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未完結作品集A

話題:SS




●裏道

秘密の裏道はこの世界に1億超。
その中でも誰かに知られている裏道は、200万未満。
行きつく場所があるのは、その半分。

その中であるレストランカフェに辿り着くのは、たった一つしかない。















「ワコ」



学校への裏道なら知っていた。でもそれは裏道ってほどのものじゃない。各クラスに数人は知っていて、そのうちほとんどが、正門から帰ってしまっている。それだけの裏道だ。誰も隠していない。あまりに不便な位置にある裏道の入り口のせいで、誰も使いたがらないのだ。秘密の裏道、だなんて知る人は言うけれど、使えない裏道は秘密の裏道ではない気がする。それでも和子はこの秘密の裏道を使っていた。理由は簡単。どうしてもと誘われた競技前の部活動の練習から、週5日のバイトへと抜け出すためだった。誘われた部活動も、渋った挙げ句賄賂をもらっていたりするのだけど。だから、その秘密の裏道で、後ろから声をかけられたとき、勧誘してきた部員にサボりを咎められると思ったのだ。
しかし声をかけてきたのは部員ではなかった。その顔に驚いて目を見開く。喜七(きしち)だった。


「あれ、珍しいね」


喜七は名の通り、七人兄弟の末っ子だ。喜七を待望した両親、長兄と五人の姉にはかなり可愛がられているらしい。事実上の次男坊のくせに、男らしさも次男によくある小さな虚脱感もない。悲しいかな“異邦人”という言葉がよく言われる。同級生にあまり馴染まないし、言葉が通じない。むしろ人を掻き乱すのが好きなようだった。ちなみにワコと和子を呼ぶのも、喜七だけである。



「どこへ行くの」

「バイト」

「だから何の」



和子は笑った。こいつは当に和子がバイトを掛け持ちしているのを知っているのだ。


「引っ越しや」

「へえ」

「なに、それだけ?」



妙に歯並びのいい口が、にやりと口角をあげる。やはり変なやつだと和子は首をひねった。でも仕方がない。この学業本分と言えない和子の生活を知っているのは、喜七のみだ。そして喜七と自分ほど仲良くしているのも和子のみ。お互い様なのである。望みもせずそんな風なってしまった状況に、和子はこっそりため息をついた。変わった人間と望まねど付き合う自分も、やはり似たところがあるのかもしれない。


「今日も来るんだろう、夜」


そう言った喜七が何故か爽やかで少し男の子だと感じたのは、この秘密の裏道のせいもあるのだろう。


「うん」

「そうか。ならやるよ」





「カロリー0のコーラ!!」



和子は目を点にした。

「やるよ…って。これ飲みかけじゃない!」


押し付けられたコーラを、また押し付け返す。さっき買ったばかりなのだろうコーラは、ひんやりと冷たさを放ち和子の手のひらから喜七の胸に移動した。


「あ?何が行けないんだよ。俺はビンボーなワコを想って、」

「だからってあんたが」


そう言いかけて口をつぐむ。それからワコは呆れたように喜七を見た。つまりは何も感じないのだ、この男。自分が一度口つけた飲み物を異性がそのまま飲もうとしても。伝わらなそうなことが分かり、いらいらと喜七を見つめれば喜七も和子を見つめてきた。キャップをひねる。


「ぷ、お約束。カンベンしてよね、これからバイトなのに」

「そういえば振ってきたのわするてた」




のんきな台詞に和子は改めて脱力した。


「買ってあげる。」

「いらない。それに私はあんたのお金が好きじゃない」



そう言うとにやにやと喜七が唇を綻ばせる。気持ち悪さに思わず和子は嫌な顔をする。簡単に学生が他人に制服を、買ってあげる、だなんて。和子は思考を巡らせてますます嫌な顔をした。喜七はどうも時々こういうことをする。生まれが良すぎてポケットマネーの不自然さが身にわからないのだ。和子はため息をついた。


「じゃ、あたし行くから」

「あ〜、待って……、あ〜」

「は?」

「着替え。しなきゃ」


希七の言うままに和子は視線を下ろす。あ。すぐに和子の表情が変わった。シャツが透け、下着が見える格好になっている。希七は無言で固まる和子の手を引いて、どこかへ歩き始めた。


