話題:死にたいと思うことは悪い事ですか?

0時過ぎからさっきまで母親と酒飲んでました。
母と酒飲んでる時は大体人生についての話や自殺についての話をすることが多いです。
まあ、母娘ともに陰気くさいので二人で飲んでるときはへヴィーな会話をしてます。
特に先日、就職活動がうまくいかなくて自殺する大学生がここ数年で急増しているというニュースが巷を騒がせていて、今現在まさに私自身が一応就活生なのでそのような話題になったわけなんですが…。

この話題書きを書くにあたって先に言っておきたいのは、私は今までの人生のなかで本気で自殺しようと考えたことは一度もありません。
ですが、自殺を絶対にいけないことだとも考えていません。
むしろ一般的に自殺が悪いことであるという考え方にあまり納得がいっていないのです。
しかし自殺を真剣に考えたこともないようなやつがこの話題についてつらつらと意見を述べること自体がおこがましいのは承知の上で私の意見を書いていきたいと思っています。

話を戻しまして“自殺”というものの捉え方について今までも何度か母と話したことはあったんだけれども、毎回双方相容れないんですよね。

私は、自殺は人生における選択肢のひとつであって、別にその選択肢を選ぶかどうかは個人の自由であり、自殺という道を選んだ人を責めていい人間なんていないと考えてます。
実際に私自身が、高校受験や大学受験などの人生における大きな勝負所で、その重圧から逃れたいがために「もし今回の受験で失敗したとしても、最悪の場合人間なんてのは死ねばすべて消えてなくなって無かったことになるんだから、今はとりあえずやれるだけのことはやって本当にどうしようもなくなれば死んでしまえばいいんだ」という精神で受験勉強に励んでいました。
どこかで逃げ道として自殺という選択肢を自分自身に提示していないと、私の軟弱すぎる心では精神的に受験の重圧に耐えながらの勉強ができなかったからです。
このような経験をしているので、私の中で自殺というものは、進学、就職と同じように人生における進路の選択肢のひとつのような感覚に近いものがあります。

しかし私の母は「子どもが親より先に死ぬことほど親不孝なことはない」という意見や、「自殺をする人間は残された人の悲しみのことを考えていない自分勝手な人間だ」というようなこと主張します。
母親の意見も分からなくはないですし、実際私自身もそう思っていたこともありました。
ですが、これは私の想像でしかないのですが、自殺するという結論にたどりつくまでに、その人は他人には計り知れないほどの苦しみを味わってきているのだと思います。
そして、その苦しみから逃れたいために自殺という選択肢を選んだのだと思います。
自殺という選択をするまでにおそらく本当にさまざまな葛藤があっただろうとも思います。
それこそ、親のことや、周りの人間のことも考えたと思います。
しかし、自分が自殺まで考えるほど苦しいと感じる人生を、他人が悲しむからという理由で生き続けるというのも悲しいような気がします。
そのような理由では、生きる動機が他人のためというようなものなってしまっているような気がしてならないのです。
自分が生きていたいから生きるのではなく、他者が悲しむから仕方なく生きるというような虚しいものになっているような気がします。
まあ、何年か経過して結果として自殺しなかったほうが良かったという人生になるかもしれませんが…。
しかしだからと言って一概に自殺を悪いものとして捉えることができないのです。

自殺という選択肢を選び、苦しみから逃れて救われるという見方はだめなのか。
苦しみから逃れることがそんなにいけないことだとは、私には思えません。
少なくとも私は、例えば誰かが自殺をしたとして、そのことを他の誰かが自殺はダメだのなんだのと評価するのはおかしいと思います。
他の誰かが、その人が自ら自殺という選択をして命を絶ったことを否定するのは、その自殺した人の人生自体を全否定するということになるんじゃないかと感じるからです。

長々と書いたけど今の私が抱いてる自殺への考えは全てここに吐き出したんじゃないかな。
私自身は死ぬの恐いから自殺はしないだろうけど…。