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はぁ…

イライラする全部全部。

めんどくさい全部全部。

いらいらい〜



あーむかつく。先輩としてどーなんだし。たいしたことしてないやつがあーだこーだ言うなや。えらそうにしやがって。

辛いことを周りにアピールすんな。てっぺんの人間がそういうことやるな。
言ってることが矛盾してるし、は?引き継ぎ不足?私はあんたからデータしかもらってないんですけど。

つらくて眠れない?そんなんテメーだけじゃねんだよ。甘えてんじゃねーよ。
やってもないことやったって言ってんじゃねーよ。あーーーうざ。まじでそんなめんどいんだったらトップやめろよ迷惑だから。


うざい本当うざい。うちの先輩なんてカスばっかしだし、やる気とか熱意のないやつばっか。

先輩だと思えん。上司だなんて認めん。

生きる

話題:生きている意味


生きている意味なんてないって人もいれば、「これだ!!」っていう生きる意味を見いだす人もいる。
正直どちらでもいいと思う。

でも、それでも私は生きてるうちに自分の「生きる意味」を見つけたいと思うよ。そのほうが生きることを楽しめると思うから。

「美味しいものが食べたい」

「好きなスポーツをやり続けたい」

「大切な人を愛し続けたい」


なんでもいいよ。何でもいい。

できたら私は人と関わり続けたい。そしてそれを生涯の生きがいにしたい。そのために今動いてる。
だけどそのせいで悩むこともたくさんある。
もう頑張れないと思ったことも、消えてしまいたいと思ったこともある。
もっと楽に生きられたらいいのにと何度も思った。でも少し嬉しいことがあったりすると、このままでいいやって思ったりする。

悩んで苦しんで、だからこそそれを乗り越えたときの喜びや楽しさをいとおしく思うことができるから。

悩んで苦しんだあと、成長した自分した自分を感じることができるから。

だから悩んでるときも、心のどっかで「でも、これでいいんだ」って思ってたりする。

だからやっぱり私は楽な人生よりも、苦労する人生を選びたいと思うよ。

まじで世の中ウザいっておもうことも沢山あるけど、生きててよかったって思うことも沢山あるよ。


自殺する人には、この世の中はどう映っているんだろう。真っ暗闇なのかな。
お父さんにはどう見えていたのかな。私達家族は、どう見えていたの?

私はお父さんのこと考えて死にたいと思うこともある。でも、始発電車からみる朝日がとても綺麗だったりすると生きてて良かったって思える。また見たいなって。
それだけだけど、それだけのためにつらいことも頑張れたりもするんだ。

だから、本当は私はお父さんに生きていて欲しかったって思うよ。私が生きる意味じゃなくたっていいから、
朝日とか、そういうちょっとしたことでもいいから、
そんなものの為にでも生きていてくれれば良かったって思うよ。

