07/03 03:43 闇のはなし



 合戦が近い。
これは領地奪取や武功の為の戦ではない。秀吉様から受けた恩に報いる為に行うのだ。豊臣は文治派、武断派に分かれていた。自分は紛れもなく文治であり贔屓目に見ても皆に好かれてはいない。
 口が上手くないのだ。自分には秀吉様の様な人心を手にする様な才能は皆無であった。豊臣恩顧の将であった筈の者までが徳川に付くと噂されている。
 それでもいい、人の顔を伺う様な者など要らない、俺が真に欲しいのは従う者ではなく信じてくれるものであるからだ。そう勢いよく説けば目の前の男は小さく笑った。「お前は変わらぬな」と顔中にも巻かれた布の隙間から覗く瞳で言った。
 男の名は大谷吉継、俺の欲しい者は吉継の様な者である。

「それで、」

 吉継が茶を元に戻しながら言った。

「お前はこの戦に勝てると思っているのか」
「勝てる、勝てないではない!やらなければならないのだ、今までに受けた恩を忘れ、隙をついた様なやり方の徳川にそのまま天下を明け渡すなどあってはならんのだ」

 俺は右手をぎう、と握った。
吉継はそれを目を細めて見やる。この懐までをも見通す瞳が心地よい。この瞳で豊臣の天下を傍で見ていて欲しいと願ってやまぬのだ。

「だがお前は負けるよ」
「…分かっている」
「お前は如何贔屓目に見ても嫌われているからなあ」
「ふん、上辺だけで好かれても嬉しくないわ」

 何時もの癖で答えると吉継は困った目をしてまた一口茶を飲んだ。そして何処を見ているのか分からぬ目をした。飲み終えると吉継は小さく、呟く様に「闇を」と言った。俺は眉根をぴくりと動かし次の言葉を待つ。

「闇を見たことはあるか?」
「闇?闇とはあの、闇か?」

「嗚呼」と吉継は答える。

「闇なら夜になれば見れるではないか。帳が下りれば全ての世界は闇の中だ、そうであろう」
「…、いや。それは真の闇ではない。それはな暗闇だ」

「暗闇も闇も同義であろう」と返せば吉継は懐かしむ様にふっと笑い、違うのだとゆっくり紡いだ。

 

 何処が如何違うのか俺には分からない。俺には見えぬものが吉継には見えているのだろうか。それが闇なのか。俺には見えぬ。「白黒はっきりせぬものは苦手だ」と顔を顰めた。 

「はは、そう難しい顔をするな。お前にも見える時が来るさ」
「それはどんなものだ。冷たいのか?それとも、重いのか?」

「そうだなあ」と煮え切らない答えを出す吉継にまるで菓子を隠されて出せと言っている童の気分になり説明しろとせがんだ。

「そう急かすなよ。闇はな恐ろしいのだ。何処までも暗く、何処までも広い。その間中に己が一人いる。人間とは一人では何も出来ぬものなのだと闇の中へ落とされて初めて知るのさ」

 ゆっくりと語る吉継の瞳こそ闇のそれの様であった。
何処までも続き、何処までも見通しそうな瞳。見詰められると誤魔化しなど聞かぬ気がして恐ろしくなって来る。然し何時までも見詰められていたく思ってしまうほど深い。
 俺の喉がごくり、と上下した。

「佐吉よ、人は一人では何も出来ぬよ。闇はそれを知らしめる。何も出来ぬ不甲斐無さに己を呪いたくなる」
「…そうだ。人は一人では何も出来ぬ。兵一人動かす事も儘為らぬ。俺は特にな」

「はは、その通りだ」と吉継が笑う。

「だからお前の様な者がいて欲しいのだ。真に信じる事の出来る物は少ない。だから、少しでも信ずる事の出来る者に傍にいて欲しいのだ。…これは俺の我儘だ」
「そう、だな」

 重く答える吉継。もう少し早く信じる事の出来る者を増やすべきであったなと咎める口ぶりで言った。まるでおね様に叱られている様な気がしてくる。
 「然し、だ」と言ってまた吉継が茶を飲んだ。

「俺はお前の友であるからお前が負けると知っていても力を貸そう」
「負ける、は余計だ」

 機嫌を悪くした顔をして返す。吉継は笑う、覆面を施した上からでも分かる、この男は今愉しそうに笑っている。

「ほう?では愛嬌も度胸もある徳川殿に勝てるとでも?三成よ、お前は何処をとっても徳川殿に劣っている」
「そんな事は俺が一番良く知っている」
「然し俺はお前を支えよう」

 吉継の答えに俺は「吉継!」と喜びながら自分らしくもなく「かたじけない」と包帯だらけの吉継の手をぐっと握った。

「俺はお前の友だからな」

 この言葉を俺は生涯忘れないであろうと思い喜びながらその日帰路に付いた。然し吉継が不治の病を患っている事から察して先の闇の話は吉継の生死の終わりが見え隠れしている事を物語っていると俺は気が付かなかった。

***




 闇の話を佐吉にしたのは余計だったかと吉継は思う。
病の床に伏せると誰もが弱気になって為らぬな、と吉継は心中で愚痴た。闇の話は本当だ、闇がこの部屋を、世界を黒く染めようとしている。
それは皆には見えずとも自分には見えるのだ。よく世界が見えなくなってきた片方の瞳が闇を見つけて瞳を閉じる。

(もうすぐか…、)

 黒き衣を纏う者、それは男か女か分からぬ。ただ闇の中に染まる様に溶ける様に現れ出でては吉継の最期を待っていた。

「死出の神よ。もう少しだ、友を助けてやりたいのだ、あいつを助けるものは少ない。俺の最期の願いだ。聞き届けてくれ」

 小さく呟く様に発した声は闇に溶ける神にしか聞こえない程小さなものであった。







(了)





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