「どこに向かってるの」

「カフェレストラン」

「そこで着替えするの?てか遠い?バイト遅刻するって電話しなくちゃ…─」

「間に合うから」


希七はそう言ってくすくす笑う。笑うところではないはずで、和子は怪訝そうに彼を見た。学校の端の裏道はもうすぐ終わる。生垣の中をただただ通りすぎようとしたとき、いつもの道とは逆方向に希七が和子の腕を引いた。


「裏道ってのは、複数の裏道の一部であることが多い」

「へ?」


にこっと希七が笑う。妙な笑顔だとは思ったが、この笑みのときは希七は何も教えてはくれない。例の不思議の夢だって、もったいつけて話始めてあまりに意味がわからず和子が質問すると、妙な笑顔でかわされた。つまり希七は何も話してはくれないのだ。

『夢の共有者は、半身が空のかなたにある人のことなんだ。これは俺の推論だけどおそらく、そう。夢の中で俺らは空人と呼ばれて、いつだって悪夢を繰り返す』

和子が授業中寝てばかりの希七に、夢を見ているのか、と尋ねたときだ。希七は妙な笑顔を作り、普段使わないような優しい声を出した。


「もうすぐ」


涼しげなビル内に足を踏み入れたとき、希七はそう告げた。なるほど3分とかからない。これなら案じていたバイトにも遅刻せず済むかもしれないと和子は思った。

トン、トントン、トン…
イライラしているのか希七が妙にエレベーターボタンを押す。


「ねえ、壊れるよ」

「大丈夫だろ。それよりコーラ飲んじゃって」

「なんで」

「飲食物持ち込み厳禁なんだ。あのレストラン」



はああ?!
あんぐりと口をあけ希七を見た和子だが、すぐに諦めてコーラを持つ。また炭酸がかからないように




●かくれんぼの夜




「あ」

「え?」



自分より背が高い男の子。珍しいな。















「ワコっていつも夜に来るんだね」


目を細めて笑う、希七は妙に色気がある。



「うん」

「うん。嬉しい」

「ああそう」



希七は最初に出会ったときから変人で色気があってマニアックなファンクラブらしきものがあるような徹底した変わり者だった。それでいて和子よりも背が高い、ちょっと日本離れしたすらっと体型。顔は悪いとは思えないし、喋らなければ身長分随分稼ぐのだ(イケメンポイントを)。だから、少なからず希七と自分の関わりに和子気をおいていた。



●羊

「うわ、今夢でも絵を描いてたし」


希叶(きと)かはげんなりとした顔で、落ちていた絵筆を拾い上げ席を立った。すると肩から何かが崩れ落ちる。


「あ…」


厚い膝掛けだ。ドサリと落ちた膝掛けは希叶から熱を奪っていく。振り返って、ようやく和子が来ていたことに気づいた。


「わこ」


ゆさゆさと和子の肩を希叶が揺らす。眠る吐息がその揺れと一緒に震えて、希叶は思わず笑った。和子に出会い、最近はこの場所に帰ってくるという感覚を持ち始めた。



「はれ、きと...?」

「毛布ありがとう。でもそろそろ帰らなくちゃいけない時間じゃない?わこ」

「あ、やべ」




●冷廟

なんとなく分かっていて、やっぱりと分かってしまった。俺は血も涙もない人間だから。








「ねえ、龍さん、」

和子の大きな眼。引き寄せられるようにその瞳の奥を見ると、少し青みがかっている。初めに気づいたときは、少し恐れ戦いた。その色彩は龍がずっと求めてさ迷いそれでも得られなかった色彩だった。「綺麗だ」と呟くと、和子は首をふるふると振りまくり、挙げ句「龍さんの瞳の方が、百万倍綺麗です!」龍の親は満州の出身で、幼い頃は其処にいた。龍の名も、瞳も龍は憎んでいたというのに。
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未完結作品集@


話題:SS

●期限付き悪魔

切ないな、と思った。
なんだか切ない。
彼が大好きで、幸せで、傷ついたから。

だから、切ない。



















悪魔だ。期限付きの悪魔。
あたしに赤い爪痕を立てて、それで笑顔で何も無かったように消えていくんだろうな。ズルいと思った。


「ひろきっち!」

「おう、森本。って先生って呼べっていつも言ってるだろ。……もう片割れは?」

「未紗?具合悪いんだってー」

「、そう。…じゃあ俺も手伝って持っていくわ」



俺は小さくため息と取られないような息を吐いて、今日の配布物の半分を持った。未紗に持たせようとしていた包みだ。ずしりと重い。正直、こんなに重いとは思わなかった。未紗はか弱いから、もし持たせたらますます嫌われただろうと思った。未紗が嫌いだったキスもハグも、自分としたら唯一の愛情表現だったから。



