こうして長崎けんか坂を
巡る一連の騒動は
終結を迎えましたが

やはりこの騒動には幾つかの
疑問点があります

それを理解するにはまず
江戸時代当時の
長崎特有の
事情を知る必要があります


当時の長崎は江戸時代
唯一外国に
港が開かれた貿易の町です

そのため長崎は対外貿易で
毎年多額の利益を得ていました

江戸時代本来の身分制度ならば
武士が一番上で商人は
貿易商人とはいえ一番下になります

しかし長崎の実態は真逆でした
対外貿易で
巨額の富を手にした商人は
長崎で最も裕福で
長崎の町を支えているという
プライドを持ってしまったのです


本来なら町を肩で風切るのは
武士のはずですが

長崎の町を肩で風切って
歩いていたのは
長崎の町の貿易商たち
だったのです

こうした背景を踏まえて
けんか坂騒動を
もう一度考えて見ましょう

深堀藩蔵屋敷の
武士2名は
長崎諏訪神社での用事を終え
五島町の深堀藩蔵屋敷への
道を急いでました


また長崎会所 高木家の番頭たちも
高木家屋敷への道を
急いでました

深堀藩藩士2名は坂を下り
高木家番頭たちは
坂を急いで上がってました

事件はここで起きました
折からの雪解け水に足が悪い
深堀藩藩士 深堀三右衛門が
突いた杖が泥水を跳ね
高木家の番頭の服にかかりました

まずこの謎です
本来なら幾ら商人天下の町でも
商人の家の番頭が
藩士の武士と揉み合うのかです

次回はここから
考えていきましょう

〜次回 長崎の歴史に続く〜

from Itsuki


↑しらゆきちゃん
澄ましてます