力になる。
自己啓発とか心理学とかで、『人生一度きり!悩んでる時間がもったいない!』とか声高に繰り返し言ってるのは、そういうことなんでしょうね。
今ごろ何となく分かった。
いろいろあって、自分の生き直してる最中だけど、それまでの生きた時間って、なんだったんでしょうね?謎。
さすがに長すぎるので、今回はこの辺で…。
続きは後日。