「ヤだ」



どすりと小包が床に落ちた。一昨日の未紗と森本の声が重なったのだ。慌てて持ち直して、森本の方へ頭を向ける。



「先生と今日でお別れするの、ヤだな」

「ぶ」

「ひろきっちもヤでしょ?未紗と別れるの」

「あはは、俺は…─、って、え。未紗?」

「好きなんでしょ、知ってる」

「─…」

「…」

「嫌われてる」

「え」

「彼女には、嫌われてる」

「…」








●雨の町

雨の町。




台風がきた。本当に久し振りだ。激しい雨が町中に降り注いで、道路が白く見えた。遠くの町並みも霞んでいる。町全体が白のベールで包まれたようだ。雨汰。そう母が名付けた。否父だったか。僕は感謝する。雨の町はとても綺麗だ。



●タラコハサ



「タラコはさー」




振り返ると深津先輩は、少しつまらなそうな顔をして、私を見ていた。
「痕跡を消すのが好きだね」



「…………へ」



遊びに来て散らかった部屋を片付けてるだけなんですが。
痕跡…と言えば見ようによってはそうかもしれない。私は他人の部屋に髪の毛一本残るのさえ気にしてしまっていたから。

つまらなそうに裸足になって爪を切っていた視線がこちらを向く。心なしか唇が尖っている。可愛い。鋭い先輩の眼がこちらを向いて、視線が交錯する。自分の顔の皮膚が、望んでいないのに真っ赤に染まるのを感じた。


「クス………不細工なタラコ」


笑った。深津先輩の笑顔に相変わらず弱いのを知ってか知らずか、逃げ腰になる私の指を掴む。煩く鳴っていた掃除機が床を捕らえられず静かになって、自分の脈拍の速さが上がった。


「ふ、深津せんぱ…」

「なあ、わざとなワケ。毎回綺麗にしてくのって。俺が綺麗な部屋に一人になって、すぐにタラコに会いたくなっちゃうのを知ってて?」


驚いてまじまじと見上げる。


「ほ、ほんとですか…?」

「この部屋、もしかしたら鑑査入ってもタラコが来たってわからないんじゃない?まさか殺人事件なんか起こそうとしてる」

「ち、違います…」


困ってしまう。ふい打ちだ。"また会いたくなる"って言葉が思ったより嬉しい。掃除機がアピールするようにウィーンと小さく高い音を立てた。いけない、付けっぱなしだ。質問をうまくかわされたことに気づかず、ぶんぶんと首をふる。


「…ここに痕、残させてくれないし」


呟くように話しながら、深津先輩が私の首根あたりをなぞる。顔に出さないようにと頑張るほど、真顔になっていくのを感じた。「素直じゃないね」と深津先輩。




●音響効果

凄まじい勢いで感性を消費しようと、梢はヴァイオリンを弾いた。学生オーケストラでファーストヴァイオリンの表を務める梢の高い音色が、夏の日常を突っ切った気がした。青い空に平然とある入道雲が、梢のナカの夏だった。むしろそれだけが夏だった。その空と、その空の下を自転車で駆け抜ける時間を持てれば、梢はその年夏を感じることができた。
黒いTシャツに灰色にダメージ加工された長パンツを穿いて、梢はヴァイオリンを引き続けた。その音色は、梢の体力と感性と心を消費してくれた。


「何にも見えてない」


携帯が鳴った。その言葉は携帯の着うたが囀ずった。梢は黙ってヴァイオリンを起き、クーラーのスイッチを着けた。1時間以上、余裕に引き続けている。汗がだらだらと額を伝った。楽器の顎当てにその滴が流れ着いていないのは、楽器との間にタオルを挟んでいたからだった。クーラーをつけそのままのリズムで、携帯をとる。メールだと思ったのは電話だった。


「梢」



低血圧の高音質が耳に響いた。この電話はこの音色しか知らないんだ。梢、ともう一度電話が呼ぶ。私は宵、と返した。ヨイ。本当は夜依。




●恋がしたい

恋がしたい、と考えたのは七月の初め。ちょうど七夕まつりの頃。夢の中で恋をして、「恋がしたい」と朝起き抜けに口ずさんだ。隣に寝ていたはずの友人は消えていて、私は布団上に残る温度を感じながら、時計を手にとる。AM3:25。まだ日も上っていないのに。
布団からでた次の瞬間には、隣の部屋から声が聞こえた。隣は、兄の部屋だった。私はカーディガンを羽織りこっそり部屋を出て、自分のマンションからこっそりと出た。今頃あの子は兄と何を話しているのだろう。
近くのコンビニにいつも通り、足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ〜」


