SsSの処方箋
Rudbeckia
2015.1.29
04:55
*Cock Robin*prologue
髪を切った。
あの人が好きだと言ってくれた、烏の濡れ羽色した、背中に流れる毒々しいまでに長い黒髪。
『準備』のためにと伸ばしていた髪を、バッサリと。
小さな格子窓から薄ぼんやりとした陽射しが射し込むボロアパートの狭い浴室で。
文具用のハサミで淡々と、事務作業のように何も考えずに、左右のバランスを取る気もなく、ただひたすらザクザクと。
流しっぱなしのシャワーのぬるま湯が、肢体から足元に纏わりついた、ついさっきまで自分の身体の一部だった物を洗い流していく。
ゴ…ゴ……ゴ………ゴポ……。
排水溝に溜まった髪が詰まり、苦しそうな音を立てた。
まるで水責めに処される罪人が酸素を求めて喘ぐような、醜くおぞましい程の、苦し気な音。
(苦しそうな……?)
言葉の安っぽさに苦笑した。
あの人が味わった苦しみはもっと重くて深いだろう。もっとずっと痛かったろう。
…………ゴポ……ッ。
俺達が味わった屈辱と喪失は、誰にも推し量れないだろう。
不当な扱い、死者への冒涜、余りにも安い俺達の幸福と生命。
あの人は最期に何を思ったろう。苦しみと痛みと寒さの果てに、事切れるその一瞬に何を思っただろう。
………ゴポ……ゴポ……。
今もまだ憶えてる。
真冬の空はあの人の温もりを残らず奪って行った。
嗚呼、嗚呼……。
あの人が抱き締めてくれることは、好きだと囁いてくれることは、二度とないのだ。あの笑顔に出会うことは永劫叶わないのだ。
耳朶に残る温かい声は、今はもう遠い。きっとこのまま遠ざかって思い出せなくなってしまう。
呼んで。俺を呼んで。
誰かではダメだから。あの人に呼んでもらえなければ、消えてしまうから。
「…………っ!!」
ギリ…、と奥歯を軋ませ、シャワーの柄をひび割れた鏡に叩きつける。アルミを張り付けたようなちっぽけな鏡は容易に欠けて、割れた破片は固く握る手に容赦なく血を吹き出させた。
発狂して喉が潰れるまで滅茶苦茶に叫びたかった。気が狂い、憎悪に引き裂かれそうになる、抑え難いこの衝動を、切れるまで叫びたかった。
右手から滴る血が、赤い流れを築いて、排水溝に消えていく。
痛みよりも頭が冴え渡って、瞳孔の開いた目が、止まらない赤の道を追い続ける。
「"Who…killed…Cock…Robin……? "」
誰が殺した、駒鳥を殺した。
「"I, said……the Sparrow,"」
雀……、そう雀が殺した。
あの人を、殺した。
空っぽな俺が唯一所有していたあの人を、殺した。
初めて掴んだ幸福を、あっさりと嘲笑うように踏み躙られた。
掌に乗せたささやかな幸福を、手首ごと切り落としていった。
あの人しかいなかったのに。
あの人しかいらなかったのに。
赦さない。
俺達から奪った代償は、その身で贖え。
「――I'm "the Sparrow,"」
俺は雀。
そう、今度はこちらが駒鳥を殺す番。
種はとうに蒔き終えている。
永かった、やっと……、やっとここまでやって来た。
俺だけが季節を、5度目の冬を巡った。遺された俺だけが哀しいことに歳を重ね、時間を費やし、未だ残る寿命を削った。
それもこれも何もかもが、ようやく終わる。
さあ、巡る冬に始めよう。
「"I'm ……the Sparrow,"」
弓よ、しなれ。
矢よ、射ぬけ。
それがあの人にしてあげられる唯一の事ならば……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
はじまるよ〜
0
前へ 次へ
bkm top