職場はビルの高層階だけど、地震が発生したら近所の公園に避難する決まりになってる。
でも海のすぐそばだし、津波が来たらどうするんだろうねっていつも言ってる。
火事も怖いし、ビルが倒壊する危険だって勿論ある。
めちゃくちゃ走れば海と反対方向には山があるから、津波まで想定するなら山に逃げるべきなんだろう。
でも。
山も崩落するよね。
熊本地震の惨状を思えば、津波から逃げて山へ向かうことが逆効果な場合もある。

何ができる?
全ての思考回路をストップさせるほどの恐怖と闘いながら、正しい行動をとれる人がどれくらいいるのか。
ましてやたくさんの人命を預かる立場であれば余計に判断は困難を極めるかもしれない。
この前医療関係者の友人が、『今働いている施設は十数人の高齢者を常時預かっているが職員は3人ほど、災害時のマニュアルは特に無し。
歩けない人や徘徊がひどい人も多いのにどうやって逃げればいいんだろうって考えちゃった』と言ってた。
確かに、スタッフはまず自力で逃げれる人を誘導して、その後施設に戻ってそれ以外の人をまた誘導して、
何往復もする間の徘徊者の見守り役もしなくちゃいけないしとても2、3人で実行するのは無理な話である。
学校や病院に十分な余力があるだけのスタッフがいればいいけど、普段は災害用の人員配置など不要なわけで、当然突然やってくる災害には限られた人力で安全を確保する必要がある。
でも、安全じゃないから災害時なのであり、未曾有だから予見できないのであり、その状況下に居合わせた人の過失を問うのはあまりに酷。
勿論大きな責任を追っている状態でそれを果たさないで自分だけ助かろうとした人が責任を追及されるのは当たり前のこと。
ただ、自分の命を優先するのは自然なことで、個人的には仕方ない、責められないとちょっとは思ってしまう。
立場が先か個人が先かって話だけど。

でも、それらをひっくるめて考えて、良かれと思ってやったことが最悪な結末を呼び込んでしまい、
それが非常に困難な判断を強いられるものだったと推測されて、相手を糾弾する材料は結果論でしかない場合。
私は死んだ人をも責めるかな。
ポケモン探しながら車運転して子供殺すような奴は死刑でも足りないと思うけど、太刀打ちできない脅威では…ね。
何かを批判したいわけじゃなくて、最近『え、じゃあどうすればいい?』って話が多すぎやしませんか。
他人が災難に遭えば自己責任自己責任言うけど、自分に何か起きたら人のせいにする。
これは責任の根幹を成すべき社会体系がガッタガタだからなのかね。

私なら、やってられんわ。
どうすれば良かったのか逆に実践して見せて欲しい。