適当に呟かれる台詞が、店内に流れる。
好きな雑誌をさらりと立ち読みして、きつい炭酸水のペットボトルを手にとる。
店員のお兄さんは訝しげに私を見て、適当にシールを貼って清算した。「ありがとうございました〜」



私はマンションの前の花壇に腰を降ろした。炭酸水をあけて、溢れ出さないうちに口に注ぎ込んだ。炭酸は喉を刺激し、胃の中で踊った。





「ねー、雪子ちゃんてば、起きてよ〜」


肩を揺らしたのは、早苗だった。早苗は、あたかも一晩中そこにいたかのように、下半身にはまだ布団をかけながら私を揺さぶっていた。


「おはよう。朝早いね、早苗」

「雪子ちゃんが遅いんだって。今日の授業、どうするのよ。フケるの?」


ノーメイクの早苗にみいっていると、何よ、と頬を軽くつままれた。



新入りのお兄さんだった、と私は思い返した。辞めてしまったんだろうか。恋がしたい、というよりも恋に落ちたい、という気持ちだったのかもしれない。もうちょっとで落ちかけていたのに。例え叶わない恋でも、今は落ちてしまいたかった。

見慣れないノーメイクの早苗は本当に違う女のようだった。それでつい眺めてしまった。「早苗は恋してるの?」早苗の薄くなった顔立ちをぼんやりと見ながら、私は言う。早苗は少し思案して、可愛く首を傾げた。「さあ…。でも近づきたい人はいる」私は早苗をまじまじと見つめた。近づきたい人。それは恋愛キーワードとして扱っていいのかどうか。曖昧で、ポジティブな言葉だと思う。彼女は満足げに笑う。多分どんな言葉よりもしっくり来たのだ。私は落ちたいと思った。

授業中に、自分の机の床を囲むまあるい円が突如現れて、落ちてしまわないかな、と考える。床は抜け、重みで一階の教室まで私を運び、そして私は何事もなかったように学校から逃げる。そんな妄想を、何度も何度もこれまで繰り返していた。


「すみません」



コンビニの彼だ。声をかけられて顔を上げた瞬間、脳内でそんなキーワードが瞬時に浮かび固まった。

「え」

「あー…、覚えてないですよね。そこのコンビニで働いてたんですけど、

「あ」

「深夜よく来てましたよね?今、いいですか」

「、…」


落ちたいと思った。深く、深く。彼に私はずっとそれを期待していて、






「─…たらこ」

ギシと鳴った気がした。
手首が痛い。見知った手のひらの冷たさ。


「深「行くぞ」

「え、ちょっ。あんた誰だよ」


目の前に現れた先輩の後ろ姿が、私の手首と結合して彼の目の前から連れ去られてゆく。私が落ちたいのは、深津先輩ではないのに。手首を捕まれながら、周りに人がいないか確認する。コンビニの彼を振り向けば、嫌そうな顔のまま立ち尽くしていた。目が合う。意思は、読み取れなかった。きっと嫌われた。嫌われてしまった。思っているより傷ついている事実が、さらに自分を傷つけていた。
それでも私はこの人に抗えない。最初に唇を奪われたあの瞬間から、何かの呪いのように、私はこの人に囚われている。手首がキシリと痛む。


「鱈子。あの人誰」

「…」



それは、絶対教えなくてはいけないことなのか。少し悩み息を吸い込む。手首、話してもらえないだろうか。痛みが骨髄を壊している。痛い。痛い。


「センパイ、痛いです……」


静かに呟く。黙れば黙るほど痛みが強くなるのがわかったからだ。深津先輩が握りを強めているだけなのだけど。


「…じゃあ答えて」


ぎり、と今度は下に向けていた腕を無理に振り上げた。途端、涙が少しでる。


「っ、い゛」

「答えて」

「コンビニの店員…!」



ぱ、と離れた。あっけない。
この人は自分を人間だとも思っていないようだ。人形のように軽く扱う。強く低く短い単語で、簡単に私を左右できるのだから当たり前かもしれないと私は思った。

