話題:自殺
私の父親は私が中1のときに亡くなった。
自殺だった。
父の日の次の日に、犬の散歩用のリードで首を締めて死んだ。
突然だった。朝起きたら隣の部屋で父は横たわっていた。何がなんだかわからなかった。
だって、父の日の夜にプレゼントとしてストラップを渡したときは、携帯につけて嬉しそうにしていたんだから。
あれから7年以上経つけど
何が理由だったのか未だにしらない。
母は知ってるのかもしれないけど、聞いたときの母の気持ちを考えると聞けない。母も父と同じ道をいってしまうのではないかと恐い。
父は厳しいだった。恐いという印象が強かったのを覚えてる。
気性が少し荒い方だったと思う。あのころはよくわからなかったけど、ヒステリーぽくなることもあったと思う。
でも私は、父のことが好きだった。
父は車が大好きで、休日にドライブに連れて行ってもらうのが好きだった。
一緒に犬の散歩に行きながら、星を眺めた。プラネタリウムにも連れて行ってもらった。
厳しいけど優しくもある父が好きだった。
父が亡くなって、私は部活(スポーツ系)に没頭するようになった。
部活で体を動かしてる間は何も考えなくてすむから。
そのうちその部活も成果がではじめて、それ自体を楽しいと思うようになった。
中学生の頃はその部活が心の支えだった。
高校でも同じ部活動をした。本当にそれだけだった。
『部活を頑張る自分』
これが自分を支えるものだった。何かに対して一生懸命頑張る自分を誇りながら生きた。
自分は母子家庭でも、自死遺族でも強く生きてやる。そう思いながら。
…ただこの頃から時折父ことを考えて落ち込むことがあった。
なぜ自殺を選んだのか?
自分や他の家族の存在では支えになりきれなかったのか?
でも、こんなことを考えるのは一生懸命私と妹を育ててくれている母に申し訳ない気がして、考えまいとしていた。
そして高校の部活を引退した。
進路選択の時期になり、私は教員になることを目指すことにした。
なぜなら、私と同じような経験をした子やそれ以外にも何か心の闇を持つ子に対して
私がそうだったように、何かに一生懸命打ちこむことで生きる希望を持ってほしい、そしてそのお手伝いをしてあげたいと思ったからだ。
偉そうなこと言っていると自分でも思うけど、本当にそう思っていた。
そして、教員になる準備として大学入学と同時期から母校の中学でコーチをやらせてもらうことになった。
最初の一年は酷かった。簡潔にいうと、やる気のない顧問に振り回された一年だった。
自分の時間などほぼ持てない一年だった。
でもそれでも『私がいなければ、私がやらなければ困るのは子供たちだ。』そう自分を奮い立たせながら過ごした。
それに母の為にも頑張らなければいけないと思った。一生懸命頑張ってくれている母の為にも真っ当に生きなければと思った。
しかし部活のつらさもあったからなのかわからないが、大学生になってから父のことを考えて落ち込むことが増えた。
そうなるといつも誰にも相談出来ないつらさに苦しむことになる。
『うちは母子家庭だ』そこまでは言える。
でも
『私の父親は自殺した』
これはどうしても気がひけて言えなかった。言ったときの反応が恐かった。
だけど一度だけ話したことがある。
小学校の頃からの友人だ。言いたいことの半分も言えなかった。言おうと思っても苦しくて言葉がでないのだ。涙ばかり出てきた。結局父は自殺したという事実しか話せなかった。とても精神的に疲れたのを覚えている。
でも彼女が言ってくれた『話してくれてありがとう』ということばに少し救われたのも事実
だけど、話しても私の気持ちは晴れなかった。口にすることがこれほどツラいんだということが悲しくなった。
いつまで私はこの気持ちを抱えればいいの?
そして今年。
新しい顧問が来てくれた。やっと少し楽になると思った。正直少し自分も自分の為の時間を持ちたいと思うようになっていた。
だけど更に忙しくなり、責任も大きくなった。子供と接するのはとても有意義だったけど、それよりもこのままこの世界しか知らないかもしれない視野の狭い自分に嫌気がさしていた。
真っ当に真面目に生きることしかしない自分に疲れ始めていた。