だって、そうしたらもっと色んな話をすることができた。もっと色んな時間を共有することができた。


だってそしたら

怒られることも

誉められることも

親孝行だって

することができた。


だからもっとお父さんにはもっと生きる意味を見つけて欲しかった。私も見つけてあげたかったよ。
この後悔だけは一生消えないよ。


だから、もし今、自殺したいと思っててこの日記を呼んでくれている人がいたら、お願いだから今一度立ち止まって考えてみてください。

めちゃくちゃ自分勝手なこと言ってると思うけど、悲しい気持ちのまま、苦しい気持ちのまま人生終わらせてほしくないよ。

自死遺族



話題:自殺


私の父親は私が中1のときに亡くなった。

自殺だった。

父の日の次の日に、犬の散歩用のリードで首を締めて死んだ。

突然だった。朝起きたら隣の部屋で父は横たわっていた。何がなんだかわからなかった。

だって、父の日の夜にプレゼントとしてストラップを渡したときは、携帯につけて嬉しそうにしていたんだから。


あれから7年以上経つけど

何が理由だったのか未だにしらない。

母は知ってるのかもしれないけど、聞いたときの母の気持ちを考えると聞けない。母も父と同じ道をいってしまうのではないかと恐い。


父は厳しいだった。恐いという印象が強かったのを覚えてる。
気性が少し荒い方だったと思う。あのころはよくわからなかったけど、ヒステリーぽくなることもあったと思う。

でも私は、父のことが好きだった。

父は車が大好きで、休日にドライブに連れて行ってもらうのが好きだった。
一緒に犬の散歩に行きながら、星を眺めた。プラネタリウムにも連れて行ってもらった。

厳しいけど優しくもある父が好きだった。









父が亡くなって、私は部活(スポーツ系)に没頭するようになった。
部活で体を動かしてる間は何も考えなくてすむから。
そのうちその部活も成果がではじめて、それ自体を楽しいと思うようになった。
中学生の頃はその部活が心の支えだった。


高校でも同じ部活動をした。本当にそれだけだった。

『部活を頑張る自分』

これが自分を支えるものだった。何かに対して一生懸命頑張る自分を誇りながら生きた。
自分は母子家庭でも、自死遺族でも強く生きてやる。そう思いながら。

…ただこの頃から時折父ことを考えて落ち込むことがあった。

なぜ自殺を選んだのか?

自分や他の家族の存在では支えになりきれなかったのか?


でも、こんなことを考えるのは一生懸命私と妹を育ててくれている母に申し訳ない気がして、考えまいとしていた。


そして高校の部活を引退した。

進路選択の時期になり、私は教員になることを目指すことにした。



なぜなら、私と同じような経験をした子やそれ以外にも何か心の闇を持つ子に対して
私がそうだったように、何かに一生懸命打ちこむことで生きる希望を持ってほしい、そしてそのお手伝いをしてあげたいと思ったからだ。


偉そうなこと言っていると自分でも思うけど、本当にそう思っていた。


そして、教員になる準備として大学入学と同時期から母校の中学でコーチをやらせてもらうことになった。

最初の一年は酷かった。簡潔にいうと、やる気のない顧問に振り回された一年だった。
自分の時間などほぼ持てない一年だった。
でもそれでも『私がいなければ、私がやらなければ困るのは子供たちだ。』そう自分を奮い立たせながら過ごした。


それに母の為にも頑張らなければいけないと思った。一生懸命頑張ってくれている母の為にも真っ当に生きなければと思った。

しかし部活のつらさもあったからなのかわからないが、大学生になってから父のことを考えて落ち込むことが増えた。

そうなるといつも誰にも相談出来ないつらさに苦しむことになる。
『うちは母子家庭だ』そこまでは言える。
でも

『私の父親は自殺した』
これはどうしても気がひけて言えなかった。言ったときの反応が恐かった。

だけど一度だけ話したことがある。

小学校の頃からの友人だ。言いたいことの半分も言えなかった。言おうと思っても苦しくて言葉がでないのだ。涙ばかり出てきた。結局父は自殺したという事実しか話せなかった。とても精神的に疲れたのを覚えている。
でも彼女が言ってくれた『話してくれてありがとう』ということばに少し救われたのも事実

だけど、話しても私の気持ちは晴れなかった。口にすることがこれほどツラいんだということが悲しくなった。
いつまで私はこの気持ちを抱えればいいの?

そして今年。

新しい顧問が来てくれた。やっと少し楽になると思った。正直少し自分も自分の為の時間を持ちたいと思うようになっていた。

だけど更に忙しくなり、責任も大きくなった。子供と接するのはとても有意義だったけど、それよりもこのままこの世界しか知らないかもしれない視野の狭い自分に嫌気がさしていた。
真っ当に真面目に生きることしかしない自分に疲れ始めていた。
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REAL MIND



どんな悩みがあっても


どんだけツラいことがあっても



笑顔を忘れず絶やさずに


太陽のように生きる



苦手な人は自分を写す鏡のような


自分を育てるチャンスをくれる人




人を否定することは自分を否定するということ


不平不満を口にすることは自分に泥を塗るということ


人を妬むのは自分がまだ未熟だから


それでも自分が自分を失わずにいられればそれでいい
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