トマトルーム




「僕もそのアパートに住んでるよ」

ルームシェアをする男。三つ子の高校生。家出してきた女の子。星を観測する少年。




トマトルーム





暗闇を誰かが飛び降りた。木々の擦れる音がして、葉が何枚か溢れ落ちた。すばやい移動。猫のようだ。華奢な体は建物をすり抜けて、はじっこにある使われないトイレの窓を、そっと開けたら。


「?」


トイレを出ると廊下にはどこからか光が溢れていた。いつもは無い。他に誰かいるのだろうか。





::



「やっ」


音楽を聞いていたから無防備だった。捕まれた手首は高く上げられて、ちょっと筋に来た気がする。空腹に耐えられず、もう片方の手でトマトを掴みにかかるとトマトは長い腕に取り上げられ、食われていった。

「あ〜あ」

ため息と共に思わず肩を落とした。見上げれば、忌々しげな顔。わ、一口!なに、と笑いながらこちらを向く彼に背中を向けた。
また、掴んでくる。振り払おうとすると顎を捕まれて、お腹をしっかり抱えられ、唇を結ばれた。


「しー」
「っ」


舌。トマトの味だ。ばか。
唾液で結んで、わたしの頬が紅く蒸気してから、彼は唇を離した。軽いリップ音。ほら、軽い。意外にとも言えるけれど。


バレタ。


ダメだ。


世界に、愛は溢れているんだろうか。


悩みつつ彼を見る。


「軽い男は好きじゃないよ」

「でも腹減ってたし」

「まあ、うん。え」


彼は見る。ほくそ笑んでいた。頬の熱が下がらないからだ。帯が舞い、綺麗なラインをつくる。

「なに、ソレ」
「これ?」

ぴらりと見せられた形状は、聞いておいてというものだけど、大したものではなさそうだった。ビニル。お菓子パックの外側を包んでいるそれの一部だ。彼は笑って、細長い透明なビニルを、わたしの薬指に結んだ。
ぱ、と私の指より少しごつめの指先が、視界から消える。代わりに私のか細く頼りない指先に、透明なビニルがくるくると巻いて、リボン結びにされて留まっていた。


「…」
「なにこれ」
「私のセリフ」
「思ってただろ」
「…思ってない」
「じゃあ分かってるって思っていいんだ?」



彼を見上げた。適当な表情。ズルい。読み取れない。


「私は、「予約」


薬指に彼は口付けた。トマトに染まった唇だった。
ぐしゃりと歪んだ私の心は、落ちもせず上がりもせずにその場で潰れたようだった。彼はほんの一瞬で、軽い戯れだというに、息をするように薬指を離した。薬指に巻き付いた透明なビニルの先が、ひらりと揺れて、曲線を描き、私に感動を与える。

彼はきちんとアイロンがけされたズボンから、白いハンカチを取り出して口端を拭き取った。橙色に染まっていた。

なんで、此処にこれたかは知っている。私が気まぐれに鍵を開けていたからだ。誰かが入って来られるように。なんとなく寂しくて、空腹感はつのった。



「あのさ、私は、こんなこと続ける気、ないんだ」

「…」



とんと彼の胸を突き放した私の手を、黙って彼が見つめる。



「あなたのルームメイト。いるでしょう。その子と同棲してるんでしょう?」

「俺はね、」

「私は、あなたじゃなくて、他の「俺はね、これがいいの」



骨ばった指が、私の鼻を突く。

─…隣の部屋。彼の同棲相手の部屋を見たことがある。明るい色合いで可愛くて、落ち着いた生活感のある素敵な部屋。
それに比べて私の部屋は、物が無く、無機質で、寂しげだ。


これがいい、ってどういう意味なのかわからず。私は、そのまま後ろを振り向き部屋を見渡した。ん、アナログの箱テレビ。テレビを置く台座なんて買っていないし、その壁の周りには他に何もない。箱テレビがいいなんて珍しいってか、変わってるな。そう思い、もう一度彼の方を向く。



「いた」



また鼻に彼の指爪がささった。



「…」

「…」

「バカなの?」

「箱テレビ?」

「…これって言い方が悪かったけどさ」

「…」

「君がいい」

「名前も知らないくせに」

「向島」

「それ前の人の苗字なの」

「俺の名前だって知らないだろ」

「知りたくないし」



困る。口ごもりながら私は言った。彼は笑顔を固めた。わかっている。彼は彼女と続けて、寂しい私につけ入って、新しい恋愛を楽しみたいのだ。楽しいことを楽しんで何が悪いんだと解いてみる。それで誰かが傷ついて、自分が少しぐらい汚れたって。
でもそれは、やっぱり良くない。もっと拡大図でこの状況は、かなりつまらなく、はしたなく、小さな点に違いないのだ。
指先を眺めた。離れていく。透明な薬指を結ぶ糸は、脱色したように無色だった。真珠さんが教えてくれたではないか。このアパートに棲む私たちに、時間を与えてくるのが誰か。このアパートは、息をしている。


