6月8日仏滅、ペッサン(愛娘@アダナ)が、1歳になりました。
おかんが来て、おニューのオモチャを買い与えておりました。
お義母さんからは、写真たてとお菓子が届きました。
…沢山の現金が良かったです。
いや、ありがたいですけども。
Yは、休み取ったはずが、出勤になり、直帰するから夕方には帰れる…はずが、22時過ぎても帰って来ません。
連絡の1つもありません。
ペッサンは寝ました。
怒りを通り越しました。
うちはきっと母子家庭なんだと思います。
おめかしさせて待ってたのに、無駄でした。
彼はペッサンにおめでとうすら言ってません。
初めての誕生日なのに。
仕事で仕方がなければ、何でも許されると思っているんだろうか。
割り切らなければならないんだろうか。
アテクシにはできないので、うちは母子家庭って事にします。
もう、やつは、居ない人にします。
7月から無職だった☆の仕事がやっと決まった。
11月7日よりやっと働き始めました。
10月の家賃払ってない練乳家です。はい。
派遣で6ヶ月。
正規雇用になるかどうかは、その6ヶ月で決まるらしい。
…大丈夫だろぅか。
一抹の不安。。
そして、10月と11月の家賃とか光熱費とかどうしよう(;´д⊂)
そんな中、姫様はすくすくと育っておいでです。
…多分。
なんとか、ミルクとオムツは確保して生きてるよ!!
求む!寄付金!!
…いつになったら、貧乏脱却できるんだ。。
目を覚ましたら、すでに病室で、☆がソファーに座ってました。
まだ朦朧とするなか、多分、会話をしたのだけれど、何を話したのか全然覚えてない。
しばらく保育器の中になっちゃうかもだからって、生まれたてのベビ様を抱かせてもらったって話しか覚えてない。
抱いたら泣き止んだんだって。
日頃からおなかに話しかけてたかいがあったのかも??
☆が仕事に行き、アテクシは色んな機械につながれてる事すら気付かないまま再び爆睡。
麻酔が切れて痛くて苦しくて目を覚ます。
相変わらず、上手く呼吸が出来ないみたいで、何かを察知したのだろう看護師さんが、酸素マスクを付けにくる。
そんで、点滴やら、心電図やら多分足の浮腫を取るらしい機械やら、血圧計やら、おなかに何かを注入する機械や、尿の管で、もぅほんと全身機械だらけになっている事に気付いた。
『痛みますか?』
と聞かれ、そりゃもぅパネー痛くて苦しくて最低な気分だと八つ当たりしたい気持ちを押さえ、
『はい』
とだけ答える。
で、痛み止めを打ってもらい、再び眠るが、また痛みで目覚め、寝返りすら打てない状況にイライラした。
二回目の痛み止めを打ってもらい、再び就寝。
そんなお産当日でした。
マヂ散々だったゼ
ヤホー
過疎化も甚だしいこのブログ。
までも、今まで通り細々とやっていきますょ。
て事で本題ですが、去る6月8日、アテクシ切りたくもない腹を切られました。
世に言う帝王切開と言うやつです。
予定日は7月20日だったので、1ヶ月以上早い出産となりました。
6月8日朝8時頃、破水。
旦那を起こして、病院に電話。
まだ先の事と思って、全くしていなかった入院の準備を慌ててする。(旦那が)
その間にも、どんどん破水。
バスタオルを敷いて車に乗り、産院へ到着。
間もなく呼ばれ、おなかにモニターを付けられる。
しばし経過観察されつつ、実家とかにとりあえず連絡。
エコー見られ、
『羊水がほとんどなくなってるから、もぅ産まなきゃね』
と言われる。
産道のチェックをされるが、全く開いておらず、帝王切開ケテー
何をされたのか分かりませぬが、だんだん眠くなって来る。
あれよあれよと、手術室に運ばれ、
いつの間にやら爆睡して居る間に、心の準備も何もなく、事は終わっておりました。
産声を聞く事も、抱く事もなく、初めての出産完了。
覚えて居るのは、看護師さんに無理やり起こされ
『産まれたょー!元気な女の子だょー!深呼吸してー!!』
と言われた事と、その時の腹部の激しい激痛。
激痛に激しい付けちゃうくらいのパネー痛み。
深呼吸なんてとても無理で、そのまま意識を失い、また呼吸をしろと起こされるの繰り返しがあり。
呼吸が上手くできていないので、声を出す事ももちろんできず、ほっといてくれ!と言いたかったが、言えなかった。
普段から、寝起きは悪いが、この時ほど悪かった事は、過去ないだろぅ。
ちゃんと呼吸をする事より、寝る事を選ぼうとしてたんだから。
最低極まりないな
ま、なんだかんだ、どうなったのか覚えてないけど、起きたら生きてました。