今は元気なんですが、最近考えてたことをつらつら長々。
自分のことについてなのでどうでもよさに注意(´△`;)
こないだね、
南瓜はちょっと講義で同じ班の人にぷんぷんしてました。
なんか許せない!て感じに。
で、他にも色んなことがあっていっぱいいっぱいで辛くなってきてたら、
「愚痴ならいくらでも聞いてあげるよ、さあおいで」と同じクラスのお姉さん方を筆頭に数名の方が話を聞いてくださいました。
南瓜は陰口みたいなのが、生理的に、自分的には絶対口にしたくなくて。その日の南瓜が愚痴るのって、それ陰口に近くなりそうで、なんか「あ、どうしよう」と唾が詰まりそうになった。
でも結局思いの丈をぶちまいて、すっきりしてしまった。いや、あまりすっきりもできなかった、かな。
んー特定の相手の愚痴と陰口って紙一重(・ω・)てか、一歩間違えたら同じになっちゃう。
だから嫌な気分。
しかも愚痴聞いてくださったのが5人くらいいたから…余計に、陰口みたいで、愚痴れば愚痴るほど罪悪感。
せめて愚痴も、一人相手がいいな、それでそれなり親しいひとじゃなきゃ。
愚痴を筆頭に立って聞いてくれたお姉さん二人は客観的位置をくずさないで聞いてて下さってたからいいけど、他の方達が心配。。
価値観もあまり知らない人の愚痴を聞いてあげるんて、少し危険な気がします。
結局、結局のところ
南瓜は愚痴ってしまったわけで。
それを、罪悪感にまみれてしまったその時の記憶を、正当化させたがってるわたしが、いる。
確かに愚痴った。
腹が立った、人として許せない奴だと腹を立てた。
でもこれは陰口じゃないよ、わたしはあんな風に生きたりしない、間違いを見つけたら直しながら生きたい、だから間違いの参考を見つけたんだと思う!
陰口じゃないよ、
とか考えちゃいます。
最近自分のことに気付いたんですが。
南瓜は心の奥で、自分は間違ってない、正しいって思いたがってる…いやいや、もう思っちゃってる。馬鹿だね、本当に恥ずかしい。自分が正しいとか思っちゃって、る………。あああ馬鹿、愚者。
この馬鹿だなぁと思える理性みたいなのが、「わたしは正しくありたい」って台詞に変換してる。心の奥は「わたしは正しい」とか、過信してるんだけど。うおあああほんと馬鹿すぎるね、馬鹿すぎ、あほだ、あーふぉ、あーふぉ!
こんな自分の馬鹿さに気付きたくなかった、気付きたくなかったけど気付いちゃった。
だってこんなことがあった。
「自分の完全な間違い」にぶち当たった。
わたしの理性が形成した「わたしは正しくありたい(間違いをこつこつ直したい)」が本当のわたしなら、間違いを認めて改めようとするのに時間はかからないはず。
だけどわたしは、すぐに間違いを認められず、認められないせいでやたらめったら心がずーんとなって、「間違ってた?いやそんなことない、間違うはずないのに」とひたすらループ。なっかなか間違いを間違いと認められなくて、苦しい。
でも気付けてよかった。
自分が過信してたことに、気付けてよかった。
気付けたから、間違いを認めないとなぁって、少しは早く認める余裕ができた。
あ、話戻すと、
南瓜は自分を過信してるよーなお馬鹿さんだけに、間違ってるって感じると罪悪感にまみれるみたい。
ああこれまた、偽善ぽいって言われた記憶がよみがえる。懐かしいなぁ。
最後に、内容めちゃくちゃな日記すみません、
今の南瓜が自分の中で、ただ純粋に最善だと思えたこと、南瓜のやれることはね、
南瓜が腹を立ててたどうしようもない人。
南瓜はその人に腹を立てるんじゃなくて、今度からはそのどうしようもないところをフォローしようと思いました。
フォロー言うてもその人だけの利になるとこまでは絶対にやらないけど。班に影響があるほどどうしようもない人だから、そこをフォロー。
南瓜がもっと柔軟でつしっかりして強くなれば、
その人のどうしようもなさが、腹を立てるとか許せないとか思わないくらいどうでもよくなる、はず。
がんばる。