「今日も会ったのでしょう?」


カチャリと二度音がして、私の扉は再び開いた。真珠さん。このアパートで最も謎の存在だ。私がこの人について話していいこともあまり無い。全てはあるルールブックに基づいて、世界は成り立っている。真珠さんは、その中心地にいる人だ。このアパートがまた、小さな中心地である理由として。
真珠は足を私の部屋へと踏み入れた。



「真珠さん。」



私は、微笑んだ。男性か女性かも、ルールブックには記載されていない。そんな真珠さんは、丁寧に頷いた。笑ったかどうかも、記載されていない。



「君は、拒絶をした」

「ええ。でもこのアパートに棲むには重要なことでした。私は彼が好きですが、孤独との恐怖にも常に怯えています。私は私の孤独から逃避するために、胸の焼けつく衝動をこらえ、彼との運命を拒絶しました。私はまた孤独ですが、二人より独りがいいという人間です。独りで歩いていくために、私は独りが良かったのです」


真珠さんは消えていた。外へ出るともう真っ暗な世界だった。しんとした空気が私の鼻孔を、耳朶を、指先を刺激した。かんかん、と階段を上る音がして、見れば彼だった。目があって、彼の視線は階下に注がれた。私は一瞬剃らされたのだと勘違いをして、馬鹿みたいに傷ついていた。


「ねえ」

「…」



声を発したのは彼だった。


「ここ三階だっけ」

「ううん、二階、…」


はっと見下ろすと、そこは二階とは思えぬ高さだった。



「息をする」

「ええ」

「このアパートは心臓を鳴らして、息をして、身震いをする」



魂を持ってるんだ。彼は笑った。おもむろに近づいてきた彼は、笑っていた。気でも違ったのかと彼を見上げたけど、彼は私の隣の部屋のドアノブを握った。「おいで」と彼は言った。私は身構えた。そんなに彼が嫌いか。誰かが訊ねた。「おいで、大丈夫だから」一歩近寄った私の手首を、彼の長い腕が引き寄せた。困る、困る、困る。口をついて出そうな言葉を、必死に飲み込んだ。泣きそうに穏やかな彼の笑顔を見て、私は唇を噛んだのだ。

彼は私の手首を握ったまま、ガチャガチャと鍵を開ける。そのまま、開いたドアの中身を見て、私は思わず「あっ」と悲鳴をあけた。


モノというモノが、ほぼ無くなっていた。



彼は掌に力を込めて、私を中へと率いれる。瞳の中を覗き込むと、諦めみたいな切ない色をした眼だった。向こう側に戸惑っている私が写されていて、私は少し冷静になってくるきちんと着られた草色のシャツから伸びる手首は、少し震えていた。


「ここには、誰も住んでない」


淡々とした声だった。私の声だったかもしれない。私も確信に近くその事実を心中で呟いていたから。
三階だからかもしれない。だけれど、この部屋から見える窓の外は、一階の景色だった。ラビンスに迷い込んだ気分だ。このアパートが息をしているのだ。当たり前だが、階だって変わるのかもしれない。



「名前は?」
「…響ノ介」
「キョウノスケ」


響く、と書くのだと彼は言った。

「独りは、寂しい?」


仄かに彼は笑う。曖昧な返事だ。私だって本当に独りなわけじゃない。それで、本当に寂しいわけじゃないから。本当に、というか、他人より寂しいと言い切る気が、ない。


「私も」


私たちは部屋をでた。誰にも使われていないこの部屋は将来、誰も入らない気もしたし、誰かが棲むような気もした。皮膚みたいなものだ。その場所に、骨も肉も存在する。



「ねえ」
「ん、」
「聞かないの。名前」
「…俺の名前を呼んだらね」



むかっと見上げた彼は、私を無視してそのまま部屋を出ていく。再び鍵を掛けようとしたのを見て、慌ててこの部屋をでる。



「ず、ズルイ」
「うん」
「ズルイ!」



彼は得意なズルさをもって、鍵を閉めた後、額に、鼻にキスをした。それから唇の下に啄むようなキスをする。


「…」
「…」
「響ノ介くん」


よくできました。キスをした。私はその頬をつねってキスをし返した。

聞きたいことがたくさんある。部屋に戻ったら聞こうかな。今聞いたらなんだか信用してないようで、空気を壊してしまう気がする。ちゃんと気持ちを伝えて、それから貴方のこと、いっぱい聞いてみよう。本人に。

トマトの味は、もうしなかった。



話題:ss

more..!

ラストセンチュリー

冷たい。僕はこの世界から出れないのか。







ラストセンチュリー
























足を止めずに乱暴にリュックを背負う。小さな子が俺に手を振った。唇をきゅっと結んだ。高音の響く明るい歌。息継ぎをせずにはらはらと歌う。他人の不幸を悩んだりするほど俺はいい人じゃない。例えば草薙遥というクラスメイトは、俺と同じ現象を共有するけれど環境はあまりよくないらしい。でも知らないことだ。あちらの夢がどんなに濃くなろうと彼女とはこの痛みは共有しない。

走ったのは遠方に和子を認めたからだった。最近常に会いたいと思う。和子は嫌な顔を寄越すけれど、俺にとっては得るものがある。静かにこちらを眺めて異変がないから確かめるような瞳を、俺はかなり気に入っている。



「よ」



少し声が震えた。息を抑えるのが辛かったが、どうにか鎮める。和子は一瞬瞳を揺らして、肩を叩いた俺の手を退かして叩き返してきた。



「なんだよ」

「痛い」



一重のきつい目線にかち合いそうになり目をそらす。



「なんでそんな頑張ってるの。いつもより早足」

「…」

「おい」

「明日定期テストでしょ。今から勉強するの」



面倒そうに肩を竦める。



「ああ、明日なんだ」



昼間あちらの夢を全力で見ている分俺は夜に勉強していて、あまりテスト勉強をする習慣がない。



「ナナって、嫌なやつ」



ぷいと横を向く。ナナは和子が俺を呼ぶあだ名だ。和子に可愛くていいと感想を述べると、つまらなそうな顔をしていた。その時は変なやつと言ったんだ、俺に。無意識に鞄をさぐる。



「あ。音楽わすれた」



無い感触に舌打ちを打つ。残りの帰り道が不安になりぞっとする。何ももたずに歩くことなんてできない。近くの電気屋で安い音源を買おうか。しかし近くの電気屋なんてあっただろうか。
七番目の息子が、勉強ができようが賞をもらおうが見てもらえるわけないのに。気づいた時にはあの夢に支配され、勉強はくせになっていた。


「いいよ。まあそんなに出来る方じゃないけど。それにワコだって勉強できない方じゃないじゃん。一緒に試験勉強する。そんな感じの方がいいんじゃない。俺は邪魔になりそう」



ああ、眼差しが鋭い。ちょっと突き放すようなことを言うと、和子は元々鋭い目をさらにきつくするんだ。そこが可愛いなんて、和子の友達は言ってたけど、ちょっとおかしいんじゃないか、頭。普通に怖い。 和子は光みたいな目を細めて、口を少し震わせた。息を潜めて吐息を訊く。


「ナナって嫌なやつ」


口癖のように和子は呟いた。音が欲しい。今この瞬間からドラムが乾いた音を立て、ベースがぐいんと唸りを上げて、ギターが楽観的に弾む。音が欲しがった。そうすれば俺と和子はこの瞬間から何かが始まると思うのに。ふらふらと歩くと、和子の気に入りの川沿いを歩く遊歩道へと出て少し機嫌を取り戻した。


「この道いいよな」

「うん。あたしなんか、この道を気に入って学校選んだとこあるもん」


へえ、と隣を見ると満足げに小川を眺める和子がいる。細長い和子の指先が目に入り、それから……拾い上げた。


「へ」

「なに」



和子の指先をじっとり見つめる。少しかさついた皮膚は、昨日の厨房バイトのせいに違いない。この豆はこないだの引っ越しやのバイト。

そこまで考えて、思わずため息をついた。本当にこの人は自分に優しいことを何一つしない。むしろ強いたげてばかりの和子。ため息が手先にかかるのか、小さく息をするたびに和子が小さく震える。なんだかいやらしいな、と感じて顔の前からすっと下げた。意地悪するつもりはなかったから。

手はいまだに握ったままだけどそれより安心するらしい。和子と俺はまた歩き始める。



「なに?何を見てたの今」



訝(イブカ)しげな瞳にへらりと微笑む。へらりと笑っているつもりは俺にはないけど、和子はよく言う。



「未来診断」

「診断?」

「そう」

「手相ってこと?」

「そう」

「じゃあ手の甲まで見なくてもいいじゃない」


和子はすっかり何かに安心したようで肩の力を抜き饒舌になる。手はまだ握ったままだけど、そんな答えにまた新しい違う答えを当てはめているんだろう。和子は時々アホだと思う。だって俺は草薙遥と共有したいと思わないんだ。ちっとも。

和子の指先は冷たかった。

雨脚


S


僕の町は、いつだって曇り空だと、新任の教師がさも物珍しげに言った。歩み寄る音が、僕の心を振るわせる。青い湿気が満ちた通学路の路草に、僕らはいた。
ここは、雨が降らない。灰色の空さえ見えない。高い樹木に包まれたこの場所に、光は木洩れ日のみの場所だ。晴れでも雲ってみえる、僕らの産業都市は空気が汚れて空が白けているのだ。



「ハル?雨止まないみたいだから僕帰るよ」

「…うん。なんなら、傘ささないで帰ったら?この大雨だし、どうせ濡れるんだから。ほら、水もしたたるいい男…」

「誰にみせんの。母さんしかいないっての。しかも、ずぶ濡れだと逆に家に入れてもらえないんだ」


肩をすくめる。本当の話だ。遥が笑った。"アキヨルのママ、会ってみたいなー"と、笑って口を塞ぎながら言う。
歩み寄ってくる雨音が激しくなり、やがて聞こえなくなる。晴れの日も好きだが、雨も好きだと思う。この世界に誰もいないみたいに感じるんだ。音を失ったこのシークレットゾーンで、彼女がいつも通りゆっくりと歌い出す、"フルーの唄"。この声が好きで、初めて聞いたとき我も忘れてこの場所に立ち入ったっけ。遥が唇をピンクに染めて、唄をつぐむ。
雨は好きだ。僕を隠してくれる。彼女の声も隠してくれる。雨の中、爪先まで凍らせて、震わせて、体が冷たくなっていくのは"死"なんだろうか。そう言えば、"死"もある意味逃亡なんだと、ハルは言っていた。
新任の教師が、「もっと友達と遊びなさい」と言う。どうやらインドアな僕は、新任の体育教師に睨まれたらしい。担任じゃないことが救いだが、中学受験を控える僕らにとっては大きなお世話だ。
最近の僕には大人の言うことが聞こえない。無音の世界に響くのは、僕の心の声でもない。ハルの歌声だけ。
反抗期だと片付けられたらそれまでだけど、僕はこの世界が本当に好きなのだ。



「…ヨル。アキヨル。寝てた?」

「…え」

「まだ眠っててもいいよ。あたしまだここにいたくなっちゃった」

「…」

「起きててもいいけど。あと一時間ぐらい大丈夫だよね」

「いや、考え事してた。うん、大丈夫だと思う。うん」


ほんとはもう帰るつもりだったが、肯定的な遥の問いかけにそのまま乗っかる。優柔不断は性格だ。逃亡の誘惑はそう簡単には、降りきれない。…確かに音も光も届かないこの秘密の楽園にいることは、"死"にもにている。



「アキヨル。悲しいこと考えてる?」

「うん」

「ねえ、眠ってもいいよ。本当に」

「…」

眠るとき。その瞬間に遥は柔らかく微笑んだ。企みのあるものじゃない、優しい僕の好きな笑顔だった。瞼に遥が手をかける。



「アキヨル。明日は快晴だね。この嵐が、雲なんて吹き飛ばしてくれる」



遥の手は冷たかった。僕の瞼もひんやりとしていたはず。


「そうだね」



笑みを作ったつもりだった。でも、うまく笑えたかわからない。心から明るみをつくるように僕は笑ったつもりだった。




僕は本当は悲しくないんだ。とても嬉しいんだ。幸せなんだ。
遥は知らないけれど、学校には友達だって結構いる。母さんは最近仕事を減らしたみたいだ。多分好きな人もいる。でも幸せだと少し切ない。死ぬのが急に怖くなる。眠りにつくのも最近怖い。幸せ過ぎる、今は。
曇った空だと先生が呟いた空が、僕にはまるで神さまが降臨したような、白く光に満ちた空に見えるのも、多分この幸福と切なさが混じった気持ちのせいなんだ。
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